1話 奴隷スタート(ただしSSR)
視界がぐらりとゆがむ。
脳を直接焼かれるような高熱。
意識の濁流の中で、見ているこの夢はなんだ?
白衣を着て火山のおもちゃを透明な水槽?に沈め元気よく話す男。
『はい、どうも皆さんこんにちは!今日は歴史上有名な火山噴火の解説と、火砕流の仕組みについて解説していきま――』
ああ、そうか。
これ、俺だ。
その瞬間、パズルのピースが音を立てて嵌まった。
幼い時から感じていた違和感が整ったという感覚が近い。
俺の名前はルシウス。
ポンペイの有力者ルクレティウス家の長女ルクレティアお嬢様につけられた奴隷だ。
そして高熱で浮かび上がってきたもう一つの俺の記憶。
今からはるか未来の日本人としての記憶。
こっちは前世なのだろう。
いや、今が転生……?どっちだろう?
熱で考えがまとまり切らない。
前世の俺は科学系Youtuberとして生計を立てていた。
たしか直前の記憶では火砕流の動画が跳ねたのね混ぜるな危険で硫化水素を作ろうとして……停電が起こって……あぁそれで死んだか。
――気がつけば、この「古代ローマ」の世界で、奴隷の子供として転生していたのだ。
あぁ、前世の記憶が優位になってきた。
転生。これは転生だな。
過去に転生って時空の流れどうなってるんだ?
まあ転生自体が超常現象だしそう言うこともあるのか。
「……はぁ、……はぁ……」
そうして考えて子供の俺と日本人の俺が融合していく。
前世を目覚めた時には真っ暗だった部屋に明かりがさす。
数時間は立ったのだろうか。
熱が引いていく。
代わりに冷たい現実が脳内に浸透してくる。
状況を整理しよう。
俺はポンペイの有力者マルクス・ルクレティウス・フロント様の長女ルクレティアお嬢様につけられた奴隷。
ここはルクレティウス家の邸宅の一角、奴隷用の部屋。
ありがたいことに小さいながらもベッド付きの部屋を与えられるという厚遇を受けている。
(普通は奴隷は良くて大部屋の床で雑魚寝が普通。その辺の廊下の地べたで寝させるのも珍しくない)
ここに住むことになったのは4年前、6歳の頃。
ルクレティウス家の主、マルクス様が俺がいる奴隷商館に来た時。
今思えば、徐々に前世の知識がでていたのだろう。
偉そうな人を見た俺は思わずぺこりとお辞儀をしていた。
それで気を引けたらしくマルクス様に得意なことを聞かれた。
その時点で加減乗除をできるようになっていた俺はマルクス様に暗算を披露し、その結果「計算のできる=頭の良い奴隷=娘の側近奴隷」として長女ルクレティアお嬢様の召使奴隷として買い取られた。
奴隷と聞くと現代日本人感覚では転生ガチャ大ハズレに聞こえるがここはローマ帝国。
今の時代を考えると転生ガチャとしては、間違いなくSR、いやSSRクラスだ。
もしこれが、地方の小麦農場の農場奴隷の子供だったら、今頃は鎖に繋がれて泥を啜っていただろう。
乳児死亡率を考慮しても大体現代日本の中年くらいの時期には死んでいただろう。
自由民だとしても都市住民の中流階級よりもたとえ奴隷であっても有力者の側近の方がやれることは多かったりする。
それが有力者の令嬢に付けられた召使ならなおさらだ。
立派な石造りの屋敷でお嬢様の遊び相手をしながら計算を教わる今の立場はこの時代の水準で考えるとSSR。天国に近い。
適当に知識を小出しにしてルクレティアお嬢様の機嫌を取り、適当なところで解放奴隷になって商家の娘あたりの入り婿になって切り盛りは嫁に任せて現代知識でスローライフも目指せるだろう。
しかしそんなバラ色の人生設計を邪魔するデメリットが一つ。
ポンペイ。
そう、ここはポンペイだ。
窓の外。朝日に照らされたなだらかで美しい山。
アレはヴェスヴィウス山だ。
ローマ時代、ティトゥス帝の即位の年に破滅的噴火を起こしポンペイの町は火砕流に飲まれる。
別に俺はローマの歴史に詳しいわけじゃない。
じゃあなんでここだけピンポイントで覚えているか?
火砕流の動画を作る時に調べたんだよなぁ。
その中でポンペイがいつ滅びたかも調べた。
確か噴火は西暦79年夏。
心臓の鼓動が早まる。
奴隷としての俺の記憶では今は秋、とりあえずすぐに死ぬ心配はない。
だがもし来年が「即位の年」だったら俺は来年の夏には蒸し焼きの遺体になって未来の考古学者に石膏を流し込まれる運命だ。
じゃあ今はいつなんだ?
ティトゥスがいない時代ならまだ余裕はある!
なにか、何か今の年代を知る方法はないか!?
「あら、やっと目が覚めたの?見舞いに来たわよ」
不意に、部屋の扉が空き、少女の声が聞こえてきた。
マルクス・ルクレティウス・フロント:
史実人物。アエディリス(按察官)、デュウムウィル(二人官)を歴任したと推測される。
ガルム王アウルス・ウンブリキウス・スカウルスのような成り上がりではなく貴族階級出身。
ポンペイ噴火後は歴史の表舞台から姿を消す。
ポンペイ遺跡「マルクス・ルクレティウス・フロント」の家の所有者




