表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

03

 母が生きている。

 それは、奇跡みたいで――でもちょっと違う気もした。


「いづつ、今日の夕飯、何がいい?」


 母は、いつもみたいに笑っていた。


 けれど私は知っている。これは、いつも道りの「いつも」じゃない。


 図書室の奥――私が勝手に《記憶の書架》と呼んでいる棚の、本の一冊。

 昨日、母の死が書かれていたページが、真っ白になっていた。


 運命が、書き換えられた?

 そんなの、あるわけない。……でも、私はもう一度生きている。

 ありえないことは、すでに起きているのだ。


「お父さん、今日遅いの?」


 朝食のとき、何気なく聞いた。


「うん、最近忙しいみたい。帰りも遅くなるって」


 母は笑って答えたけれど――私は昨夜、二人が言い争う声を聞いていた。


「このままじゃ、家が壊れる」

「いづつのこと、ちゃんと見てあげてよ」

「俺だって、精一杯やってる!」


 あの声が、まだ耳に残っている。


 子供のふりをしているけど、心は二十八歳。

 でも、何も言えない。何もできない。




 翌朝、私はまた図書室に行った。

 先生には「お腹が痛い」と言って、保健室を抜け出した。


 《記憶の書架》の前に立つ。


 白いままのページ。

 でも、隣のページに、見覚えのない文字が浮かんでいた。


 ――美空 こずえ 享年三十六歳。


 やっぱり、死ぬんだ……。

 けれど、日付が違う。昨日でも、明日でもない。

 そこには、「未定」とだけ書かれていた。


 私は、その文字にそっと触れた。

 指先が、ひんやりと冷たくなった。


「いづつちゃん?」


 振り返ると、吉川先生が立っていた。


「その棚、あまり触らない方がいいよ。古い本だから、カビっぽいの」


 私はうなずいて、本を閉じた。




 帰り道。

 母が迎えに来てくれていた。

 コンビニの袋の中には、私の好きなプリン。


「今日はね、ちょっと疲れちゃって。夕飯、簡単にしちゃおうね」


 母の笑顔が、少しだけ弱って見えた。


 家に帰って、プリンを食べながら考えた。

 運命は、変わったのか。

 それとも、ただ遅れているだけなのか。


 夜、父が帰ってきた。母と何か話して、すぐ部屋にこもった。

 私は、母の隣でテレビを見ながら、そっと手を握った。


「どうしたの?」

「ううん、なんでもない」


 母の手は少し冷たかった。

 でも、まだ生きている。

 それだけで、今日という日が、少しだけ救われた気がした。


 その夜、夢を見た。

 《記憶の書架》の白いページが、真っ赤に染まっていく夢だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ