13章 守らせてほしい
◇ ◇ ◇
クラリッサの恥ずかしそうな顔がすぐ近くにある。
どうしてラウレンツはこんなに可愛い女性のことを、悪女だと思っていたのだろう。
「子供思いで、」
孤児院の子供にも優しかった。
いつだって子供のことを考えた授業をしていたし、薬草園の手入れや調薬をしながら子供に色々と教えていた。
自分のことよりも先に子供の心配をした姿を思い出す。
「真面目で、」
社交界に馴染もうと頑張っていた。
令嬢達に絡まれても決して手を出さず言葉だけで撃退し、自らの力でエルトル夫人やレオノーラの信頼を得ていた。
そして、令嬢達との関係も自らの力で変えていった。
「とても強くて、」
自分にできることは自分で解決しようとしていた。
ラウレンツに連絡せず一人でアベリア王国に行ってしまうなど、ラウレンツには無鉄砲に思えることもあった。
騎士達を引き連れてラウレンツを助けにきてくれたとき、クラリッサのことがまるで女神のようにも見えた。
「そんな貴女の側に、私はずっといたい」
本当は弱いところがあることも、それを隠そうといつも背筋を伸ばしていることも、ラウレンツはもう知っている。
幼い頃に泣いていたクラリッサは、完璧を求められ、完璧になれないと泣いていた。
その繊細さは、今も変わらずクラリッサの中にあるのだろう。
怪我をしても隠したり、傷付いたことに気付かないふりをしたり。
不遇を嘆かず前に進もうとする姿勢は、ラウレンツには眩しいほどだ。
それでも、そんなクラリッサだからこそ、ラウレンツは側でずっと支えていたい。
どんなルビーよりも透き通った美しい赤が、ラウレンツをまっすぐに見つめている。
「クラリッサがクラリッサらしくいられるよう、私に守らせてほしいんだ」
もう間違えない。
ラウレンツは緩く包むように抱いていたクラリッサを、怪我したところが鈍く痛むのも気にせず、力一杯抱き締めた。
◇ ◇ ◇
クラリッサは痛いくらいに抱き締められて、ラウレンツの背中にそっと手を回した。
これまで、守らせてほしいなんて言われたことはなかった。
クラリッサはいつも誰かを守る側だったし、そうあることが当然だったからだ。
アベリア王国の国民を、恵まれない子供達を、アンジェロを、カーラを。
悪女と言われても、皆が幸せでいられるように尽くさなければ、クラリッサの王女という立場は簡単に揺らいでしまう。
そう思って、ひとところに留まれない流れる川の水のように、ずっと走り続けてきた。
それなのに、ラウレンツはクラリッサの側にいたいと言う。
守りたいと、言う。
「──わ、たしが」
声が、震えた。
「側にいてもいいの……?」
大好きな、ラウレンツの側に。
クラリッサの問いに、ラウレンツはすぐに答えた。
「いて。勝手に出て行ったら、どこまでも追いかけるから」
「……冗談にならないわ」
実際に危険な目に遭いながらアベリア王国まで追いかけてきた時点で、言葉に信憑性がありすぎる。
ラウレンツが小さく笑った。
同時に少し緩んだ腕の隙間から、クラリッサはラウレンツの顔を見上げる。
きらきらと、世界が輝いていた。
クラリッサが知るどんな青よりも美しい、サファイア色の瞳がまっすぐにクラリッサを見つめている。
そこに映るクラリッサは、自分でも見たことがないくらい、恋をしている顔をしていた。
恥ずかしくて逸らそうとした顔に、ラウレンツがそっと右手で触れた。
ぴたりと動きを止められて、もうクラリッサは青から逃れられない。
少しずつ近付いてくるそれが瞼の奥に消えて、クラリッサもそうすることが自然だと身体が知っているかのように目を閉じた。
触れた唇が、ゆっくりと離れていく。
目を開けると、ラウレンツが照れたように笑っていた。
クラリッサも自然と微笑んで、ゆっくりと口を開いた。
「私も、愛しているわ」
二回目の口付けは、初めてのものよりも長かった。世界で一番幸福な世界の中に閉じこもってしまいたいと思うほど、ふわふわと居心地が良くて、どうにかなってしまいそうだ。
強い風が吹いた。
驚いて唇を離した、二人の間を桃色の花弁が通り抜けていく。
青い空に、色とりどりの花弁が舞っていた。
それからひと月が経ち、クラリッサとラウレンツはようやくクレオーメ帝国に帰ってくることができた。
フェルステル公爵邸に着くと、扉を開けた瞬間に大勢の使用人がクラリッサ達を出迎えてくれる。
「旦那様、奥様。お帰りなさいませ」
見慣れた一糸乱れぬ挨拶の後で、クラリッサはカーラと共に侍女達に囲まれることになった。
「奥様……! 無事お戻りくださってありがとうございますー!」
「寂しかったです!」
「何もできなくて本当に申し訳ございませんでした……!」
「奥様ぁ!」
口々にクラリッサが戻ってきたことを喜ぶ侍女達に、クラリッサの頬が緩む。
「ありがとう、皆。心配かけてごめんね」
クラリッサが言うと、皆が首を振る。
ラウレンツがそんなクラリッサ達をエルマーと話しながら見つめていた。
一瞬視線が絡んで、クラリッサが慌てて逸らす。
これでは、二人の関係が変わったのだと皆に分かってしまうだろう。別に悪いことではないのだが、なんだか恥ずかしいし擽ったい。
クラリッサがそんなことを考えていると、エルマーが何かに気付いたようにぽんと手を打った。
「──旦那様。寝室は今日から奥様と一緒にさせていただいてよろしいのですね?」
「しんし……っ」
クラリッサが顔を赤くする。
「そうだね。お願いするよ」
平静を装いながら返事をしたラウレンツに、使用人が抑えきれない歓喜の悲鳴を上げたのは、仕方のないことだろう。




