13章 愛してる
クラリッサはぺたんとその場に座って、小さな野花を一輪摘んだ。白く小さいそれをそっと右耳の上に差す。
子供のようかもしれないとは思ったが、この場所に勇気をもらえる気がした。
大変なことがたくさんあった。
それでも、ラウレンツのことはもっとずっと好きになったと言える。
クラリッサは身を乗り出して、池の中を覗いてみた。小さな蛙がぴょんと跳ねて、クラリッサは驚きに身を引いた。
「きゃっ」
「大丈夫?」
背中を支えてくれたのはラウレンツだ。
見えるところに巻いていた包帯は全て取れている。今は胸にだけ巻いているのだろう。それでも、それを感じさせないほど自然な動きだった。
「ありがとう……って、貴方こそ。怪我は大丈夫なの?」
クラリッサは支えてくれていたラウレンツから慌てて背中を離す。
ラウレンツは微笑みながら頷いた。
「うん。あまり動かしたらいけないようなんだけど、もう痛むことはほとんどないかな」
「良かった……私、心配して」
「ごめん」
クラリッサの言葉に重ねるようにして、ラウレンツが言う。
クラリッサ驚いてきょとんと目を見張った。
「え?」
ラウレンツはアベリア王国のために来てくれて、拷問に耐え、怪我をして、熱まで出した。 謝られるようなことは無かったはずだ。
「どうして謝るの?」
クラリッサが聞くと、ラウレンツはばつが悪そうに目を逸らした。
「心配させてごめん。私が目を覚まさなかったからって、すごく心配してくれたって聞いたよ」
「そっ、それ誰から──」
「エヴェラルドから。目が覚めたとき、知らない場所にいたから聞いたんだ。つきっきりで看ていてくれたって──」
ラウレンツが言う。
クラリッサは慌てて首を振った。
「それは、放っておけなかったからって言うか……! だって、意識が戻らなかったのよ!?」
「うん。ありがとう」
半分怒ったように言ったクラリッサに、ラウレンツは変わらず優しげに微笑んでいる。
クラリッサは唇を噛んだ。
「ど、どういたしまして……」
クラリッサはくるりとラウレンツに背を向けた。
まっすぐに言われてしまうと、どんな顔をしたら良いのか分からなかった。
耳元で心臓の音が鳴っている。
どきどきと煩く鳴るたびに、クラリッサは自分の頬に熱が溜まっていくのを感じていた。
すぐ後ろに座っているラウレンツの顔が見られない。
少しだけ距離を取って落ち着こうとしたクラリッサは、腰を浮かせた。
「待って。クラリッサ……逃げないで」
すぐに追いかけるように切ない声で言われて、クラリッサはその場に貼り付けられたように動けなくなった。
「何も言わなくて良いから、聞いてほしい」
喉が詰まっているかのような、悩みと苦しみが込められた声だった。
こんなに穏やかな場所で、何故こんな声を出すのかクラリッサには分からない。
「『離婚』って書いていただろう? 私は何があってもクラリッサと離婚するつもりはないと、言っていたのに」
「あっ、それは違うわ」
「何が?」
「ただ、国の事情にラウレンツを巻き込んだらいけないと思って」
だからクラリッサは、ラウレンツへの手紙には細かい事情を書かなかった。その方がラウレンツがクラリッサのことを気にしないでいてくれると思って。
しかしラウレンツはなおも苦しげに言う。
「エヴェラルドとシルヴェーヌからの手紙を置いたままだっただろう? 私はあの手紙を見て、クラリッサが……望んで悪女であったのではないと気付かされた。貴女が悪女を演じさせられていたのなら、あの頃の発言は……全て、貴女を傷付けただろう。本当にごめん」
ラウレンツの声に吐息が混じる。心から後悔していることが分かるほど、声が震えていた。
クラリッサの体温が上がる。
もういっぱいいっぱいだった。
「だから……クラリッサが──」
「待って、やめて!」
絞り出した声は、最早悲鳴と言って良い。
クラリッサは両手で両耳をしっかり塞いで、真っ赤な顔で振り返った。
こんなの無理だ。
「──貴方の声、好きすぎるの! だからそんな声出されると困るのよ!!」
クラリッサの叫び声が、花の絨毯に吸い込まれていく。
池で魚がちゃぽんと跳ねた。
「だから、正直何言われても声が聞けるだけでご褒美だったし、むしろぐちぐち言ってくれてるときの方が長く声を聞いていられたし、冷たい声も悪くなかったし……」
「クラリッサ?」
「ええと、だからつまり私はラウレンツのこと──」
距離を縮めたラウレンツがクラリッサの両手にそれぞれの手を重ねて、そっと耳から引き剥がす。
優しい手つきなのに、拒否できない。
「クラリッサ」
耳元で優しく名前を呼ばれたら、クラリッサはもう俯くことしかできなかった。
ラウレンツはクラリッサをそっと包み込むように抱き締める。
「……クラリッサ。私は、クラリッサのことを愛してる」
「──……っ!」
クラリッサはばっと勢いよく顔を上げた。




