13章 明るい景色
抱き締め合ったり、『愛する妻』と言われたり、寝台に押し倒したり、服を脱がせたり、頬に触れられたり。
事件を解決するために協力できたことは良かったし、それによってアベリア王国はベラドンナ王国の圧力から逃れることができた。
しかしそれによって、クラリッサとラウレンツはこれまでにはないくらい身体的な接触が急増していたのだ。
「今更ですか? 公爵邸でもクラリッサ様は旦那様と仲良くされていたじゃないですか」
「こんなに触っていなかったわ!」
脱がせた身体はクラリッサが思っていたよりも逞しかった。
議場前で守ってもらったときに騎士とやり合えるほど強かったから、普段から訓練をしているのかもしれない。
あの胸に抱き締められていたと思うだけで、クラリッサの頬は染まってしまう。
「触って……って、それはそうでしょうが」
カーラが何かを言いたげに口を開きかけて閉じた。
言いたいことがあるのならば言えば良いと、クラリッサは問いかける。
「何かしら?」
「いえ、もうとっくにご結婚されているので、今考えることでもないなと思っただけです」
「正論だけど!」
クラリッサは寝台にぼふっと顔を埋めた。
今のクラリッサは以前のように化粧が付くことを気にすることはない。
だがカーラは呆れたような溜息を吐く。
「クラリッサ様。公爵夫人としてその行動はあまりよろしくないかと」
「カーラ……貴女、すっかり慣れたわね」
ラウレンツと結婚したばかりの頃、あんなにクラリッサを王女として扱っていたというのに、今はすっかりラウレンツを夫と認め、クラリッサをフェルステル公爵夫人として扱ってくる。
クラリッサはそれを嬉しいと思いつつ、少しだけ寂しい気持ちも抱いていた。
「──そろそろ、避けるのはお止めになった方がよろしいかと。クラリッサ様が幸せでいられる場所は、旦那様のお側なのでしょう?」
カーラが僅かに目を伏せる。
その目にクラリッサと同じ感情を見つけて、クラリッサの寂しさがすうっと和らいでいった。
そのとき、カーラがふと何かに気が付いて、クラリッサの部屋の扉の前と歩み寄った。屈んで何かを拾うと、小さく笑ってクラリッサの元へと戻ってきた。
その手には、一通の手紙が握られている。
「噂をすれば、旦那様からお手紙ですよ」
クラリッサはどきりと胸を弾ませて、カーラが差し出した手紙を手に取った。
封をされていないシンプルなそれを開けると、中には便箋が一枚入っていた。
──あの日できなかった話がしたい。
明日の午後、花咲く池で待っているよ。
ラウレンツ・クレオーメ・フェルステル
見たことがあるサインはラウレンツからの手紙に間違いなかった。
行くことができなかった春の夜会。
あの日、ラウレンツの瞳の色のドレスに身を包んで、聞くはずだった話。きっとクラリッサとラウレンツにとって大切なものになるはずだった。
それでも、今のクラリッサにもラウレンツに伝えたい言葉がある。
「ありがとう、カーラ」
「良かったですね」
カーラが笑う。
クラリッサは手紙をそっと胸に抱いて、自然と上がる口角に素直に微笑んだ。
翌日、クラリッサは王城の裏に出て、庭園の奥へと向かった。
ラウレンツと初めて出会った後、数年間は毎週のようにそこに通った。しかしいつしか行かなくなっていた場所だ。
行かなくなったのは、社交界デビューをしたことがきっかけだった。
『悪女』として振る舞うことを決めたとき、クラリッサはラウレンツとの再会という夢を諦めた。
『僕も怖いけど、それでも、クラリッサちゃんが頑張っているから、頑張らないとって思えたんだ。だから、一緒に頑張ってくれたらとっても嬉しい』
『じゃあ、わたし、頑張ってみる』
『僕、もっと頑張るよ。虐められて泣いてなんていられない。誰にも文句を言わせないくらい、しっかりした大人になるから』
『だから、クラリッサちゃんも……負けないで。いつか、また会おうよ』
『うん。……また会いたい』
思い出すと胸が小さく痛む。
クラリッサがラウレンツを諦めた理由の一つは、クラリッサが良い子でいられなかったからだ。
もし会ったなら、失望されてしまうと思っていた。
クラリッサは自分から本当は悪女であるとは言えない。だから、クラリッサはラウレンツと会いたくなかった。
木が茂っているところの先、細い道を辿っていく。
子供の頃には途方もなく感じた道が、随分短く感じた。
視界が開けて、小さな池が見えた。池の畔には野の花が咲き乱れていて、天然の花畑といった様相だ。
ぽかりと広がる明るい景色。
小さな空と小さな池、花畑の鮮やかで穏やかな色が、いつも一人で心細いクラリッサを優しく受け入れてくれた。
「──……懐かしい」
幼い頃と変わらずにいてくれた景色が嬉しい。
同時に、今のクラリッサは一人ではないことが嬉しい。
共に戦ったエヴェラルド。
守りたいアンジェロ。
友達のような侍女のカーラ。
クレオーメ帝国で出会った、たくさんの暖かい人達。
そして大好きなラウレンツ。
頼りにされることも、頼りにすることもあって、もう世界に一人きりだと思うことはない。




