12章 愛していると言っているようなもの
クラリッサとラウレンツは事態を収拾するための人員をオーブ街の別荘に置いて、数人の騎士だけを連れて同盟書類を回収に戻った。
ラウレンツはクラリッサと同じ馬に乗っている。
クラリッサの後ろに乗っているが、眼鏡が無く周囲がよく見えていないため、クラリッサが馬を操っていた。
「大丈夫?」
クラリッサが声だけで背後のラウレンツに言う。
「ああ、ありがとう」
クラリッサの腰にラウレンツの右腕が回されている。
片腕だけなところを見るに、やはりラウレンツは左腕を動かすことに痛みがあるのだろう。
心配しながらも町に戻ると、ラウレンツ達が泊まった宿の周囲がざわざわと騒がしかった。
「何事かしら?」
クラリッサが先に行こうとしたところを、ラウレンツが右手で止める。
しかし明らかに目立つ見た目の一行だ。宿の周囲にいた者達が警戒したように道を空けた。
「──これは」
宿の扉が壊されていた。
ラウレンツが捕まった後で、騎士達が荒らしたのだろう。廊下から見える限り、全ての部屋が調査されたようだった。
ラウレンツは宿屋の主に頭を下げた。
「私達のせいで申し訳ないことをした。補償と修理は必ずさせてもらうから、どうか宿に入れてほしい」
宿屋の主はラウレンツを見ても一瞬誰だか分からなかったようだ。
じっと見つめて、髪色と顔立ちから昨夜泊めた者だと分かったらしい。
「壊していったのは騎士と破落戸の奴らですよ」
「だが」
ラウレンツも、これほど宿が荒らされるとは予想していなかったのだろう。これでは営業に支障が出てしまう。
クラリッサは前に出て、口を開いた。
「──私達の問題に巻き込んでしまったのだもの。どうか、お詫びとして補償も修理もさせてほしいの」
宿屋の主はクラリッサの姿を見て、驚いた顔をした。
ラウレンツのことは訳ありのどこかの貴族だと思っていたのだろうが、クラリッサを知らないはずがない。
こんな昼間から外で着るようなものでない胸元が開いた赤いドレスを着ている、銀髪赤目の女性、となれば、アベリア王国ではクラリッサ・アベリア以外にいないだろう。
たとえそのドレスの横が無残にも切り裂かれていたとしても、靴の踵が折れていたとしても、見間違いようがない。
そしてクラリッサは、アベリア王国では『悪女』として有名なのだ。
「お、お詫びだなんて……恐れ多いことでございます」
「なら受け取ってね、後日職人を呼ぶわ。中を確認しても?」
「は、はいぃ……!」
宿屋の主はもう意見を言うことを放棄してしまったらしい。
クラリッサはその態度に内心で苦笑しながら、騎士とラウレンツと共に中に入った。
寂れた町故、宿泊客が他にいなかったことは幸いだった。
騎士達に宿の周辺を監視するよう指示を出し、クラリッサはラウレンツに連れられて宿の裏にある畑に向かった。
ラウレンツが近くに落ちていたショベルを手に取り、畑の端を掘り返す。
そこには、透明な瓶に入れられた書類が、しっかりと入っていた。
「──良かった……!」
ラウレンツが溜息と共に安堵の言葉を吐き出す。
クラリッサも無事に見つかったことにほっとして、ラウレンツの腕にそっと触れた。
「ありがとう」
「まだだよ。早く持っていこう」
「ええ、そうね」
二人手を繋いで立ち上がる。
「お兄様が待っているわ」
クラリッサが言うと、ラウレンツが小さく笑う。
「あまり待たせると、エヴェラルドに怒られるな」
「そうよ。いつもはお兄様の方が私を待たせているのに」
クラリッサもまた、この同盟書類を必ず間に合うように届けようと決めた。
宿の外に戻ると、先に戻っていた騎士が宿の部屋から見つけてきたらしい予備の眼鏡をラウレンツに手渡した。
ラウレンツが慣れた手つきで、眼鏡をかける。
きらりと輝く銀縁が、ラウレンツによく似合っていた。
「これでちゃんと見えるようになったわね」
有事のときによく見えないというのは危険だ。予備の眼鏡が壊されていなくて本当に良かった。
眼鏡を掛けた見慣れた顔にクラリッサが微笑むと、ラウレンツがクラリッサを見てぴたりと固まった。
「……ラウレンツ?」
「ちょっと待ってて」
一体、どうしたというのだろう。
クラリッサが騎士達と共に待っていると、ラウレンツは腰に剣を携え、いかにも貴族のものだという雰囲気の上着を抱えて戻ってきた。
確かにこの先の道、武器がないのは心許ない。
ラウレンツはいかにも平民らしい服装をしているから、貴族議会に行くのに上着だけでもあった方が良いかもしれない。
そう考えていたクラリッサは、近付いてきたラウレンツに上着を肩から掛けられて目を見張った。
「え、どうしたの?」
「どうしたのじゃない。そんな格好で外を歩くなんて……っ、なんて破廉恥なんだ。年頃の女性だからというのもそうだが、少なくともまだ私の妻なのだから、私が既婚者として最低限の慎ましさくらい持っていてほしいと思うのはおかしいことじゃないよね?」
「……私より、ラウレンツが着た方が良いんじゃないかしら」
ラウレンツは今、町人風のシャツとズボンを着ているだけだ。
馬で走ってきた間に濡れていた服や髪は乾いたが、それでも地下牢で付いた汚れはそのままだった。
「いいから、ぐだぐだ言ってないで早く着て。……ああ、違う。前もちゃんと閉めないと意味がないだろう」
手を伸ばして金具を留めていくラウレンツの頬が僅かに赤い。
クラリッサはラウレンツと結婚したばかりの頃から、よくこうして色々と言われてきたな、と懐かしく思い出した。
しかし今のこれは、クラリッサに露出しすぎだから隠してほしいという意味だろう。
つまり、照れ隠しだ。
「──……っ!」
「何?」
「ラウレンツ、早く終わらせちゃいましょうね!」
アベリア王国までクラリッサのために来てくれた。
拷問されてもクラリッサの国を守ろうとしてくれた。
ぼろぼろになってもクラリッサの肌の露出を気に掛けてくれる。
こんなの、愛していると言っているようなものだ。
クラリッサは馬に飛び乗った。
ラウレンツも宿に繋いで休ませていた馬に乗る。
「早く終わらせて、今度こそいちゃいちゃ新婚夫婦になるのよ──っ!」
クラリッサの素直すぎる叫びは、最高速で走る馬と風の音で、誰の耳にも届かなかった。




