11章 世界で一番心強い味方
かつん、かつん。
踵を折った靴音が石壁に響く。
一番下まで下りて、地下牢へと向かった。
牢といっても檻はない。ただ石壁で半個室にされた空間が並び、壁に拘束具が付けられていた。
騎士達が足音を殺し、周囲への警戒を高めた。
クラリッサは唯一ランプの明かりが揺れている牢の前で立ち止まり、息を呑んだ。
アベリア王国の騎士服を着た騎士が、拘束された男性に剣を向けている。
両手首が鎖で壁に拘束され、足には錘が付けられていた。水に濡れて蹲っている側には、大きな水桶がある。
周囲は水浸しで、何をしていたのかあまりにも明白だった。
クラリッサの視界が滲む。
「──……ラウレンツ……っ」
咄嗟に名前を呼ぶと、ラウレンツがのろのろと顔を上げた。
プラチナブロンドの髪は乱れ、何度も冷たい水に入れられたであろう顔は赤くなってしまっている。
眼鏡を外した青い瞳は、焦点が合わないままゆらゆらと力なく揺れていた。
そんな場合では無いのに、涙が溢れて止まらなかった。
危険だと分かっていたはずだ。
他の者に任せることだってできた。
クラリッサのことなんて、忘れてくれて構わないと心から思っていたのに。
ラウレンツはこんな状況でも、クラリッサを心配して眉を下げる。
「泣かないで……」
苦しい思いをしていたのは、今も命の危機に瀕しているのは、ラウレンツの方なのに。
クラリッサは拳を握り締めて、騎士を睨み付けた。
「剣を下ろしなさい」
「っ、アベリアの王女ごときが、誰に命令して──」
「ベラドンナ王国近衛騎士団第五師団長バルナベ・アルナルディ伯爵! 剣を下ろせと言っているのよ!」
クラリッサが叫ぶ。
顔は涙でぐしゃぐしゃで、威厳など欠片もないだろう。
「何故名前を」
「決まっているじゃない。貴方がお母様の側近の一人だってことくらい、調べれば簡単に分かるのよ」
クラリッサが言い切って、一歩バルナベに近付く。
いかにも警戒しているというように、バルナベはラウレンツの手首に繋がる鎖を掴んで引いた。
「……っ」
「それは……それは、私のものよっ!」
クラリッサが叫ぶ。
一瞬バルナベがクラリッサに気を取られたのと同時に、騎士が一気に距離を詰めた。
しかしバルナベの剣がラウレンツに届く方が早い。
クラリッサはポケットから取り出した鏡の破片で作った短剣を、思い切りバルナベの顔に向かって投げつけた。
破片はバルナベの額に当たって落ちる。
切り口から赤い血が落ち、バルナベの目に落ちて来る。
猶予は、その一瞬で充分だった。
ラウレンツは騎士に突き飛ばされて、壁に向かって身を倒した。
距離ができた瞬間の隙を逃すことなく、もう一人の騎士がバルナベを斬りつけ蹴り飛ばした。
壁にぶつかったバルナベは意識を失い、地下牢がしんと静かになった。
ラウレンツがゆっくりと上半身を起こす。
クラリッサは壁に掛けられている鍵を引っつかみ、ラウレンツの元に駆け寄った。
「ラウレンツ……! ごめんなさい、私のせいで──」
左右の足から錘を外し、両手首を拘束する枷の鍵穴に鍵を差し込んだ。
抵抗したときに怪我をしたのか、ラウレンツの手首が赤く擦り切れてしまっている。
クラリッサは痛々しさに顔を歪めて、それぞれの手を枷から外した。
瞬間、クラリッサはラウレンツに抱き締められていた。
「ク……ラリッサ……」
掠れた声が耳元で聞こえる。
抱き締める腕が震えていて、クラリッサの胸が締め付けられた。
ゆっくりと抱き締め返す、クラリッサも震えていた。
「ラウレンツ。何で……何で来たのよ……っ」
「……離婚はしないと、言ったからね」
確かに言った。
二人きりの薬草園で、何があってもしないと言っていた。
しかしそれは、こういう意味ではなかったはずだ。
「馬鹿……! 馬鹿よ、本当に馬鹿っ!」
「これでも、頑張ったんだけどな」
「怪我しながら何を言っているのよ!」
クラリッサを抱き締める左右の腕の力が違う。
クラリッサがラウレンツから少し身体を離して睨むと、ラウレンツは困ったように苦笑した。
「この程度、大したことはないから」
「……帰ったら、ちゃんと見せてもらうわよ」
クラリッサは立ち上がり、ラウレンツに手を差出した。
ここからはもう、一人ではない。
世界で一番心強い味方が、ここにいるから。
「分かったよ。……なんだか、やっと本当のクラリッサに会えた気がする」
ラウレンツがクラリッサの手に左手を乗せる。
「どういう意味よ」
クラリッサも小さく笑って、ラウレンツの手を引いた。




