3章 結婚式でも悪女です
五日後、クラリッサは純白のウエディングドレスに身を包み、結婚式会場となる大教会で式の開始を待っていた。
このドレスは、クラリッサの好みをよく知っている母親がデザイナーと話して作らせたドレスだ。つまり、圧倒的に誰が見ても悪女らしいウエディングドレスである。
清楚であるはずのウエディングドレスなのに悪女らしいとは矛盾しているようだが、清楚なはずの衣装であればあるほど、デザインによって個性が強く出る。
肩を露出したオフショルダーのドレスは、背中がV字にカットされている。お尻から太腿までのラインが目立つスカート部分に使われているのは、大ぶりな花をモチーフにしたレース。更に裾部分には小さなダイヤモンドが縫い付けられていた。
長いヴェールにもダイヤモンドがちりばめられていて、見るからに高価であることが分かる。
公式な場だからとアップスタイルにまとめた髪もまた、相乗効果で露出を多くしていた。
「──大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。今日もどこから見ても立派な悪女です」
「うう……!」
クラリッサはがくりと項垂れる。
今日の式には、アベリア王国側の人間が多く出席しており、クラリッサが任務を果たす姿を見ている。
つまり、ベラドンナ王国側の人間がクラリッサを監視しているということだ。
人前で悪女を装うのにはもう何も感じないが、ラウレンツの前で悪女らしく振る舞うことができるかと言うと、自信が無い。
五日前に会ったきりだが、あの声を忘れることなどできなかった。それくらい衝撃的な体験だった。
これまでの可愛らしい幼少期を思い出そうとすると、同時に大人になった甘い顔と声がクラリッサに襲いかかってくる。純粋な恋心が火事にでもなってしまっているかのようだ。
「ほら、クラリッサ様。……そろそろお時間ですよ」
時計は十一時の十五分前。挙式開始までもうすぐだ。
大使を含めクラリッサの控室にやってくる者は誰もいなかった。
大教会の扉を開けて、クラリッサは一人、まっすぐに祭壇に向かう。
その先には、今日の式のために正装をしたラウレンツが姿勢良く立っている。
ラウレンツは、上下揃いの白いタキシード姿だ。
新郎らしく光沢のある衣装の胸元には、ラウレンツの瞳と全く同じ色のサファイアが飾られている。先日会ったときには柔らかく流されていたプラチナブロンドも、今日はしっかりと前髪を上げられている。
フォーマルな装いなのにより色っぽく見えるのは、より大人っぽい装いだからか。
クラリッサの悪女という見た目の装いと比べ品良く美しいその姿に、クラリッサは見蕩れ、すぐに頬を僅かに染めた。
パイプオルガンの音が鼓膜を揺らす。重厚感のあるそれは、歴史ある大教会にぴったりだ。
大教会は中も外も、貴族から平民まで、多くの人達で埋め尽くされている。ラウレンツに対する好意とクラリッサへの興味がよく現れている光景だった。
ラウレンツの正装姿に黄色い声を上げた者達が、クラリッサのドレスに目を止めて口を噤む。
クラリッサにはもう慣れた視線だが、今日はいつも以上に居た堪れない。
式場に入ってから、ラウレンツはずっと無表情だ。何の表情も浮かんでいないその顔の、二つの青い瞳だけはクラリッサに対して嫌悪感を向けている。
一目で分かるその感情に、クラリッサの心が凍る。
確かにひゅっと心臓を誰かに掴まれているかのような寒気がした。
一度は落ち込んだものの、それも司教の話を聞いていると、どうでも良くなってきてしまった。隣にいるのは、あんなに憧れたラウレンツだ。
夢見た人の隣に、自分が立っている。
それだけでクラリッサは少しずつ幸福になっていく。
誓約書に名前を書いた。
シンプルな指輪を交換した。
そして、ラウレンツの口が開く。
「──誓います」
クラリッサはヴェールの下で目を見開いた。
また、あの声だ。
短い言葉なのに、背中がぞくぞくする。それがクラリッサとの永遠を誓う言葉だと思うとなおさらだ。体温が一気に上がり、細く高いヒールで立っているのも辛くなる。
他の人は何も感じないのだろうか。
クラリッサはこっそりとヴェールの中から周囲の様子を窺うが、最初からラウレンツの姿にぽーっとしている人達の様子はそこまで変わっていない。どうやら、この声が特別魅力的に感じるのはクラリッサだけらしい。
低くて、甘くて、音楽のように柔らかな──。
ラウレンツの声について考え込んでいたクラリッサは、ラウレンツに手首を抓られてはっと意識を現実に向けた。
いつの間にか司教は黙っており、大教会はしんと静まり返っている。
クラリッサはどうしたのだろうと考え、すぐに自分の失態に気が付いた。事前に確認した式の流れでは、ラウレンツの誓いの後はクラリッサの番だった。
思いきりやらかしてしまったクラリッサは、どれくらいぼうっとしていたのか分からず内心で冷や汗をかきながら、それでも誤魔化すため、誰から見ても分かりやすくラウレンツの方に顔ごと視線を向けた。
誓いの言葉で黙った新婦が、新郎をゆっくりと見上げる。
それは一つの光景としてとても美しい。
しかも、悪女風とは言え豪華なドレスを着ているのだから、それだけの動きであっても生地と刺繍とダイヤモンドが輝いて、これまで以上に皆の視線を集めた。
そこでクラリッサは、誰にでも分かるようにラウレンツに少し身を寄せる。
それから、声に精一杯の甘さを乗せた。
「はい……誓いますわ」
悪女としての振る舞いや、男性を引きつける仕草は熟知している。これならば、黙っていた間も勿体ぶっていたのだと感じてもらえるだろう。
司教が気を取り直したように小さく咳払いをして、式は続けられた。
「それでは、誓いのキスを」
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