11章 怪我の数だけ
※暴力・残虐描写があります。
苦手な方はご注意ください。
◇ ◇ ◇
ぴちゃん。
ぴちゃん。
どこかから水が零れる音がする。
ラウレンツは遠くにその音を聞きながら、曖昧に揺蕩う意識で重たい瞼を薄く持ち上げる。
ぼやけた視界は薄暗く、どこかでランプの明かりが揺れているようだ。
頭の上でじゃらりと金属が鳴る。
「起きないな」
「もう一度だ」
びしゃん。
鋭い冷たさに、ラウレンツの意識は強制的に浮上させられた。
「……っ」
「起きたか」
男の声は上から聞こえる。
やはりラウレンツは捕まってしまったらしい。
とはいえ想定の範囲内だった。
ラウレンツが同盟書類を隠したことは、ベラドンナ王国側に伝わっているだろう。
エヴェラルド達よりも早く手に入れなければならないと、躍起になっているに違いない。
ならばありかを口にしない限り、ラウレンツの命は保証されている。
クレオーメ帝国と戦争をするほどの国力はベラドンナ王国にはないのだから、殺される可能性は限りなく低いだろう。
「おはよう、王子様」
眼鏡がないせいで普段よりも見えにくい視界の中、男はまたラウレンツの頭上から水を掛けた。
「寝ぼけてんのか? 俺が喋ったんだから、何か言えや」
「な、にか……」
殴られた鳩尾が痛んで、声が震えた。
気付かれないようにとぐっと腹に力を入れる。
こんなところで、こんな男達相手に弱さを見せるつもりはない。
「良い寝起きとは、とても言えなかったものでね。ご招待どうも」
「あ? 舐めてんのか」
「いや? 感心しているよ。この私をこうして捕らえることに成功したのだから」
日の光がないひんやりとした空間は、いかにも地下牢という雰囲気だ。
ラウレンツは石畳の床に座らされ、両手を頭上で壁に拘束されていた。左右の足首にも鎖が繋がれ、動けないように錘が付けられている。
鎖の音はそれらによるものだろう。
零れる水の音は、何度も水を掛けられたから。
「──クレオーメ帝国の皇族に手を出すとは、良い度胸をしている」
睨み付けると、男は隠しきれない動揺を見せた。
どうやらそう地位の高い人間ではないらしい。
「それで、私をどうするつもりだ?」
ふんと鼻を鳴らしてやると、男は激高してラウレンツの肩に拳を振り下ろした。
肩から逃げ場のない背中へと痛みが伝わり、奥歯を噛む。
構わない。
殴ってくれるのならば、その人数は多ければ多いほど良かった。
その怪我の数だけ、証拠が増えるのだから。
「やめておきなさい。できるだけ傷を付けるなって言われているでしょう」
見えないところから別の男の声がする。
ラウレンツが思っていたよりも、ここには人がいるようだ。
「だけどこいつ──」
「命令です」
男は怒りを堪えるように顔を真っ赤にして、ラウレンツから離れた。
代わりに、別の男が近付いてくる。
「王子様。このように、私達も貴方をあまり傷付けたくないのです。ですから、書類の場所を教えてくださいますか?」
かつん。
かつん。
足音に顔を上げると、そこにはアベリア王国の騎士服に身を包んだ男が立っていた。
ラウレンツははっと息を吐いて笑って、首を振る。
「教えるわけがないだろう」
教えてしまえば、アベリア王国を──クラリッサを守る術はなくなってしまう。
何度も厳しいことを言った。
何度も傷付けた。
もう二度と、傷付けるつもりはない。
「……はあ。仕方ありませんね。それでは、話したくなっていただきましょう」
騎士はそう言って、薄い唇の端をにいと吊り上げた。
息ができない。
酸素を求めて首に力を入れるが、抑え付けられて叶わない。
口から空気が漏れ、ごぼごぼと嫌な音がする。
喉に入り込んだ水が、ラウレンツの頭を白くした。
意識が飛びそうになった瞬間、首を掴んで引き上げられる。
「ごほっ、ごっ……は──」
肺が求めるがまま空気を吸い込む。
望まずに体内に流れ込んだ水が零れ落ちた。
ラウレンツが繋がれていた両手首の鎖は伸ばされ、用意された大きな水桶にまた頭が押しつけられる。
繰り返されるうち、少しずつ頭が働かなくなっていくのが分かった。
「──っく、がは……っ」
「ああ、話したくなったらいつでも言ってくれて構いませんよ」
ラウレンツを囲む騎士は四人。
シルヴェーヌの焦りがその人数から伝わるようだ。
身体にできるだけ傷を付けるな、という言葉からこの事態は覚悟していた。
傷付けずに行える拷問は少ない。
更に時間がないとなると、方法は限られていた。
殺されることはないと分かっているが、呼吸が自由にできないということがこれほど身体を重く、思考を単純にさせていくとは思わなかった。
口を割るつもりは全くないが、どうにかして逃れたいと思ってしまう。
無意味にも頭を振ってしまうのは、本能故だ。
「ふ……っ。ああ、面白いですねぇ」
笑う騎士を殴り付けてやりたい。
自由のない身体が精神まで服従させようとする。
いっそ気を失ってしまえば楽なのだろうか。この男達も情報が得られず困るはずだ。
いっそ溺れてしまおうと、抵抗を止めた。
瞬間、髪を鷲掴みにされて引き上げられる。
「気絶されるわけにはいかないのですよ」
「──……っ」
また水が迫ってくる。
どうせ、どれだけ攻めたところで無駄だというのに。
それならば、いっそエヴェラルドが全てを終わらせるまで付き合ってやろう。
ラウレンツは目を閉じ、繰り返される苦痛を受け入れようとした。
瞬間、階上から大きな爆発音がした。




