10章 華やかな馬車
青い方から先に封を開ける。
──愛しい妹クラリッサへ
そちらの生活には慣れただろうか。
時間がないから、早速本題に入るよ。
あの人に、私の企みがばれてしまった。
もう時間がない。
「──そんな」
その冒頭に、クラリッサは息を呑んだ。
共に手紙を読んでいたカーラも拳を震わせている。
アベリア王国王女であるクラリッサが大国クレオーメ帝国の第三皇子ラウレンツに嫁いだのは、医療技術協力協定により両国の技術と知識を共有するためだと話していたが、実はそれだけでははい。
現在当然のように行われている、王妃の母国であるベラドンナ王国からアベリア王国への政治介入を拒むため、クレオーメ帝国と軍事協力同盟を結ぼうとしているからだ。
アベリア王国内部にはベラドンナ王国の人間が多く入り込んでいる。そのため、ベラドンナ王国には同盟が締結されるまで気付かれないことが前提の策だった。
しかし、作戦はベラドンナ王国の者に勘付かれてしまった。
王妃がベラドンナの血を引かない王位継承権者である異母弟アンジェロを暗殺しようとし、重傷を負わせた。
「『知らせたのは助けてほしいからではない。クラリッサにも危険があるかもしれないから、落ち着くまで身を隠しなさい』って……お兄様……」
クラリッサは唇を噛む。
エヴェラルドは兄として、クラリッサの身を案じてくれたのだろう。きっと今頃は、アベリア王国の王城で単身戦っているに違いない。
もう一通の赤い封蝋がされた手紙は、とても薄かった。
中には便箋が一枚だけ入っている。
王妃からの手紙だった。
──いつまで報告しないつもり?
役に立たない駒はいらないわ。
今すぐ王城へ戻ってきなさい。
「クラリッサ様……っ!」
カーラが泣きそうな顔でクラリッサを見る。
クラリッサは指先の震えを誤魔化すため、手紙を放り投げた。
ぱさりと音を立てて、無駄に上質な真っ白な紙が机の上に落ちる。
両手を握り締めて目を閉じた。
瞼の裏は、眩しいほどの赤色だ。
これまでクラリッサが悪女のふりをして守ってきたアンジェロが、傷付けられた。クラリッサがここでのうのうと暖かな日々を送っていた裏側で。
自分に腹が立って仕方ない。
しかしカーラがクラリッサよりも動揺している今、クラリッサがしっかりしなければ。
今は、ラウレンツもいないのだ。
何の権限もまだ貰えていないけれど、クラリッサはこれでもフェルステル公爵家の女主人なのだ。
「カーラ、落ち着いて。大丈夫だから」
クラリッサには何が大丈夫なのか分からなかった。
それでも、どちらの手紙も黙って無視できるものではないことは確かだ。
「とにかく返事を──」
「──奥様っ!」
エルマーが今度はノックをせずに扉を開けた。
クラリッサもカーラも驚いて勢いよく振り返る。
「邸の外に、アベリア王国の馬車が来ております!」
「嘘!?」
クラリッサが窓の外を見ると、邸のすぐ前の道に華やかすぎるくらい華やかな馬車が停まっていた。
黒い車体に、金の細工がされ、ダイヤモンドが彫り込まれている。
それは明らかに、金山とダイヤモンド鉱山で富を得ているベラドンナ王国が金を注ぎ込んだ、アベリア王国の馬車だ。
馬車の周囲には、ベラドンナ王国の息がかかっている者達であろう騎士が十人以上立っている。
腰には剣を提げており、見ようによっては領土侵犯を疑われるだろう。
「そんな……何でですか。王妃様は何でこんなことを──」
何故かといえば、クレオーメ帝国とアベリア王国の同盟締結を阻止したいからだろう。
そして、自分の駒であるクラリッサを取り返すため。
熱くなった頭がすうっと冷えていく。
クラリッサのことで、国同士の争いにしてはいけない。穏便に片を付けなければ。
「エルマー、悪いのだけど、あの馬車に目的と条件を聞いてきて」
「かしこまりました」
エルマーが部屋を出ていく。
目的を聞いてくるようにとは言ったが、あちらの要求はクラリッサの帰国だろう。クラリッサに考える余裕と逃げ出す時間を与えないように、手紙とほぼ同時に出発したに違いない。
そういうところには、嫌なくらい頭が回る。
クラリッサは机の抽斗から便箋とペンを取り出した。
「……何も残せないのは、嫌だわ」
今は国王との視察のために留守にしているラウレンツ。帰って来てクラリッサがいなければ、きっと驚くに違いない。
ラウレンツが帰ってきたときに、罪悪感を抱かせてしまったら可哀想だ。
──ラウレンツへ
急にアベリア王国に戻らなければいけなくなりました。
夜会に出席できなくてごめんなさい。
私は大丈夫です。心配しないでください。
そこまで書いて、クラリッサの手は止まった。




