10章 お飲みになって
疲労回復や胃の健康に良いセージの葉があったから、風邪を引いたことを想定し、身体を温め喉に良い効果のあるショウガを入れた。
それだけだと地味だったので効果を揃えてハッカやオレンジピール等を適当に足し、一部を煮出してから茶として抽出した。
クラリッサにも分かる。
「──これは、ハーブティーじゃなくて薬ですわね」
気軽にそう言ったクラリッサに、令嬢の一人が苦笑する。
「薬としてはとても良いものなのかもしれませんわ。良いお薬は美味しくないものですから……あ」
「っふふ。事実ですから構いませんよ」
クラリッサも笑う。
穏やかな雰囲気に包まれていたとき、クラリッサの隣のテーブルから誰かがこちらにやってきた。
何事かと思って見ると、そこにいたのはロジーナ・ザイツ伯爵令嬢だ。
以前の夜会で、レベッカと共に絡んできてから、クラリッサは会話をしたことがない。
ロジーナはクラリッサには気付いていないようで、クロエの前で仁王立ちになった。
「まあ、クロエ様。まだこのサロンに参加されていらしたのね。貴女のような子には合わない場だと、以前申し上げましたよね? 素敵なサロンなのに、このテーブルは花がないこと」
クロエは俯いて唇を噛んだ。
今まで楽しげにしていた同じテーブルの令嬢達も、俯きがちにしている。
クラリッサは驚いた。
確かにクロエは子爵令嬢で、他の二人もザイツ伯爵家と比べると家格は落ちる。
しかしクロエはエルトル侯爵家の親戚の子なのだからここに出席するのも当然で、合わない場ということはないだろう。
同じテーブルの令嬢達も振る舞いはしっかりとしていて、少しもこの場にそぐわないところはなかった。
「──ロジーナ様、貴女に言われることではありませんわ。ここにいる方は皆、間違いなく素敵なご令嬢ですもの」
クロエは大人しく、共にいた二人の令嬢も位が高い家の子ではない。
しかもクロエはエルトル夫人と繋がりがある。となれば、目に留まりやすいのも仕方がないと思う。
実際、クラリッサが悪女であればそこを攻める。
「何を──!?」
ロジーナは反論されるなど全く思ってもいなかったのだろう。
誰が言ったのかと勢いよく視線を動かして、クラリッサと目が合うとぴたりと固まった。
クラリッサは口の前で扇を広げて、赤い瞳でまっすぐにロジーナを見つめる。
「花がなくて申し訳ございません。ロジーナ様には私など路傍の草のように見えていらっしゃるのでしょうね」
クラリッサの言葉に、ロジーナが顔を青くした。
「そ、そんな……ことは」
クラリッサは目を細めてロジーナを見る。
エルトル夫人がザイツ伯爵家を無碍に扱えないのは分かる。
しかしこれは、もしかしたら最初からクラリッサにこの関係をどうにかしてほしいという意味でこの席に案内されたのではないかと思わずにはいられない。
もしそうだとしても、頼られているのならば期待には応えなければ、とクラリッサは胸を張った。
「ロジーナ様、私から一つ、アドバイスをさせていただきますわ」
今このクレオーメ帝国の社交界の中で、クラリッサは頭一つ抜けている。
少し前までは新参者で小国の王女、皇族に嫁いではいるが相手にされておらず、後ろ盾もない立場だったのだが、今は違う。
皇太子妃であるレオノーラが公にクラリッサと仲が良いことを主張し、皇族である公爵がクラリッサを尊重する態度を見せている。
つまりクラリッサは今、若い女性の中では最も機嫌を損ねてはいけない存在と言っても良いほどの立場になったのだ。
あの夜会でレベッカが倒れたのもその理由の一つだ。
レベッカのバシュ公爵家であっても、皇太子妃の支持を受けたクラリッサと表立って対立することは避けるだろう。
「な……なんでございましょう」
ロジーナが引き攣った声で言う。
クラリッサは扇の下に歪んだ口元を隠して、目だけは笑みの形で口を開いた。
「人の立場など、ふとしたことで揺らぐものですわ。例えばそう……今、このときのように。ですから、人を見下すときには見下される覚悟をなさいませ」
クロエがクラリッサの態度の変化に驚いている。
先程までの気安さをすっかり全て隠して、クラリッサはなおも見逃すことなどできようもない凄みのある美貌で微笑んだ。
「も、申し訳……──」
「ああ、謝罪は私にされなくて構いませんのよ。ご自身の思うがままになさいませ」
クラリッサがそう言ってのけると、ロジーナは唇を震わせてクロエに向き直った。
「い、今までごめんなさい」
「──……っ!?」
クロエが目も口も丸くしている。
そういう反応をするからつけ込まれるのだと内心で思いつつ、クラリッサはこれ見よがしに溜息を吐いた。
「貴女もまだお若いのですから、同じ過ちはなさらないものと信じていますわ。──ああ、そうだわ。これ、私が淹れたのよ。よろしければ、仲直りの印に飲み干して行ってくださいませ」
クラリッサが自分が淹れたハーブティーを新たなカップに注ぐ。
クロエ達が引き攣った顔でそれを見ていた。
クラリッサは、ロジーナの目の前にカップを置いた。
「さあ、お飲みになって」
ロジーナはクラリッサの突然の行動に驚いているようだ。それでも、この会場で毒を入れることはないだろうと思ったようだ。
たった一杯で許されるのならとそれを手に持ち、匂いも嗅がずに勢いよく口に入れた。
「──!?」
ロジーナの目が見開かれる。
青かった顔が赤くなり、また青くなる。
それでも吐き出すことは自尊心が許さなかったのか、喉を数回上下させて飲み干した。
「ど、毒じゃありませんわよね!?」
「ここにあるものから作りましたのよ。まさか、ここに毒物など置かれているはずがありませんでしょう?」
クラリッサは微笑んで、わざとらしく首を傾げる。
ロジーナはテーブルの上を見て、確かに最初から用意されていたものしかないことを確認して、ふらりと一歩下がった。
完全に敗北を察したのだろう。
主催者に文句を言ったら、サロンに来られなくなってしまう。クラリッサに文句を言ったら、自分が虐められる側になってしまうかもしれない。
心の中では、クラリッサが言ったことが身に迫って感じられているだろう。
「──……た、大変美味しく……いただきましたわ……」
ロジーナが逃げるようにテーブルから離れ、力なく自分の椅子に腰掛けた。
同じテーブルの令嬢達は一体どうしたのかと思いながらも、声をかけられずにいるようだ。
クラリッサは小さく嘆息して、扇を膝の上に戻した。
「さて、邪魔が入りましたが、私達は私達でお喋りを楽しみましょう」
柔らかな声で言うと、クロエがぱあっと笑顔になって、クラリッサに礼を言った。




