10話 何度も叱られていたはずなのに
ラウレンツが出かけて一人広い公爵邸に残されたクラリッサの生活は、特に大きく変わらないと思っていた。
それも当然のことで、ラウレンツとクラリッサが約束をして二人で過ごしていた時間は、食事中くらいだったのだ。
そのため、クラリッサは普段と変わらない生活をすることにした。
一日目は、孤児院に行った。
子供達は相変わらず可愛くて、クラリッサは楽しい時間を過ごした。
しかし、夕方になってもラウレンツは来ない。最近はクラリッサが遅くまで居すぎるからと、迎えに来てくれることもあった。
「クラリッサ様、そろそろお帰りになる時間です」
カーラがクラリッサに言う。
子供と一緒に夕食の支度をしていたクラリッサは、カーラの言葉に驚いて時計を見て、また驚いた。
「もうこんな時間だったのね」
「そうですよ。皆が心配します」
カーラに言われて、クラリッサは鍋をかき混ぜていた手を止めた。
確かに、これ以上ここにいたら帰宅が遅くなってしまう。
「分かったわ。皆、また明日ね」
「はーい」
「さようなら!」
子供達の声を嬉しく思いながら馬車に乗って、フェルステル公爵邸に戻る。
玄関扉を開けると、近くにいた使用人がきっちりと挨拶をして迎えてくれた。
「……何だか、寂しい気がするわ」
クラリッサが呟く。
使用人の皆はいつも通りだ。
悪女として評判だったクラリッサだが、ラウレンツの態度が変わってからはクラリッサを避ける者はいなくなり、皆親切にしてくれている。
嬉しいことなのに、クラリッサは憎まれ口を言ってくるラウレンツの軽い会話を恋しく感じた。
カーラがクラリッサを見て肩を落とす。
「クラリッサ様。明日はエルトル侯爵夫人のサロンにお邪魔するお約束でしたよね?」
カーラの問いにクラリッサは頷いた。
「ええ、そうよ。呼んでくださって嬉しいわ」
以前エルトル夫人のサロンに行ってみたいと話していたが、先日呼ばれた茶会はレオノーラと話すのが中心となってしまった。
嬉しかったが、エルトル夫人のサロンについて話せなかったのは残念に思っていた。
すると、翌日届いた茶会参加のお礼状に、良ければ、とサロンへの招待状が添えられていたのだ。
クラリッサは早速参加の返事をした。
「ですから、早く食べて早く寝た方が良いと思います」
「え?」
「眠いまま参加されて失礼になっては困りますから」
カーラの台詞はもっともらしく聞こえたが、実際のところ、クラリッサを心配しているのだろう。
クラリッサもそれを知っていて、素直に頷いた。
「そうね。ご飯にするわ」
こんなことで心配されるなんて、クラリッサはこの短期間でどれだけ無防備になったのだろう。
感情を素直に見せるなと、何度も叱られていたはずなのに。
翌日、クラリッサは昼間の集まりに相応しい落ち着いた深緑色のドレスを着て、エルトル夫人のサロンに足を運んだ。
サロンはその日の内容によって様々な会場を使っているそうで、今回は皇城の庭園を借りてのガーデンパーティー形式だった。
冬が終わり、少しずつ春の花が咲いてきている庭園は、昼間の優しい日差しが心地良い。
「いらっしゃい、クラリッサさん」
「ご招待ありがとうございます」
クラリッサが礼をすると、エルトル夫人は微笑んで手で中へと案内してくれた。
中には等間隔にテーブルが置かれており、各テーブルにはティーポットとカップが置かれている。
既に十人ほどの女性がいて、仲の良い者同士会話をしているようだ。
「私のサロンは皆でやることを決めているの。今回はハーブティーの調合をやるのよ。アルター伯爵令嬢が得意でいらっしゃるのですって」
エルトル夫人の説明に、クラリッサは笑顔で頷いた。
「そうなんですね。私もハーブを扱うことはあるので、とても楽しみです」
薬草として扱う植物の中には当然ハーブも入っている。
「まあ、そうなの?」
「ええ、母国は薬草学が有名な国ですから」
「アベリア王国よね。聞いたことがあるわ」
エルトル夫人が自然な素振りでクラリッサを会場のやや端の方の席へと案内する。
「こちらの方は若い方を中心とした席にしているから、クラリッサさんもここならお友達ができるかもしれないわ」
「ありがとうございます」
クラリッサが礼を言うと、エルトル夫人は挨拶をして、主催として次の客を迎えるために、会場入り口の方へと戻っていった。
テーブルにはクラリッサと年齢が近い令嬢が一人座っていた。
落ち着いた、と言えば聞こえが良いが、なんとなく頼りなさげな態度の女性だ。年齢はクラリッサと同じくらいだろうか。
クラリッサはできるだけ友好的に見えるように微笑んだ。
「はじめまして。クラリッサ・フェルステルです。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
令嬢はクラリッサに先に挨拶させてしまったことに慌てながら、社交慣れしていないことが分かる不器用な笑みを浮かべた。
「あっ……わ、私はクロエ・コラールと申します。どうぞよろしくお願いいたします、フェルステル公爵夫人」




