9章 壊れてしまいそう
ここから第2部に入ります!
引き続きよろしくお願いします。
それからクラリッサの生活は大きく変わった。
ラウレンツが毎朝食事を共にするようになったのだ。
これまでクラリッサを避けていたのが嘘のように、当然の顔をしてクラリッサの正面の席で同じものを食べている。
「今日は会議があるから、帰宅が遅くなるはずだ。貴女は待たないで先に食べていて構わないから」
「ありがとう、そうするわ」
これまでそんなこと言わなかったのに、今では必ず帰宅時間の予想を伝えてくれる。
というのも、帰宅が間に合えば夕食も共にしているのだ。
あの事件がきっかけになったのは確かだ。
心配をしただろうことも、子供達を守ろうとしたことに感謝されただろうことも分かるが、それにしても突然こんなに優しくされると困惑する。
「今日は孤児院に行く日だろう? 護衛をきちんと連れて行って。お忍びが良いのなら、相応の服に着替えさせてもいいから」
それどころか、こうしてクラリッサの予定まで把握しているのだ。
もう、ラウレンツが受け入れ合った妻のように接するから、声が好みだとか言っていられなくなってしまった。
ラウレンツがクラリッサに向ける一挙手一投足の全てにときめいて、鼓動が煩くて、頬が熱くなって仕方ない。
こんな毎日が続いたら、クラリッサは壊れてしまいそうだ。
「分かったわ。……た、食べましょう!」
「そうだね」
いつものように新鮮な食材を使った料理を食べているのに、邸に来たばかりの頃よりも今の方が食事が美味しい気がする。
一緒に食べる人がいるからか、クラリッサがこの公爵邸を自分の居場所だと思っているからか。きっと、その両方に違いない。
先に食事を終えたラウレンツが席を立った。
「──それじゃ、行ってくるよ」
当然のようにされる挨拶も、これまでにはなかったものだ。
クラリッサは食事の手を止めて、ラウレンツを見上げる。
「いってらっしゃい」
自然と浮かぶ微笑みと共に手を振ると、ラウレンツは僅かに頬を赤くして、ふいと部屋を出て行った。
クラリッサも食事を終えて、自室に戻る。
ラウレンツの態度の軟化と共にこれまで以上に距離が近く親切になった侍女達が、クラリッサに温かなコートを着せた。
「今日は寒くなりますから、お早めに戻られた方がよろしいかと存じます」
「そうね、ありがとう」
クラリッサは返事をしながら、でもラウレンツは帰りが遅いと言っていたと思った。どうせ邸に自分だけなら多少ゆっくりと過ごしても問題なさそうだ。
カーラがクラリッサの心を読んだかのように小さく嘆息する。
「日暮れより早く帰りますからね」
「もう、カーラったら……」
クラリッサは笑う。
最近は、母親からの手紙が届いていない。
アベリア王国での日々を思い出すことも、少なくなってきていた。
最初は基本の読み書きから始めた授業だったが、最近ではほとんどの子供が文字を書けるようになっている。
そのため最近では、算盤を使った計算とその記録についても教えるようになった。
今日も教会での授業には、部屋がいっぱいになるほどの子供達が集まっている。
「私は今日、たくさんの飴を持ってきました。今から配るから、皆、二個か三個か四個ずつ取って回してください。あ、まだ食べちゃだめよ」
そう言って箱いっぱいの飴を教室の左右から回していく。
子供達は当然皆四個ずつ飴を取り、四個取ったことをいたずらでもしたかのように話して盛り上がっている。
それでもクラリッサがぱんと手を叩くと、皆静かになって黒板を見た。
「それでは、近くの人と四人組を作ってください。そして、手の中に好きな数の飴を乗せて。全員が出した数を足して、その式をノートに書いてみましょう」
授業の最初の導入のつもりで始めたこれは、子供達にとても人気だった。
簡単な暗算の練習にもなるし、飴も貰える。
この後は配った算盤で本格的な計算をするので、その最中に舐めて糖分を補給しても良い。
最初はなんとなく始めたことだったが、子供には思った以上に好評だ。
「皆さん、できましたか? それでは、今日も計算を始めます。どうしても興味が持てない人は、ノートと鉛筆を使って別のことをしてもいいですよ」
そう言うと、一部の子供は算盤ではなくノートを取り出した。
以前は全員で同じことをしてもらおうと思ったこともあったのだが、ノートを使い切ったと見せてもらった中には、細かい文字で自作の物語を綴っているものや、静物デッサンで埋められたものもあった。
算盤で計算ができれば良いが、できなくても、飴の暗算ができれば充分な子供はいくらでもいる。
クラリッサは教会の支援の一環だと割り切って、忙しい子供が楽しめる場所であれば良いと思っていた。
これはラウレンツに相談が必要だろうが、いつか皇都の画家や小説家、新聞記者などを連れてきて、専門授業もしてあげたいとも考えている。
授業を終えたクラリッサは町で食事を済ませてから孤児院に移動し、子供達に混じって薬草園や薬学室で作業をする。
以前は器具の使い方や調合の手順で揉めることもあったが、今では小さいノートにまとめてあるため、分からなくなったら確認して的確に作業を進めている。
中には、作った薬のレシピを分量と共に正確に記録している子もいて、将来が楽しみだ。
今日はタムシバの蕾を採取する日とのことで、子供達には届かない高いところにある蕾を脚立を使って摘まんで取っていった。
単純な作業でも皆でやれば楽しくて、あっという間に時間が経ってしまう。気付けば日が低くなり、冬の終わりの風が冷たさを増していた。




