8章 人気あるのね
「この木の実を干していたのなら、少し分けてもらおうかと思ったのよ」
ラウレンツもクラリッサの視線を追って木に目を向ける。
「ネズミモチの実なら、乾燥させてあるはずだよ。後で届けるように──って、やっぱり体調が良くないの?」
「あ、違います! ただ、早く普段通りに動けるようにしたくて」
突然過保護になったラウレンツに、クラリッサはつい苦笑する。
これまでこんなやりとりもなかったのだ。嬉しく思ってしまうのは、クラリッサが単純だからだろうか。
「そうか。……私も、貴女には早く元気になってほしい」
厳しいことを言われていても好きだった声だ。
こうして気遣われてしまったら、そんなの、幸せすぎるに決まっている。
「あ、ありがとう。それじゃ、私は部屋に──」
もうこれ以上、普通の顔ではいられそうにない。
真っ赤になった顔を隠すように、クラリッサは踵を返す。
「クラリッサ」
名前を呼ばれて、足を止めた。
「再来週の皇城での夜会、一緒に行ってほしいんだけど……体調が悪かったら断ろう」
「大丈夫よ。ドレスとかは揃っているから、心配しないで」
クラリッサはそう言って、早足で部屋に戻った。
夜会の日までに、完璧に体調を戻さなければならない。
今すぐ部屋に戻って、少しでも身体を動かして筋力を戻していきたい。
クラリッサは二週間後の夜会に向けて気合いを入れるべく、握った拳を思い切り青い空に突き上げた。
それから二週間後、皇城では大規模な夜会が開かれた。
ラウレンツと共に行くことになったクラリッサは、キャシーに仕立ててもらっていたドレスの中から、淡い紫色のドレスを選んだ。
首元が詰まっていて、胸の上までドレスと同色の上品なレースが使われているものだ。同じレースのグローブを身に付けると、すっきりとまとまった。
装飾品も全て銀色のシンプルなもので統一した。
だからこそ、銀色の髪に飾った白い薔薇と、耳元で揺れるシトリンの耳飾りに人々の視線が集中する。
最初のダンスを終えたクラリッサは、ラウレンツと共に皇族に挨拶に向かった。
皇帝夫妻に挨拶をして、皇太子夫妻の前へ。
ラウレンツの隣で礼をして顔を上げると、レオノーラがクラリッサの耳飾りを見て口角を上げた。
「まあ、クラリッサちゃん。私があげた耳飾り、付けてきてくれたのね!」
レオノーラの声は四人だけの会話には大きすぎるくらいの声だった。
そもそも、クラリッサはレオノーラからクラリッサちゃんなどと呼ばれたことがない。
挨拶を待っている貴族達から、ざわざわと噂が広がっていく。
「ありがとうございます、お義母様。先日のお茶会も楽しかったです」
「ありがとう、私もよ。また誘うわね」
クラリッサとレオノーラの会話をラウレンツが驚いたように見ている。
ラウレンツは皇城にいるから、クラリッサがレオノーラと茶会をしたことは知っているかもしれないが、そこでどれだけ仲良くしたかなどは知らないに違いない。
そして今、レオノーラがクラリッサを支援していることが広く伝わるように行動したため、クラリッサもあえてそれに乗ったのだ。
ざわざわ、ざわざわ。
喧騒の中から、クラリッサとラウレンツの名前が聞こえてくる。
アベリア王国などという小国から嫁いできた王女で、たいした影響力も無いと思っていたのにどういうことだと困惑しているのだろう。
きっと今頃、以前の夜会でクラリッサに絡んできた令嬢達は慌てているに違いない。
未婚の令嬢達にとって、皇太子妃が与える影響はとても大きい。嫌われたら、結婚が難しくなることだってあるのだ。
「クラリッサ、母と仲良くしてくれてありがとう」
ラウレンツが手の甲に口付けながら言う。
クラリッサは微笑んで、小さく首を振った。
「私こそ、仲良くしてくれて嬉しいわ」
そっと肩を近付けると、ラウレンツがクラリッサの腰をそっと抱く。
甲高い悲鳴が聞こえた。何人かの令嬢は、倒れているに違いない。
「ふ、ふふ……二人とも。今度は一緒に食事でもしよう」
「ええ、父上」
ラウレンツが答える。
軽く挨拶をしてその場を離れてから、クラリッサはラウレンツの涼しげな顔を見上げた。
そのなんでもないというような表情も恨めしい。
「やりすぎだったんじゃないかしら?」
「そうかな」
「倒れた子もいるみたいよ?」
会場では何人もの令嬢が運ばれたり椅子で休んだりしている。
今運ばれている令嬢なんて、綺麗な黄色のドレスに真っ赤な葡萄酒の染みが付いていた、きっと飲んでいる最中に倒れたのだろう。
「──……って、あら。あれってレベッカ・バシュ公爵令嬢じゃない」
改めて見ると、それは以前の夜会でクラリッサを転ばせたレベッカだった。
青い顔で後を追っているのはロジーナ達の取り巻きだ。
「ああ。以前からしつこくて参っていたから、丁度良かったよ。ありがとう、クラリッサ」
ラウレンツが良い笑顔で言う。
クラリッサはそれを見て、かえってレベッカが気の毒だと思ってしまった。
しかしクラリッサにそう思われるのも、レベッカ達は望まないだろう。
「……貴方、人気あるのね」
「どうもありがとう」
気軽なやりとりができるようになって、最近はラウレンツとの会話が楽しくなってきた。
クラリッサが小さく笑い声を上げる。
「ただ、夜会の雰囲気を私達のせいで台無しにするわけにはいかないかな」
言われて周囲を見ると、ざわざわと煩くて、せっかく楽団が演奏しているのに、ダンスフロアで踊る者達はかなり少ない。
ダンスを見ている者も少なくてあまり良い雰囲気とは言えなかった。
ラウレンツが右手を差し出して、甘く笑う。
「──もう一曲、お願いしてもいいかな?」




