8章 病み上がりだろう
目覚めて一週間が経ち、クラリッサはようやく部屋から出ることができた。
熱はあの後二日ほどで下がったのだが、縛られた手首と転んだときの膝の傷が残っていた。
突然過保護になったラウレンツがそれを見て、まだ治っていない、と言って許可しなかったのだ。
腕の傷が消え、膝の瘡蓋も取れ始めたという頃、クラリッサはどうにか侍医に、もう普段通りの生活をして体力を取り戻すように、と言わせることができた。
そうして自由になったのだが、早速翌日書店に謝罪と注文の確認に向かったところ、公爵家の護衛が二人付けられて驚いた。
エルマーに確認すると、彼らはクラリッサの専属で、どうやら今後全ての外出に同行するらしい。
「なんだか、突然公爵夫人になったみたい」
クラリッサが溜息混じりに言うと、カーラが苦笑する。
「まあ、旦那様にも思うところがあったのでしょう」
「思うところ……これまでの方がおかしかったのよね。仕方ないわ」
カーラと二人きりの身軽な外出は気楽で良かったのだが、やはり普通はあり得ないことだったらしい。
お忍びというのも、難しいものだ。
そこまで考えて、クラリッサははっと気付いた。
「──って、カーラ。貴女、『旦那様』って」
これまでカーラはラウレンツなどクラリッサの夫と認めないと、ずっと爵位で呼んでいた。
それなのに、今、確かにカーラは旦那様と言った。
「そ、そろそろ認めてあげようと思いまして」
カーラがばつが悪そうに目を逸らす。
クラリッサは笑いを堪えて、カーラが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。
それから、小さく溜息を吐く。
「でも、お医者様の言うとおり、本当に体力は落ちちゃったみたいだわ。もう少し身体を動かさないと」
書店に行って少し散策しただけでも疲れてしまった。
ずいぶん寝込んでいたから仕方ないと思いつつも、思うように動けないというのは辛い。
「それでは、庭を散策してみるのはいかがでしょう。邸の庭は広いですし、良い運動になりそうです」
「そういえば、ほとんど行っていなかったわね」
嫁いできてすぐにエルマーに案内されて以来だ。
クラリッサはカーラの提案に二つ返事で頷いて、散策用に身なりを整え、新調したベージュのウールのマントを羽織った。
クラリッサは邸の中だから大丈夫だと言って、渋るカーラを置いて裏庭にやってきた。
庭には、冬でも楽しめるよう様々な植物が植えられていた。特に邸の窓から見える範囲は、目を楽しませる草花が美しく整えられている。
しかし以前エルマーに案内させて知ったが、この裏庭は少し奥に踏み込めばラウレンツの研究のための薬草園になっているのだ。
体力が落ちている自覚があるクラリッサは、内心で丁度良い薬草が生えていないかと思いながら奥の方へと足を向けた。
できるだけ自然のままを意識して植えられた様々な草木を見ていると、その中に見たことのある木を見つけた。
「あら、これネズミモチだわ」
冬でも綺麗な緑色の葉を落とさずにいるその低木は、秋に付けたはずの実が綺麗に採取された跡がある。
ネズミモチの実は乾燥させると、病後の回復のための薬に使うことができる。
丁度クラリッサの手持ちの分は使い切っていた。
「きっと採取されているはずだわ。エルマーに頼んで、少し分けてもらおうかしら……」
誰に聞かせるつもりもなく呟いたとき、クラリッサの背後でがさりと音がした。
「エルマーに何を頼むの?」
クラリッサが聞き慣れた声に振り返ると、そこにはラウレンツがいた。今日は仕事ではなかったのだろうか。
疑問に思ってつい黙ってしまったクラリッサに、ラウレンツは僅かに眉間に皺を寄せる。
「今日は邸で仕事をしていたんだ。──それより、まだ貴女は病み上がりだろう。冬の庭を一人で歩くなんて、一体何を考えてるの? もう少し自分の身体を労ったら?」
ラウレンツは、話しながら、持っていたチェック柄のマフラーをクラリッサの首に掛けた。
「え……?」
「別に寒そうだから追ってきた訳じゃないから。丁度外を歩こうと思ったら貴女がふらふらしていたから、声を掛けてみたんだ。……ほら、ちゃんと巻いて」
言葉の割に、優しい声だ。
左右の端を持ってぐるぐると巻き付けられたマフラーは、クラリッサの口元までも覆ってしまった。
不器用な温かさに、クラリッサの頬が緩む。
「……それで、エルマーに頼もうかって何のことだったのか、聞かせてくれるよね?」
ラウレンツがそう言って、クラリッサの口元にかかったマフラーをそっと顎の下まで引き下げた。
ぶっきらぼうな手つきなのに、俯きがちに窺った眼鏡の奥の目は照れたように逸らされている。
僅かに染まった頬は、寒さのせいか、それともクラリッサのそれと同じ理由だろうか。
クラリッサは直視できない恥ずかしさを誤魔化すように、またネズミモチの木に視線を向けた。




