7章 いつも心配と迷惑ばかりかけてしまう
手早く入浴と着替えを済ませたラウレンツは、邸を訪れた騎士達から聴取を受けていた。
公爵夫人が攫われかけたのだから、重大事件だ。
取り返すことはできたが、クラリッサは今診察を受けている。
冬に雨に濡れ、荷馬車で乱暴に運ばれていたクラリッサの体温を感じない身体を思い出すと、ラウレンツの胸が痛む。
どうか、何事もないように。
そう願うことしかできなかった。
「──それで、犯人は?」
ラウレンツは騎士に問いかける。
騎士は目を伏せ、首を振る。
「今のところ、所持品からは誰の手の者か特定できておりません」
「拳銃を持っていたのだから、貴族と繋がっているはずだ」
クラリッサが怯えていた通り、破落戸の一人が拳銃を持っていた。クレオーメ帝国で発明された拳銃は、一部の貴族と軍の者しか所持していない。
ただの破落戸が持っているはずがないのだから、そこから炙り出せないかと考える。
「それが、国軍で拳銃が一丁行方不明になっていたようで、それが今回使用されたものと一致しており──」
「なんということを!」
ラウレンツは咄嗟に拳をテーブルに叩き付ける。
管理に厳重な注意が必要な武器だと徹底しているものだ。それが行方不明になっていて、何故ラウレンツのところに報告が来ていないのか。
じんじんと痛む拳を握り締め、騎士を睨んだ。
「何故報告が来ていない? エルトル侯爵からも何も聞いていないが」
「こ、侯爵もご存じでなかったようです」
騎士が怯えた様子で答える。
ラウレンツは状況を理解して、手の力を抜いた。
「──現場で隠蔽されたのだろう。紛失した軍人と、隠蔽に協力した者がどこの派閥か確認して、私と兄上に報告してくれ」
「了解しました!」
騎士が敬礼をして部屋を飛び出していく。
入れ替わりで入ってきた騎士が、ラウレンツに一礼した。
「ご指示いただいた孤児院を全て確認いたしました。フェルステル公爵領内の孤児院にて、武装した者達を確認したため、全員拘束し地下牢に繋いでおります。以降の取り調べは、特務の者達が行うとのことです」
ラウレンツはその報告に、ほっと息を吐いた。
どうやら、クラリッサが恐れた最悪の事態は防ぐことができたようだ。
「良かった……ご苦労さま」
溜息混じりの激励に、騎士が目を泳がせる。
「いえ。あの、夫人は……」
「まだ治療中だ」
短く答えると、騎士は謝罪して部屋を出ていった。
ラウレンツは両手で顔を覆った。
悪女が子供達を人質にされ反撃できないなど、あり得るのだろうか。
意識を失う最後まで子供達のことを気に掛けているなんて、それでは、ただの善人だ。これまでラウレンツが見てきたクラリッサは、何だったのだろう。
「──エルマー」
「何でしょうか、旦那様」
部屋の端に控えていたエルマーが返事をする。
「クラリッサがここに嫁いでからの素行と金の流れをまとめてくれ」
ラウレンツは決心して、エルマーに指示を出した。
◇ ◇ ◇
意識を取り戻したクラリッサは、ふわりとした布団の暖かな感触と慣れた香りに、ここがフェルステル公爵邸の自分の部屋だと理解した。
駆けつけてきたラウレンツと騎士達に助けられた記憶があるから、犯人達も捕まったのだろう。
カーテン越しの日の光が眩しい。
痛む頭と重い身体を面倒に感じながら、両手をついて上半身を起こす。
すると、額に乗っていた濡れたタオルがぽとんと落ちてきた。
「あれ? これって……」
横を見ると、氷が入った盥が置かれている。
熱を出していたのだろうか。それなら、頭の痛みと身体の重さにも納得できる。
側で介抱してくれたのはカーラだろう。
いつも心配と迷惑ばかりかけてしまう。そう思って周囲を見て、クラリッサはそこにいた予想外の人物に目を丸くした。
「ラウレンツ……?」
ラウレンツが寝台の横に置いた椅子に座って、頭を寝台に乗せて眠っている。
緩く波打つプラチナブロンドはあまり手入れされていないようで、いつもより艶がなく少し絡まっていた。
眼鏡をつけたままだから、うっかり眠ってしまったのかもしれない。
クラリッサのことを嫌っているはずのラウレンツが、何故ここで眠っているのだろう。不思議に思って見つめていると、長い睫が小さく震えた。
ゆっくりと持ち上げられて覗いた青い瞳が、クラリッサを捉えて見開かれる。
綺麗な肌に、青い隈が目立っている。
眠れずにいたのだろうか。
「ク……ラリッサ……?」
僅かに上下したラウレンツの喉から、掠れた声が漏れた。
クラリッサは初めて聞く甘い響きに身体を震わせる。
「目が覚めたのか。良かった……本当に、良かった」
動揺するクラリッサに伸ばされた力強い腕。大きな身体が、クラリッサを引き寄せる。
「きゃ……っ」
次の瞬間、クラリッサはラウレンツの腕の中にいた。
抱き締められている、と気付いた瞬間、クラリッサの顔が赤くなる。勢いのままに触れ合った頬が、ラウレンツとの体温の差を思い知らせた。
なんだか良い匂いがする。石鹸のような、花のような爽やかな香りは、ラウレンツのものだろう。強く濃く香って、それがクラリッサの頭をふわふわと溶かしていくようだ。
ラウレンツは腕を緩めないまま、口を開いた。




