7章 あの可愛い子が
◇ ◇ ◇
腕の中で意識を失ったクラリッサを見て、ラウレンツはどうしようもなく動揺した。
顔が青い。
全身が氷のように冷たくて、抱き上げているラウレンツの腕までもじっとりと雨水に濡れていた。
「──家に帰る」
「え、あのでも奥様は皇城に連れて行った方が……」
騎士がラウレンツを引き留めようとする。
しかしラウレンツは、もうこれ以上クラリッサを雨にも人の目にも触れさせたくなかった。
「明日以降連絡する」
それだけ言い残して、追って来させていたフェルステル公爵家の馬車に乗り込んだ。
窓のカーテンを閉め、クラリッサが着ていたコートを脱がせる。
コートは水気を含んでじっとりと重かった。
床に落とすと、すぐに水が染みを作る。
そのまま座席の下から取り出した毛布でくるんで温めようとして、着ているカーディガンとスカートも濡れていることに気付いた。
「こんなに濡れて……」
ラウレンツは濡れた衣服を脱がせながら唇を噛む。
ラウレンツがクラリッサを追いかけることができたのは偶然だった。
午前中に商人達との会合があり、帰り道に商業地区を通りかかったところ、フェルステル公爵家の馬車の車軸が折れ曲がって動けなくなっているのを見つけたのだ。
公爵家の馬車は毎朝の点検を義務づけている。
そのため、車軸が歪んでいたり金属がすり減っていたらすぐに気付くことができるようになっていた。
それなのに、車軸のトラブルなどおかしなことだ。
不審に思ってカーラから事情を聞いたラウレンツは、待たせているというクラリッサの身が気がかりで、書店に向かった。
しかし、そこにいたのは店主だけ。
雨で店の外の様子もよく見えていなかったと言うので、ラウレンツはすぐに店の外に出て周囲を探し回った。
豪雨の中、通常ではあり得ない速度で走る馬車はとても目を引いた。
咄嗟に荷台を見ると、幌の隙間から白い上質な布が覗いている。
どう見ても貴人の服だった。
ラウレンツはすぐに引き返し、馬車から馬を外して飛び乗った。
御者とカーラに急ぎ騎士を呼ぶよう伝え、雨のせいで流れてしまいそうな轍を全速力で追いかける。
ラウレンツが追いついたのは、皇都の外れだった。
その頃には騎士達が揃っており、その内の一人に馬を預けて荷台に飛び移った。
怪我をし、凍えているクラリッサは自分より子供達のことを心配し、伝えるとすぐ意識を失ってしまった。
「──こんな無茶を」
肌着だけの姿から目を逸らして、今度こそ毛布で包んだ。指先が触れた肩が氷のようで、ラウレンツは眉間に皺を寄せる。
「くそ……っ!」
ラウレンツはびしょ濡れの自身の上着を脱ぎ捨てて、毛布の上からクラリッサを抱き締める。
少しでも温めなければ、このまま死んでしまうかもしれないと思った。
頭に浮かぶのは幼い頃のクラリッサだ。
今のクラリッサが悪女だろうが関係ない。あの可愛い子が命を落とすなど、絶対に許せない。
それなのに、孤児院で見た子供達に囲まれている姿が脳裏にちらついた。
ラウレンツには決して向けてくれない優しい微笑みが、雨に濡れたラウレンツの身体を温める。
そんなことが、どうしようもなく悔しかった。
しばらくして、馬車はフェルステル公爵邸に着いた。
ラウレンツがクラリッサを抱えて馬車を降りると、すぐに先に帰していたカーラが駆け寄ってくる。
カーラは毛布に包まった意識がないクラリッサを見て、顔を青くした。
「クラリッサ様……! ああ……そんな──」
ラウレンツはあえてそれには言及せず、側で控えながら悲痛な顔をしているクラリッサの侍女達に話しかける。
「侍医は」
「部屋で待機していただいております」
「分かった」
ラウレンツは少しでも早く、とクラリッサを私室に運んだ。
待っていた侍医はクラリッサの姿を見て顔色を変え、すぐに女性使用人だけを置いて退出するようにと言われた。
ラウレンツは追い出されるようにして部屋を出る。
扉が閉まる直前に、部屋の中から鋭い声で指示を出す侍医の声が聞こえた。




