7章 これだからお貴族様は
街道に他に人気はない。
カーラの姿はまだ見えない。
男性の一人が、胸元から一丁の拳銃を取り出しクラリッサに向けた。
「大人しく付いてきてもらおう」
クラリッサは初めて見るそれに目を見張る。
アベリア王国にはないそれは、人を殺傷する能力がある飛び道具である。
クレオーメ帝国で発明されたそれは、まだ軍隊とごく一部の貴族間にしか流通していないはずだ。
こんな破落戸が持っているのはおかしい。
「子供達の命が惜しければ、な」
クラリッサは唇を噛む。
やられた、と思った。
破落戸だけならば、クラリッサとカーラが力を合わせればどうにかなるかもしれないと思っていた。たとえ拳銃を持っていたとしても、取り上げてしまえばいい。
カーラはクラリッサの護衛ができる程度の強さがあるし、クラリッサも簡単な護身術程度は身に付けている。
カーラが戻るまで長引かせれば勝ち目はあった。
しかし、子供達のことを出してくる時点で、クラリッサの負けだった。
町の孤児院に護衛は置いていない。
この男性の仲間が武器を持って、今にも孤児院を襲うかもしれない。
「言うことを聞けば何もしねえよ。ただ、反抗すれば子供達が挽肉になっても責任は取れねえなぁ」
「……分かったわ。付いていく。だから……子供達には何もしないで」
拳銃を持っていない男性二人が、クラリッサの左右の手首を掴む。加減のない力に、クラリッサは顔を顰めた。
「こっちだ、早く来い」
両の手首を引かれたクラリッサは、土砂降りの中無理矢理走らされた。
雨がコートに染み込んで、どんどん重くなっていく。
クラリッサの足が縺れても、男達は立ち止まりもしない。
ばしゃん、とクラリッサが転んだ。
引かれた腕のせいで、地面に膝が強く擦れる。
「──……っ」
「早く立て!」
拳銃を突きつけられて無理矢理立ち上がらされ、痛む足で駆けた。
連れて行かれたのは路地裏だった。商業地区から少し離れたところにある酒場が並ぶ通りの奥だ。
そこには、窓のない幌付きの荷馬車が止まっている。クラリッサは手首を一つに纏めて縛られ、破落戸の一人が馬車の準備をし始めた。
雨に体温を奪われながら、クラリッサは震える足で立っていた。
今から攫われるのだと思うと、身体が竦む。
一体誰がと考えるが、答えは出ない。
クラリッサが恨みを買っているだろう人間なら、これまでの人生で数え切れないほどいる。
「命令がなければ、俺達がここで犯してやるんだけどな」
「おい、下手なことすんな。あのお方にどやされるぞ」
「面倒くせえな。これだからお貴族様は」
「余計なこと言うな!」
やはり相手は貴族なのだ。
ならば、孤児院のことはただの脅しではない。
震えが大きくなったクラリッサは、馬車の支度が終わると同時に荷馬車の中に突き飛ばされた。
肩が床にぶつかって、だんと激しい音が鳴る。
すぐに幌が下ろされ、クラリッサ一人を残して破落戸達は屋根付きの御者台に移動する。
逃げられるかも、と思ったのは一瞬だった。
とても身体を起こしてはいられないほど乱暴な運転に、上半身を起こしかけたクラリッサはまた床に倒れた。
だから見張りを置かず、全員が御者台に向かったのだ。
悔しい。
これまでも孤児院を含めなにかと外出していたクラリッサだが、いつもカーラを連れていた。
カーラも周囲の人間にはよく気を付けていたし、クラリッサもそうだ。
「……っ!」
馬車が揺れる。
クラリッサは舌を噛まないようにぐっと歯を食いしばった。
カーラが戻ってくるのに、こんなに時間がかかったこともおかしい。ならば馬車か御者にも何らかのトラブルがあったことは明白だ。
カーラと御者が怪我などしていないと良い。
隙間から僅かに光が差し込むだけの薄暗い空間で、クラリッサは目を閉じ、ひたすらに二人の無事を祈った。
聞こえるのは乱暴に運転される馬車の音と、悲鳴すら掻き消されるだろう激しい雨の音だけ。
じっとりと湿った服が、真冬の寒さでクラリッサから温度を奪っていく。
揺れる馬車による痛みがなければ、とっくに意識を失っていただろう。
こんなことなら、迷惑がられてもラウレンツの側にいれば良かった。
もっと積極的にアプローチをすれば良かった。
あの声を、もっと聞いていたかった。
身体の痛みも、もうクラリッサの意識を保たせるには弱い。もう意識を手放してしまおうと諦めかけたそのとき、これまで聞こえていた音とは違う音が微かに聞こえた。




