7章 人は簡単には変わらない
クラリッサと話をした翌日、ラウレンツの執務室にローラントがやってきた。
ラウレンツと同い年で茶色い髪と緑色の目が印象的なローラントは、ラウレンツの友人だ。こう見えて、由緒正しいシュペール侯爵家の嫡男である。
女癖が悪かったり、ノリが軽かったりという欠点もあるが、根は良い人間で信頼できる。
ラウレンツにとっては数少ない気の許せる相手だ。
「なに、まーたこんなに仕事してるわけ?」
ローラントがラウレンツの目の前に積まれた書類を見て呆れている。
ラウレンツは苦笑で返して、書類の山から一部を伏せた。最早側近と言っても良い間柄だが、とはいえ正式な契約を結んでいるわけでもないため機密書類を堂々と見せるわけにはいかない。
「どうせまた余所の仕事が回ってきたんだろ。お前がやらなくても良い仕事もあるんじゃね?」
「……私にできる仕事なら、私がやってもいいだろ」
「はー、分かんね。家にあんな美人な奥さんがいるってのに、なんで城に籠もってるんだか」
「……それは」
ラウレンツは何も言えなかった。
ローラントが言うとおり、ここにある仕事のうちの少なくとも四分の一はラウレンツのものではなかった。
親切の顔をして、他部署からわざわざ貰ってきたものも混じっている。
家に帰りたくなかった。
家に帰れば、クラリッサがいる。
昨夜のクラリッサを思い出すと、どうしてもラウレンツの心は落ち着かなかった。
ラウレンツが姿を見せたときの、心から驚いたという顔。
本当に、見られるとは思っていなかったかのように見えた。
もし悪女が善人のふりをするならば、逆にラウレンツに見てもらおうとアピールしているのが普通なのではないか。
いや、クラリッサが悪女だということはラウレンツ自身も見て知っている。
調べて得た情報も、嘘だと一蹴するには被害者の名前まで正確に書かれていた。
ならばやはり悪女で間違いないのか。
人間、そう簡単に変わらない。ならば今ラウレンツが見ているクラリッサの姿は、やはり作られた偽物なのだろうか。
ぐるぐると思考が渦を巻く。
「そんなにあの悪女が嫌なんだ?」
ローラントが溜息混じりに言う。
「悪女でも良いじゃん、あんだけ綺麗なら。こないだの夜会では服装もちゃんとしてたし。好かれようとして猫を被ってるんだとしても、使用人に見張らせておけば、お前は可愛いとこだけ見ていられるんだし」
咄嗟にラウレンツは口を開く。
「──そういう問題じゃ」
「そういう問題だっての。正直、俺ならめちゃアリだわ」
ローラントがいつもの軽口を叩く。
ラウレンツは、咄嗟に表情が作れなかった。
ローラントが悪女でも美人なら良いとクラリッサを評したことに、胸の奥がちりりとする。
ラウレンツが知っているクラリッサは、そんな人間ではない。
いや、そんな人間だったかもしれない。
幼少期のクラリッサは本当に愛らしくて、勇気があって、心根も優しい天使のような子だったのだ。それを知らずに悪女だと断ずるのは違う。
そこまで考えて、ラウレンツは虚を突かれた。
あの日のクラリッサは確かに、とても素敵な小さな淑女だった。
人は簡単には変わらない。
ならばあの日の純粋な女の子が悪女と呼ばれるようになるほど、辛い出来事があったのだろうか。
もしそうだとしたら、ラウレンツは。
「……お前、変な顔してるぞ」
ローラントがラウレンツをまじまじと見ている。
いっそ不躾なほどの視線に、ラウレンツは右手で目元を覆って俯いた。
「……もう良いから、暇ならあっちの書類手伝ってってよ」
ローラントは慣れた動きで応接用の椅子に座り、テーブルの上に積んでおいた書類に目を通し始める。
「はいはい、分かりましたーっと。手伝ってやるから、もうちょっと悪女様と話してみろよ。あと俺のこと雇って」
「雇われたいなら、いいかげん試験に合格してくれ」
ラウレンツは溜息を吐いた。
ローラントは今、貴族家の侍従と同じ立場扱いにさせてここに入れている。そのため、見せられない書類があるのだ。
能力はあるのだからちゃんと官吏になってくれれれば、すぐにでも補佐官にして側に置くというのに。
ローラントは、官吏登用試験に三連続で落ちていた。
ラウレンツは、絶対にわざとだと思っている。
「善処しますー」
全く心が籠もっていない返事が返ってくる。
ラウレンツもまともな返事を期待していたわけではなかったため、ローラントが手を動かし始めたのを確認して書類に視線を戻した。




