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2章 公の場でこんな声を出してはいけない





 更に二か月後。

 クラリッサはカーラを連れてクレオーメ帝国へと向かう馬車に揺られていた。

 今回の旅は王族の婚姻に相応しく、騎士団の小隊一つと国の外務職員達を連れた大規模なものとなっている。

 それでも親族が誰も共に来ていないのは、やはり悪女であるという事実故だろうか。


 クレオーメ帝国側から提示された条件も、使用人は侍女一人のみというもので、アベリア王国またはクラリッサに対する警戒心を色濃く感じさせるものだった。

 王族の輿入れとしての体裁は整えながら、内実ではただ一人の味方のみを連れて異国に嫁がなければならない。


 クレオーメ帝国に入ってからも馬を代えながら移動して、更に一週間。

 ようやく辿り着いた王都は、アベリア王国とは何もかもが違っていた。

 クラリッサはカーテンの隙間からそっと街の様子を観察する。

 舗装された道には装飾がされており、道に沿って隙間無く様々な店が並んでいる。それらも煉瓦作りの立派なものが多い。アベリア王国の貴族の邸のような外観の服飾店があって、クラリッサは驚いた。


 アベリア王国もそれなりに発展してはいるが、これほどではない。商人達が営む店は王都でももっと小さく、素朴な外観の平民向けのものばかり。貴族は自分の邸に商人を呼ぶのがステータスでもあった。

 しかしここでは、華やかな服を着た貴婦人が友人と会話をしながら先程の服飾店へと入っていった。友人同士で買い物にやってきたのだろう。


 その隣には喫茶店があり、テラス席では女性が新聞を読んでいた。

 女性の社会進出が進んでいるとは聞いていたが、こっそりとではなく人目に触れるところで堂々と女性が新聞を読むことができるとは驚きだ。アベリア王国では新聞を読んでいるなんて生意気だと言う男性も多いというのに。


 アベリア王国では貴族女性ができる仕事は侍女か家庭教師くらいだったのだが、ここではもっと多くの職があるのだろう。

 その光景に、クラリッサはほうと小さく息を吐いた。


「本当に、違う国にやってきたのね」


「すごいですね。ここがクレオーメ帝国……」


 カーラも驚いているようだ。

 お遣い等で外に出る機会が多いカーラの方が、街の違いはより強く実感していることだろう。

 そしてそんな華やかな街で、他のどの建物よりも圧倒的に高く大きなものが、クレオーメ帝国の皇城だ。


「え。クラリッサ様はここの皇族に嫁ぐんですよね?」


「……皇族といっても、結婚を機に臣籍降下して公爵になるらしいけど」


 クラリッサはすぐに訂正した。

 今回、クラリッサと結婚するのをきっかけに、ラウレンツは臣籍降下して公爵を名乗るらしい。王に子供や孫が多い国では、貴族同士の無用な争いを避けるためにはよくある政策だ。


 ラウレンツが名乗るのはフェルステル公爵だ。過去の皇族が使っていた名前らしく、その名前を継ぐことは名誉なことらしい。

 それだけでも、これまでラウレンツがいかに努力してきたかが分かる。


「この大きな国の、公爵夫人ですか……」


 またカーラが言う。


「お願いだから。これ以上緊張するようなこと言わないで……」


 幼い初恋の皇子様ともうすぐ対面するというだけで、クラリッサは緊張している。その相手が立派な人だというのは素晴らしいことだが、恋心が不安を助長する。

 クラリッサは今度こそ、困ったように眉を下げた。


 しばらく街の中心らしい大きな街道をまっすぐに走ると石塀が見えてくる。王城の正門で手続きをして、敷地の中に入った。

 正門をくぐると、目の前に広がったのは大きな庭園だ。

 植木で整理された幾何学模様が、自然と王城までの道をぐねぐねと曲がらせている。色鮮やかな花に目を奪われがちだが、万一の時に城に一気に攻めこまれないようにする要塞としての意味もあるのだろう。

 石造りの横に大きく華やかな装飾がされている主城を囲むように堀があり、跳ね橋が架かっている。

 裏には中小様々な建物が建っており、研究棟や騎士団の詰め所などになっているようだ。


 アベリア王国の華奢で美しい印象の王城とは違う、大きく荘厳な華やかさのある皇城。それに国力と技術の差を感じる。

 以前行ったベラドンナ王国の王城と比較しても、その差は歴然としていた。





 国事が行われる広間の一つに案内されたクラリッサは、アベリア王国の者達を背に、クレオーメ帝国側の者達と対峙した。

 中央にいるがっしりとした男性が、クレオーメ帝国の皇帝である。見るからに強そうで、かつ厳格そうだ。その隣に立っているのが皇太子だろう。


 そして、その隣に、ラウレンツがいた。


 まず目を引くのは、シャンデリアの明かりを受けて輝くプラチナブロンドだ。柔らかく波打つ癖毛は変わらず、うなじが見える位の高さで男性らしく整えている。

 子供の頃から美しかった青い瞳は少しも色を変えておらず、眼鏡越しの視線はとても理知的だ。

 天使のようだと思うほど整っていた顔は変わらず、今は二十四歳という年齢相応に色気があり、女性が好む甘さのある美形へと成長していた。

 背はクラリッサよりも頭一つ分高く、何か鍛えているのか、適度に筋肉質なすっきりとした体型。

 誰がどう見ても、物語の中から抜け出してきた王子様そのものという外見だ。


 クレオーメ帝国の皇帝とアベリア王国の代表が長々と何か挨拶をしているが、クラリッサには何も聞こえていない。

 ただ、幼い日の初恋の皇子様がこんなにも素敵に成長したことに、そしてもうすぐ夫となることに、驚いて固まっていた。


「──互いの国にとって良き縁となるよう願っている」


 皇帝がアベリア王国に向けて言う。

 クラリッサは自分の番だと、一歩踏み出して腰を落とした。皇帝相手の挨拶に相応しいように、しっかりと頭を下げる。

 その姿勢になったことで、着ていたドレスの大胆に開いた背中がクレオーメ帝国側に披露された。

 様々な温度の視線が集まっているのが分かる。


「アベリア王国より参りました、クラリッサと申します。よろしくお願いいたします」


 挨拶は、無難なものにした。非礼なことをするつもりはないが、だからといって、遜ってはクラリッサを愚かな悪女であると認識しているベラドンナ王国側の人間に疑われてしまう。


 顔を上げてラウレンツを見ると、ラウレンツの瞳は冷めた色をしていた。


 きっと失望されたのだろう。

 これでも分かりやすく胸を盛っていたり、足を露出しているドレスは避けたのだ。少しでも上品に見えそうなものを選んだつもりだった。


 しかし、クラリッサの感覚はアベリア王国で麻痺していた。女性の地位が高いクレオーメ帝国であっても、一般的に、尾骶骨のすぐ上まで剥き出しのドレスを控えめとは言えない。

 ラウレンツが冷めた目のまま、姿勢を正して腰を折る。


「クレオーメ帝国皇帝が孫、ラウレンツ・クレオーメです。結婚を機にフェルステル公爵となります。よろしくお願いします」


 よくある挨拶。

 余計なことを何一つ言わない、無駄も温度もない内容だ。

 しかし。


「──……っ!」


 クラリッサは息を呑んだ。

 膝が震える。

 ぞくぞくと、背中に初めて感じる不思議な波が走った。

 頬が赤く染まる。

 恥ずかしくて、不敬だと思われる可能性を理解しながらも隠すために扇を広げた。


「よ、ろしく、お願いしますわ……!」


 低すぎず、息が多いわけでもないのに鼻に抜けるような声だった。

 決まり切った言葉が、何かの歌のように心に直接響く。

 少しゆっくりとした口調のせいか、不思議な色気があった。

 こんななんでもない挨拶なのに、百戦錬磨の男娼に誘われているかのような錯覚に陥る。これは、こんなところで披露されて良い声なのだろうか。

 公の場でこんな声を出してはいけない。今すぐ何か法律を作って規制した方が良いだろう。

 少なくともクラリッサは、こんな声を聞かされてまともな表情を保っていることはできない。


 周囲から見れば、政略結婚の二人が最初の挨拶に失敗したようにしか見えない。

 挨拶からずっと顔の半分を扇で隠しているクラリッサと難しい顔をしているラウレンツに、皇帝が場を取りなすようにこほんと一つ咳払いをする。


「──二人の顔合わせも済んだ。結婚式は予定通り、五日後に大教会で執り行う。それまで、アベリア王国の皆様は我が王城でもてなそう」


「ありがたき幸せでございます」


 クラリッサはまた淑女の礼をし、そうして背中をクレオーメ帝国の皆に披露したのだった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


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