7章 頑張って良かった
ラウレンツから、無理をしなくても離婚をすることはないと念を押されたクラリッサだが、既に子供達との交流を楽しんでいたため、その後も授業と孤児院通いを継続することにした。
しばらく夜会がなかったこともあり、すっかり社交界のことなど忘れていた。
そんなとき、クラリッサの元に一枚の手紙が届いた。
「これ、エルトル侯爵夫人からの手紙だわ!」
クラリッサは手紙の封を開けて便箋を取り出す。上品な百合の香りがふわりと広がり、クラリッサの気持ちは一気に貴族達がいる世界へと引き戻される。
それは、一週間後の茶会への招待状だった。
少人数の身内だけの茶会だから、ゆっくりお話をしに来てほしい、と書かれている。
「本当に声を掛けてくれるなんて、嬉しいわ。あの日頑張って本当に良かった……!」
クラリッサは手紙を胸に抱えて破顔する。
以前参加した夜会で茶会に招待すると言われていたが、社交の場での招待の言葉はその場限りになることも多い。
こうして時間が経ってから改めて誘われたのにも何か理由があるのだろう。
クラリッサは早速机に向かって、喜んで出席すると返事を書いた。
「カーラ、これを届けてもらうようにお願いして」
「かしこまりました」
カーラは嬉しげなクラリッサの顔を見て表情を緩めてしっかりと手紙を受け取った。
「それと、茶会に相応しいドレスってあるかしら?」
「よろしければ、キャシー様に連絡を取りましょうか?」
「そうしてくれる? ありがとう、カーラ」
カーラは一礼して部屋を出ていき、しばらくしてキャシーの返事を持って帰ってきた。
「『丁度新しいドレスがあるから、それを持っていきます』……ありがたいわ。明日か明後日なら大丈夫だとお伝えして」
「かしこまりました」
これでドレスの心配はいらないだろう。
むしろ問題は、クラリッサが今頃になってエルトル夫人に呼ばれた理由が全く分からないことだ。
「どうして今更……でも、行くまでは分からないわよね」
「ええ、そうですね」
カーラが楽しげにわざと呆れたような声を出す。
「もう。カーラったら、もっと心配してくれてもいいのよ」
クラリッサが頬を膨らませると、カーラは何でもないというように表情を緩める。
「クラリッサ様なら大丈夫ですよ。社交界での振る舞いは、とてもよくご存じですから」
「そ、れはそうだけれど! ……緊張するのよ……エルトル夫人のような淑女の茶会に誘われるなんて、これまでになかったもの」
クラリッサは社交界での正しい振る舞いについて、少なくともアベリア王国内では誰よりも詳しかったと自負している。
正しいことを知っていなければ、間違ったことはできない。
意図的に間違いを作り出し『悪女』となるには、必要な教養だったのだ。
しかしクレオーメ帝国内部の人間関係や状況について、クラリッサはまだあまりよく知らない。書類と本で読んだ程度の知識はあるが、実際に会わなければ人となりは分からないことが多い。
エルトル夫人は顔が広いため、主催する茶会に誰が来るのか想像できないのも困るところだ。
「大丈夫ですよ」
カーラがまた言う。
クラリッサは苦笑して、当日までの間にもっと情報を集めておこうと決めた。
エルトル侯爵邸は皇城の真裏にあり、広大な土地を有している。
それは国防を担っている家だからこそのものであり、同時に国軍や騎士の演習と宿泊に使われているためでもある。
クラリッサはキャシーに用意してもらったドレスを着て、約束の時間丁度に侯爵邸を訪れた。
首回りと裾に白いファーが付いたウールのマントは、この冬の新作だ。中に着ている起毛素材の薔薇色のドレスは、光の加減で薔薇の花の模様が浮き出て見えるようになっている。
腰と袖口にあしらわれた臙脂色のリボンとの組み合わせは、幼く見えてしまいそうな色合わせを絶妙に美しく纏めていた。
クラリッサは使用人の案内で邸内に入り、茶会用に支度された温室に通された。
奥に置かれたテーブルに女性が二人座っている。
クラリッサは膝を折って礼をし、挨拶の言葉を口にする。
「──ごきげんよう、夫人。本日はお招きいただきましてありがとうございます」
「ようこそ、フェルステル夫人。……ここではクラリッサ様とお呼びしてもよろしいかしら」
エルトル夫人の友好的な声音に、クラリッサは安堵と共に顔を上げる。
「ええ。ご自由にお呼びいただいて──」
言葉が切れたのは、そこにいた人物が意外すぎたからだ。
エルトル夫人と仲が良いとは聞いていた。だからといって、貴族の個人が主催する茶会に気軽に参加できる立場の人ではないため、いるとは思わなかった。
クラリッサは慌ててまた腰を落とす。
「こ、皇太子妃殿下……! 本日はお会いできて大変光栄でございます」
そこにいたのはクレオーメ帝国の皇太子妃、レオノーラだ。
レオノーラはラウレンツの母親だ。クラリッサにとっては義母にあたる。
レオノーラはクラリッサに穏やかな微笑みを向けた。




