6章 呼び捨てにするように言っただろう
「ありがとう、連れてくるね!」
女の子がぱたぱたと走って薬草園を出て行く。
話の中に名前が出てきた女の子達が来るのだろうかと思っていたクラリッサは、薬草園に集まってきた二十人あまりもの子供達に驚いて目を見張った。
「皆、どうしたの?」
「ここの草の名前教えてくれるんでしょう? いつも『持って来て』って言われるのに、分かんなくなることが多くって」
「僕も、もっと知りたいから」
子供達は口々に理由を言う。
「大人になったら、自分の店を持ちたいと思ってるの!」
「えー無理だよ」
「分かんないじゃない!」
子供達が話すのは知識への欲求と未来の夢だ。
それは、きっとラウレンツが薬草学を教会と孤児院を起点として広めようとしなければ抱かなかったであろう願い。そして、クラリッサが教えた知識が無ければ繋がらなかった思いだ。
クラリッサはぱんぱんと手を打ち鳴らして微笑んだ。
「皆、理由はそれぞれで良いのよ。とても素敵だと思うわ。だから、喧嘩をしないで。ね?」
クラリッサが言うと、ばつが悪そうに黙る。その素直さを愛らしく感じながら、クラリッサは早速近くにあった草をそっと指さした。
「これがアロエ。皆もよく使うのではない?」
数人の子供達が頷く。
クラリッサは頷いて説明を続けた。
「皆が使うときには転んだときが一番多いかしら。便秘や関節炎、筋肉痛などにも効果があるわ」
アベリア王国では身体に良い食べ物としてヨーグルトなどに混ぜることもある。それくらい一般的な薬草だ。
「これがリュウノウギクね。生の葉っぱが傷に効くのよ。これもきっと身近ね。他にも──」
クラリッサの説明を、子供達は絵や文字を書きながらよく聞いている。
薬草に興味があるというのもそうだが、ここで作っている薬が孤児院と教会の運営資金になることも、ここでの知識が将来の自分達の糧になることも気付いているのだ。
「真剣に覚えようとするのは良いことだけれど、無理にやって辛くなったら大変だからね。楽しく覚えられるくらいで良いの。皆には、たくさんの未来があるんだから。薬草学に興味が持てなくても、計算が好き、本が好き、絵が好き、服が好き……それで良いの」
孤児院からの就職が難しいというのは、どこの地域にもある問題だ。
身元がしっかりとした人間を雇いたいという店側の気持ちも理解できてしまうのが困ったところだ。
それでも、そういった困難を無くしていくのがクラリッサ達の仕事なのだ。
「そういう未来を、きっと作るわ」
クラリッサはふわりと笑う。
それに見蕩れていたのは、子供達だけではなかった。
子供達を孤児院の中に帰して、クラリッサは薬草園の中をぼんやりと歩いていた。
もうそろそろ帰らないと、フェルステル公爵家も夕食の時間になってしまう。そのときに部屋にいなければ、どこに行ったのかと探されるかもしれない。
エルマーあたりはきっとクラリッサの行動を知っているだろうが、だからといって何も口出しをしてこない。
ラウレンツは、クラリッサがいてもいなくても気にしていないに違いない。
クラリッサがどんなにラウレンツのことを好きでも、ラウレンツがクラリッサを嫌っていることをクラリッサは誰よりもよく知っている。
アベリア王国にいたとき、悪女であったクラリッサのことを皆が気にしていた。
何かやらかしやしないかと、一挙手一投足を監視されている気分だった。
どうせクラリッサが何かをやらかしても、止められる者などいなかったのに。
「──楽しかった、な」
クラリッサを慕ってくれる子供達と、幼い頃から触れていた薬草。
悪い注目がない、穏やかな場所。
公爵邸で誰もクラリッサを求めていないのならば、『結婚した』事実さえあれば誰も文句を言わないのかもしれない。
いっそ、クラリッサが家に帰る理由なんてないのかもしれない。
思わず溜息が溢れる。
「ラウレンツ様……」
ぽつりと名前を口にしたのは、それでもラウレンツにクラリッサのことを見てもらいたいと思っているからだ。
クラリッサだって、まさか公爵夫人が無断外泊などしたら事件になることは知っている。ラウレンツにそんな迷惑をかかえることは本意ではない。
だから、帰るつもりだ。
どうしても込み上げる溜息をもう一度吐き出した。
そのとき、クラリッサの背後から声がする。
「──呼び捨てにするように言っただろう?」
びくり、とクラリッサの身体が固まった。
この声をクラリッサが聞き間違えるはずがない。
低くよく通る、歌うような穏やかな声。
不思議と優しく響く声。
世界のどんな音よりも、クラリッサの心を揺さぶる、大好きな声だ。
「ラウレンツ……」
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