6章 おこられないほうほう
教会横の応接室で紅茶を淹れてもらったクラリッサは、神父と向かい合って座る。
紅茶は高級な物ではないが香りが良く、こだわって選んでいるものであることが分かった。
「──子供達は元気があって可愛らしいですね。自分ができることに一生懸命になっているのが分かります」
アルとヨハンが言い合いになったのは、二人とも作業に真剣だったからだ。
考えているから、ああして言い合いが起こる。
どちらかが適当な気持ちであれば間違っても気付かないか、言い合いになんてならないだろう。
「そう言っていだたけて嬉しく思います」
「まだ嫁いできたばかりで知らないことばかりですが、子供達が真剣なことと、職員も神父様も皆が薬草学と真面目に向き合っていることが分かって、私も嬉しいです」
クレオーメ帝国では、ラウレンツとクラリッサの結婚によってアベリア王国の薬草学が持ち込まれたことが国民に知られている。
充分な医療を受けている貴族の中には、たかが薬草のために自国の皇子を使うのかと言う者もいるそうだが、市民からは好意的に受け入れられているという。
特にラウレンツは、国民の健康のため結婚をしたのだと国内での名声は更に上がっているようだ。
ただどうしても手の回っていないところはある。それが、先程のアルとヨハンの喧嘩の原因だ。
「神父様。私に、ここで子供達に授業をする許可をいただけませんか?」
「……授業、ですか?」
「ええ。基本の算術や言語ではなく、薬草学を発展させるために必要な基礎知識という形でやるのが良いかと思いまして」
クラリッサは微笑む。
貴族の女性が孤児院や教会で授業をするというのは定番の慈善活動だが、実際のところ、素直に参加する子供はあまり多くない。
やはり授業がつまらないからという理由のこともあるようだが、授業をする側の問題ばかりでもない。
貧しい子供の中には貴族を嫌う子も多く、そうでなくともある程度の年齢になると外に働きに出られる時間を潰してまで受けるものではないと思われがちだ。
そのためこの神父もきっと迷うことだろう、とクラリッサは思った。まして神父はクラリッサのことをあまり知らないのだ。
しかし、領主夫人の申し出を断りもしないだろう。
「──分かりました、ありがとうございます。よろしければ、子供達の参加は任意でも構いませんか」
「ええ、そうね。皆忙しいでしょうから」
クラリッサが言うと、神父はあからさまに安心したような顔をする。
クラリッサはその変化に小さく笑って立ち上がった。
「そろそろ片付けも終わったかしら。今日は子供達と遊んで帰るだけにしますね」
「はい。どうぞこちらです」
神父も立ち上がり、クラリッサは部屋を出た。
それから数日経ち、授業の支度をしたクラリッサは、ラウレンツと同じ時間に朝食を食べてすぐにフェルステル公爵邸を出た。
前回と同じ御者に同じ目的地を告げ、朝の掃除が終わる頃の教会に到着する。
孤児院の隣の教会には、広く町民達が利用できるホールがある。そこでクラリッサは授業をすることになっていた。
時間になると、そこにはクラリッサが思っていたよりもずっと多くの子供が集まっていた。孤児院の子供達もいるが、町の子供も多いようだ。
磨かれた床に直接腰を下ろし、クラリッサの様子を窺っている。
「──おはようございます。クラリッサと申します。よろしくお願いしますね」
クラリッサはにこりと笑って、カーラに指示をして皆にある物を配った。
ホールがざわざわと騒がしくなる。
クラリッサはぱんと手を打ち鳴らした。
「これは鉛筆とノートです。使っている人も、大人が使っているのを見たことがある人も、初めて見る人もいるでしょう」
クレオーメ帝国では、ノートと鉛筆は高価な物ではない。一般市民でも買える程度のものだ。
とはいえ、孤児院の子供用には購入していない。本は数冊あるが、子供に落書きをさせないようにか、鉛筆は無かった。
それは他の家でも同じなのだろう。
ノートは小さめに、服のポケットやポシェットに入るようにした。
「これは自由に使って良いですが、今後私の授業を受けるときには必ず持ってきてください。全部のページを使い切ったら、見せてくれたら新しい物をまたあげます。……そして、私が皆に教えるのは、これの使い方です」
クラリッサは黒板に大きく文字を書いた。
反応を見る限り、読めているのは半分より少し多いくらいだろうか。
「『おこられないほうほう』と書きました。私はこのノートを使って、記録についての授業をします」
子供達はその授業テーマに驚いたようで、手元のノートと鉛筆からクラリッサに視線を移した。
「大人から、『やっておきなさい』と言われたことを忘れたことがある人はいますか?」
笑いながら、ほとんどの子供が手を上げる。
「料理に入れる材料と量を間違えて失敗した人は?」
今度は先程よりも少ないが、別の子供も手を上げている。
「そうね……薬やお菓子の作り方を教えてもらったのに、作り方を忘れてしまった人は? 人の名前を忘れてしまった人もいるかしら」
クラリッサの質問に、子供達は手を上げたり、笑ったり、近くにいる子供同士話をしたりと忙しい。
意識がクラリッサの話に集まったところで、クラリッサはノートと鉛筆を軽く掲げた。




