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きまじめ悪女の薬箱〜初恋の皇子様に嫁ぎましたが、彼は私を大嫌いなようです〜【書籍化・コミカライズ決定】  作者: 水野沙彰
第1部

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5章 悪女は強いな

 背筋を伸ばして、顎を引いて。

 扇で口元を隠すのは、感情を隠すため。

 怒りを全面に出してしまっては、恐ろしくない。

 こういう場での戦い方なら自信がある。何せ、もう何年間も第一線で演じてきたのだ。


「な……なんて」


「お花畑、と申し上げましたの、レベッカ様。ロジーナ様。それと……ああ、後の方は、ごめんなさいね。お名前を存じ上げなくて」


 レベッカはバシュ公爵家の、ロジーナはザイツ伯爵家の令嬢だ。

 レベッカについては、貴族名鑑に手書きで書き足されていた。美しさと家の力から、クレオーメ帝国の年若い令嬢達の間では強い力を持っているという。

 その友人であるロジーナと、残りの三人は取り巻きだ。


 クラリッサが名前を知らない、と言ったことで、後方にいた三人の令嬢は怒りに頬を染めている。

 顔を見ただけで初対面のレベッカとロジーナが分かった人間が、その取り巻きの名前を知らないはずがない。

 実際、クラリッサは三人の名前を知っていた。

 しかしあえて知らないと言い切ることで、取り巻きの令嬢達を家ごと馬鹿にしたのだ。


 レベッカはクラリッサが自分の名前を知っていること自体は当然だと思っていたのか、慌てる様子もなく言葉を続ける。


「まあ、なんて失礼なお方でしょう。どこのどなたかしら。皆さん、知っていらっしゃる?」


「いいえ、どなたでしょう」


「私も存知ませんわ」


 レベッカが、クラリッサに言い返してくる。取り巻きの令嬢達もころころと笑い声を上げた。

 クラリッサを知らないなんてことはあり得ない。

 レベッカ達は、クレオーメ帝国よりも小さい国から嫁いできた社交界の新参者であるクラリッサを自分達よりも下に置きたいのだ。クラリッサが取り巻きの令嬢達を知らないと言ったことの意趣返しでもあるのだろう。


 クラリッサは扇の陰で小さく笑って、こてん、とわざとらしく首を傾げた。


「あらまあ。私のことをご存知でないなんて……今日の夜会にそんな方がいらっしゃるとは思いませんでしたわ。これでも私、今夜は随分目立っていたと思っていたのですけれど……もしかして皆さん遅刻されたのですか? 駄目ですわよ、皇帝陛下よりも早く会場にいるのはマナーの基本ですわ」


「そんなこと知っておりますわ!」


 レベッカがかっとなってクラリッサに言い返す。


「あら、知っていらっしゃるのですか。会場の外とはいえ、初対面の私に話しかけるときに名乗らずにいらっしゃったので、てっきりご存知ないのかと思っておりましたのよ。ごめんなさいね」


 クラリッサはぱちん、と音を立てて扇を閉じた。

 レベッカは自分こそがこの社交界の華だと思っているのだろう。もしかしたらこの国の年若い令嬢達は、レベッカのことを悪女だと思っているのかもしれない。


 社交界では、悪女に必要なものがいくつかある。

 まず家の権力。

 次に美貌。貴族令嬢にとって、美しさは武器だ。

 そして最後に、他の者には負けないという強い覚悟だ。


 扇を左手に軽く持ったまま、クラリッサは艶やかに微笑んだ。

 アベリア王国では傾国とまで言われた美貌だ。こんな表面だけ取り繕った令嬢に劣るものではない。

 完璧な礼は、貴族としての格と知性を。

 派手ではないながらも充分に予算をかけたドレスの光沢は、家の力を。

 大勢に向かって来られても少しも震えない指先に、心の強さを。


 何一つ譲らないという強い覚悟を乗せて、クラリッサは狙いを定めた猫のようにレベッカ達を見た。


「あら、私としたことが、名乗っておりませんでしたわね。私は、クラリッサ・フェルステル。フェルステル公爵であるラウレンツの妻ですの。どうぞ、以後お見知りおきを」


 レベッカの顔が赤くなる。

 ロジーナも慌て始めたあたり、これがクラリッサに絡んできた理由だと考えて間違いないようだ。


「ラウレンツ様もこのような悪女と結婚させられて、なんてお可哀想なのでしょう。きっと大変なご苦労をされるのでしょうね」


「貴女には関係の無いことでしてよ。他人の家のことに口を出されるなんて、なんて無粋なのでしょう」


 レベッカはラウレンツのことが好きだったのだろう。

 皇族であるラウレンツが国内貴族と縁組みをする場合、それは国にとって重要な理由がある場合だ。例えば権力の均衡のためや、重要な鉱山が発見された等。

 恋愛ではなく政治によらなければ、安定している国であってもほんの少しの乱れで、簡単に国は荒れる。


 皇帝の権力が安定しているクレオーメ帝国の皇太子の三男であるラウレンツの場合、レベッカと結婚するよりは、なんなら平民の娘でも相手にした方が余程平和だ。間違えたら、次代で皇太子位争いが起こってしまう可能性がある。

 実際のところ、相手には争いの起こらない平和主義の低位貴族か、帝国よりも小さい国の王女が無難だろう。だからクラリッサが選ばれたのだ。


 つまりクラリッサが嫁いでこなくても、レベッカはラウレンツの相手たり得なかった。

 可哀想にも思うが、だからといってクラリッサが怪我をさせられて良いという訳ではない。同時に、気の弱い令嬢達が虐められるのも見過ごせない。


 攻撃するなら令嬢らしく言葉で、クラリッサに対してすれば良いのだ。


「怪我は大したことないようですから、今日のことは大事にはいたしませんわ。ご安心なさって。──まあ、こんなところで、随分時間を使ってしまいました。では、夫が待っておりますので。ごきげんよう」


 怪我、とあえて口にしたのは、今回だけは見逃すという宣言だ。会うたび怪我をさせられては堪らない。


 くるりと踵を返して、痛みがある右足首を庇わないように颯爽と歩く。

 弱いところなど見せるつもりはない。

 付け入られる可能性は全て排除して、少しも揺らがないところを見せつけるのだ。

 角を曲がったクラリッサの背後から、悔しがるレベッカの声と宥める取り巻き達の声が聞こえる。姿が見えなくなったからって声も聞こえなくなるわけではないのに、詰めが甘い。


 やり返される経験がほとんど無かったのだろうか。もしかしたら、これまでは困ったら暴力に訴えてきたのかもしれない。

 一般的な令嬢ならば、転ばされた時点で気力を削がれているのだから。


 そんなことを考えながら歩いていると、前方の廊下に人影が見えた。壁に寄りかかっていて月明かりに照らされていないその人物は、クラリッサが立ち止まると姿勢を正した。


「……悪女は強いな」


 眩しいほどの満月が、その姿を露わにする。

 金色の髪に月明かりが反射し、淡い銀色の光の輪を作る。眼鏡越しの目はよく見えなかった。


「ラウレンツ、聞いていたの?」


 どうして廊下にいるのだろう。中で友人と話していたはずなのに。不思議に思いながらも駆け寄ると、ラウレンツはクラリッサの表情を窺うように覗き込んだ。


「怪我をしたの?」


 聞かれていた、と思った。

 折角今日まで悪女脱却を目指して頑張ってきたのに、思いきり悪女らしい行動をしていたところを見られてしまった。

 クラリッサは一縷の望みをかけて、ラウレンツに問いかける。


「……どこから聞いていたの?」


「別に」


「待って、返事になっていないわ」


 言葉を濁すラウレンツに、クラリッサは余計に慌ててしまう。

 咄嗟にラウレンツの手首を掴もうと手を伸ばすと、逆にラウレンツから手を掴まれてしまった。


「クラリッサこそ、先に答えてよ。怪我をしたの?」


 逃げられない、と思った。

 クラリッサは小さく嘆息して、緩く首を振る。


「大したことじゃないのを、大袈裟に言っただけよ。そうすれば、少しは大人しくなると思って」


 嘘だった。

 弱みを隠すことになれすぎたクラリッサは、こんなときでも甘えることを知らなかった。隠していれば、まだ再会して間もないラウレンツならば気付かないだろう。


「──そう」


 ラウレンツはつまらなそうにそう言った。


「だから気にしないで。それより、どうしてここにいるの?」


「姿が見えなかったから、いた場所の近くにいた給仕を捕まえて聞いたんだ」


 どうやらラウレンツなりにクラリッサのことを気にしてくれていたらしい。

 クラリッサは嬉しくなって、さっきまで作っていたものとは違う笑顔でラウレンツの顔を見上げた。


「心配させてしまったのね。そろそろ陛下の挨拶の時間かしら」


「そうだよ。……中に戻ろうか」


「ええ、そうね」


 こんなところにいても仕方がない。

 クラリッサはラウレンツの腕に右手を掛けて、まだ痛む右足首を全く庇わずに歩き始めた。

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