5章 淑女は社交も頑張ります
「先程は失礼いたしました。なにせこちらの国では初めての社交の場ですから、夫が過保護になっているようでして」
ラウレンツの過保護する態度を、クラリッサがまだ国になれていないからだと言い訳する。
エルトル夫人もそれが言い訳だとは分かっているだろうが、こういった場合には受け流すのがマナーでもあった。
ならば、無粋なことはしない人だろう。
「いいえ。私こそ、若いお二人を無理に引き離してしまったようで心苦しいですわ」
「あら、そんな」
クラリッサは扇で口元を隠しころころと笑って見せた。
エルトル夫人が目を細める。
「ですが、フェルステル夫人とお話ししたかったのは本当ですのよ。ようこそ、クレオーメ帝国へ。こちらでの生活にはもう慣れましたか?」
「そうですわね……まだ街には出ておりませんが、邸には慣れてきました。公爵家の使用人は皆親切で、学ばせてもらうことも多いですわ」
今度は心からの言葉だ。
侍女達とは仲良くなることができ、図書室通いも楽しい。なにより自由でいられる今がとても幸福なことだとクラリッサは知っている。
「まあ、謙虚なお言葉ですわね。アベリア王国の王女様ですのに」
試されている、と思った。
クレオーメ帝国のことを、そしてエルトル夫人のことをどれだけ知っているのか。
クラリッサは嫁いできてから、図書室でたくさんの本を読んできた。
その中には貴族名鑑もある。
フェルステル公爵家の所有する貴族名鑑はとても良いもので、当主は似顔絵を、家族については社交界で一般に知られているとされる情報の全てが記載されていた。
異なるインクで書き足されていた箇所があったのは、覚え書きのためにラウレンツかエルマーが書き足したのだろう。
そのお陰で、クラリッサは隣にラウレンツがいなくても不安になることはなかった。
「嫁いできた以上、私はクレオーメ帝国の社交界では新参者でございますわ。こうして話しかけてくださって、とても嬉しく思っております。……こうしてご縁をいただけましたので、できればサロンを長く続けていらっしゃる夫人から、これから色々とご教示いただきたいのですが……」
エルトル夫人のサロン。
それはクレオーメ帝国の貴族女性が主催している中でも最も所属者数が多く、内容も多岐に渡っていると本に書かれていた。皆で刺繍をしたりケーキを食べるサロンではなく、女性達が得意なことを教え合うものであるらしい。
アベリア王国にはないものだったので、クラリッサも興味を引かれていた。
それに、そういう場ならば貴族女性の友人も作りやすいかもしれない。
「まあ、もうそんなことを知っていらっしゃるの?」
「当然ですわ。夫人のサロンは有名ですもの」
ふふ、と上品に笑うクラリッサに、エルトル夫人が僅かに眉を下げる。
扇で口元を隠す様子から、迷っているのだろう、と思われた。
エルトル夫人ならばクラリッサの噂も当然耳に入っているだろう。自分のサロンに悪女を入れたとなれば、問題が起こるかもしれない。
クラリッサは適当に誤魔化されて断られることも覚悟した。
「──では、一度お茶をご一緒にいかがですか? ご招待いたしますわ」
「よろしいのですか?」
クラリッサは僅かに目を見開いた。
「ええ。私、他人のお話はあまり信じない方ですの」
はっきりと言うところから、エルトル夫人のさっぱりとした性格が推し量れる。
これまで噂と見た目で判断されることが多かったクラリッサは、きちんと場を設けて会おうとしてくれることが心から嬉しかった。
「ありがとうございます……!」
クレオーメ帝国初めての社交の場。
正直、次に繋がる出会いがあるなんてほとんど期待していなかった。いや、頑張ろうと決めてはいたが、その努力が報われるとは思っていなかった。
ラウレンツと結婚したクラリッサは一躍時の人で、一定以上の地位の人間ならば情報を集めることは容易だ。
淑女らしいドレスを着て、ラウレンツの隣で優雅に振る舞っていれば、少なくとも見た目でラウレンツに恥を掻かせることはないと、その程度の思いだったのだ。
「──あら、私に招待されただけでそんなに喜んでくれるなんて。嬉しいわ」
「あ……お恥ずかしいです」
エルトル夫人の余裕の表情は、やはり経験の差だろうか。クラリッサがこうして内心では慌てていることも、きっと気付いているのだろう。
それでも言葉にしない優しさに、クラリッサは助けられた。
そのとき、不意にエルトル夫人がクラリッサの背後に視線を向けて笑みを深くした。
クラリッサも気になって振り向くと、そこにはエルトル夫人と同年代の女性達が集まっている。その中に皇太子妃もいて、クラリッサは軽く腰を折った。
「ごめんなさいね、友人が呼んでおりますわ。後日手紙を送りますから、お返事を頂戴ね。フェルステル公爵様もそろそろお戻りになると思いますから」
エルトル夫人はクラリッサに申し訳なさげな顔をして挨拶をする。
クラリッサは気にしないでというように、ふわりと笑った。
「ええ、お気遣いありがとうございます。ごきげんよう」
去って行くエルトル夫人の背中を見送って、クラリッサは給仕から新たなグラスを貰った。




