5章 伝えたいのに伝わりません
玄関まで手を繋いだまま、使用人達に見送られる。公爵家の馬車に乗るときも、これまでにはされたことのないエスコートをしっかりされた。
馬車に乗って、向かい合う席に腰掛ける。
手は、当然のように離された。
前回二人で馬車に乗ったときのように、無言になってしまうのは避けたいクラリッサは、必死で共通の話題を探す。
「──皇城に行くのは久し振り。ラウレンツ……は、いつも行っているの?」
まだラウレンツ様と呼んでしまいそうになる。
敬語でない話し方にも慣れないが、慣れていくしかない。新婚なのだから、まだまだこれからだ。
「私は皇帝の補佐もしているから。その関係上、ほとんど毎日皇城に行っているんだけど」
「ごめんなさい。知らなかったわ」
クラリッサは話題を間違えたことを悟った。
夫の仕事にすら興味のない、冷酷な妻だと思われたらどうしよう。
「あ、ええと! これまで聞く機会もなかったから……」
違う。これでは、会話をしなかったラウレンツを責めるように聞こえてしまう。
「ではなくて、私は」
どう言おう。どう言えば。
これまで何度もクラリッサは貴族らしい言葉遣いを意識して使ってきた。
自然と浮かぶ言葉は、そんなものばかりだ。
しかしそれではきっと、伝わらないのだろう。
「ラウレンツ。貴方のことを、もっと知りたいと思っているのよ……っ」
上気した頬。潤んだ瞳。
包み隠さず口にした言葉は、華やかな形容も婉曲的な表現もないのに、伝わるような気がした。
それなのに、本当に伝わってしまったらと思うと胸が苦しい。
そんな相反する感情に揺れ動く乙女心など全く理解しないというように、ラウレンツはふんと小さく鼻で笑った。
「さすが、アベリア王国一の『悪女』だな。私まで騙されそうになったよ」
「──……ふふ、そうでしょう」
クラリッサは咄嗟に笑顔の仮面を被った。
寂しい顔を見せてはいけない。
染み込んだ習性が、素直な行動の邪魔をする。可愛げがないのは分かっていても、簡単には変えられない。
いつの間にか皇城に到着していた馬車が停まる。
先に馬車から降りたラウレンツが、クラリッサをエスコートするために手を差し出した。
皇城の大広間に入った瞬間、クラリッサの耳は周囲の音を正確に拾った。
「あれがラウレンツ様の奥様?」
「アベリア王国の……」
「悪女だって噂だけれど、大丈夫なのかしら」
「すごく美人じゃん。俺あの子になら遊ばれても良いかな」
「いや、フェルステル公爵の嫁だぜ。止めとけ。睨まれたらやばいっしょ」
「ラウレンツ様と結婚するのは私だと思ってたのに」
噂話をされることも、周囲から冷めた目を向けられることも、クラリッサは慣れている。
今更こんなことを気にするほど柔ではない。
クラリッサはラウレンツの腕に添えた手に力を入れないよう、こっそりと深呼吸をした。
微笑みを浮かべて、周囲の声は何も聞こえていないふりをする。
「ねえラウレンツ。流石、皇城の大広間はとても華やかね」
神話由来の神々が描かれた天井と、深紅の壁紙。窓ガラスは何もないように見えるほど透明だ。外の庭園がライトアップされていて、大広間の中やテラスからでも楽しむことができた。
そして何より、きらきらと光を反射する二つのシャンデリア。
中心で光っているのは蝋燭ではないようで、揺らめきは最小限で、会場はまるで昼間ように活気付いている。
こんなところでもアベリア王国との技術力の違いを感じた。
「そうだね。この大広間は、夜会や大規模な外交の場でも使われているんだ」
「流石だわ」
近付いてきた給仕からラウレンツがグラスを二つ受け取り一つをクラリッサに渡した。
「ありがとう」
「もうすぐ始まるようだ。皇帝陛下がそろそろ出てくるから……」
「あら、ぎりぎりだったのね」
言ってくれれば、もっと余裕を持って支度をしたのに。そう思って言ったが、ラウレンツは僅かに眉間に皺を寄せる。
「……うちは直前でも問題はないけど、それでも次からはもう少し早い方が良いだろう。見られるのは、あまり好きではないんだ」
「綺麗な顔なのに、勿体ないわね」
確かに大広間に入ったとき、クラリッサは周囲の視線が気になると思っていた。
ラウレンツも気付いていたのか。
クラリッサは慣れたものだが、ラウレンツも普段から慣れていると思っていた。
「──……どっちが」
「何か言ったかしら?」
「いや──」
ラウレンツが何かを言いかけたとき、コールマンが高らかに声を上げた。
「皇帝陛下、並びに皇妃殿下ご入場──!」
噂話に花を咲かせていた者達も、恋の始まりの駆け引きを楽しんでいた者達も、家族や友人同士で会話に花を咲かせていた者達も、仲の良さそうな夫婦や恋人達も、皆が一斉に口を閉じる。
奥の扉から入ってきた皇帝夫妻は、会場内をぐるりと見渡してゆっくりと歩いている。
がっしりとした身体つきに、年齢と共に経験を積み重ねてきた人間の重みある背中。
アベリア王国の国王はクラリッサの父親だが、それより二回りほど年上のクレオーメ帝国皇帝は、厳格でいて荘厳といった雰囲気で、クラリッサを圧倒した。
アベリア王国に到着したときに一度会っているが、そのときにはラウレンツの成長ぶりに気を取られ、まともに見ていなかった。
今思えば、よくこれだけの存在感がある人間に緊張せずにいられたものだ。
じっと見つめすぎたのか、それとも孫であるラウレンツを見つけたからか。
皇帝がクラリッサに気付いたようで、ぱちり、と一瞬目が合った。
思わずびくりと小さく震えたクラリッサは、今度こそラウレンツの袖を持つ手に力を入れてしまう。服が引っ張られたラウレンツが違和感から自身の腕に目を落とした。
次いでラウレンツの両親である皇太子夫妻と、皇子達が入場してくる。
皆が並んだところで、皇帝が乾杯のグラスを掲げた。




