4章 全てお願いしたくて
ドミニクは乗ってきたものと別にもう一台馬車を持ってきていて、クラリッサの服の半分以上を馬車に積み込んでいった。
残りのドレスは一週間後、注文したものとドレスの売却金を持ってきたときに渡すことになっている。万一のために契約書も交わしたので、クラリッサはドミニク達を信頼した。
それから一時間後、フェルステル公爵邸にやってきたのは、王都でも一、二を争う評判の仕立屋の経営者でもあるデザイナーだ。
やはり、今話題のラウレンツの結婚相手であるクラリッサからの依頼ということで、責任者が直接やってきたようだ。女性従業員を三人連れている。
クラリッサは彼等をサロンに案内し、自己紹介をして早速本題に入った。
「私が着るドレスを、全てお願いしたくて呼んだのよ」
「……全て、でございますか?」
驚きを隠せないという顔で、責任者のキャシーがおそるおそる口を開く。
「大変恐縮なのですが、夫人は既に多くのドレスをお持ちでいらっしゃるかと存じますが……」
クラリッサはアベリア王国の王女であり、政略結婚としてラウレンツの元へ嫁いできた。出所の分からない噂によると、相当に悪女であるらしいという。
「ええ。そうなの。好みが変わったから買い替えたいと思って、全て売却を決めてしまったわ」
「なんということを……!」
キャシーが驚愕の声を上げた。
クラリッサは思わず苦笑した口元を扇で優雅に隠して、扉に目を向ける。
「──……そう思うのなら、見ていきますか?」
一般的に仕立屋を呼ぶときには物を広げることが多いためサロンに案内したが、フェルステル公爵邸はクラリッサの私室も充分に広いため、問題ないだろう。
キャシーは一瞬迷ったようだが、クラリッサが問題ないというようにさっぱりと振る舞っていたからか、頷いて立ち上がる。
「では、お邪魔させていただきます」
キャシーはまだ新しい公爵邸の内装に興味があるようで、クラリッサとカーラの後をついて歩きながらも視線が忙しかった。
クラリッサは私室に入り、自らの手でもう半分も服が残っていない衣装部屋の扉を開ける。そして、一番手近にあったドレスを手に取り身体に当てた。
ドレスは鮮やかな赤色で、深く開いた胸元と何故か背中に開けられた丸い穴が黒いレースで縁取られている。そのデザインのせいで、上品な大人らしさを演出するはずのマーメイドラインが、すっかり台無しになっていた。
一級の素材を使っているはずなのに、どう見ても一定年齢以上の娼婦が着るドレスである。
「これを……着ていらしたのですか……?」
キャシーがおずおずと問いかける。
クラリッサは小さく頷いて、ドレスを元の場所に戻した。その拍子に、今着ているドレスの裾が大きく動き、ドレープとドレープの隙間からクラリッサの膝が覗く。
「──!?」
キャシーは息を呑んだ。
クラリッサは小さく首を振って、キャシーにソファへと戻るよう促した。
「ご覧になった通りですの。私、以前はこのような服ばかり着ておりました。でも、結婚してラウレンツ様の妻となった以上、クレオーメ帝国の社交界で悪目立ちをするわけにはいきませんから」
クラリッサにしてみれば、これがぎりぎりの言い訳だった。
アベリア王国とベラドンナ王国の関係を鑑みれば、クラリッサがこれまで悪女の振りをしていたなどと、気軽に誰かに話すわけにはいかない。ましてそれが仲が良い訳でもない仕立屋だったらなおさらだ。
しかし、現在クラリッサが持っている服を見て、突然違う雰囲気の服を大量に買いたいと言えば、おかしいと思われるだろう。
つまりクラリッサにできるのは、結局、本当と嘘を適度に織り交ぜることだけなのだ。
「どうにかして、ラウレンツ様の隣に立っても違和感のないように、それでいてきちんと淑女らしく見えるようにしたいの。……お願い、できるかしら?」
クラリッサの依頼は、実のところキャシーにとっては予想外であり、同時に好意的なものだった。
頭の固い貴族などは、クラリッサのこれまでの服も急な衣装替えも冷たい目を向けるだろう。しかし、キャシーは違う。
キャシーは仕立屋の経営者である前に、一人のデザイナーだ。それは同時に、強くファッションを愛する者であるということでもある。
クラリッサの、服によって印象を変えたいと思う気持ちは、服が持つ様々な力に陶酔し全てを捧げているといっても過言ではないキャシーの心を強く掴んだ。
「も……勿論でございます! 私が責任をもって、奥様のお衣装を、全てご用意させていただきます!」
「ありがとう、キャシー様。どうかよろしくお願いね」
クラリッサは、自分が無茶を言っていることを理解している。キャシーに強く感謝をして、クラリッサはふわりと微笑んだ。
その悪女らしさなど全くない美しい微笑みを、キャシーはつい見つめてしまう。
「……どうかなさいまして?」
問われて現実に引き戻されたらしいキャシーは、クラリッサにまっすぐな目を向けた。
「いいえ、なんでもございませんわ。それでは早速、採寸からさせていただきます!」
クラリッサは嬉しくなって頷いた。
というのも、キャシーはこのクレオーメ帝国のデザイナーで二番目に勢いがあるという評判なのだ。ちなみに一番を避けたのは、ラウレンツがよく使っている者であるためである。
二番手とはいえ、当然大人気であることに変わりはない。
急なクラリッサの呼び出しを受け、こうして邸にまで来てくれるというだけでもとてもすごいことなのに、更に多くのドレスを依頼したクラリッサに嫌な顔一つしない。
すぐに採寸をしたクラリッサは、キャシーが次々描き上げていくデザイン画に感嘆しながら、午後の時間を過ごしたのだった。




