1章 悪女のフリは大変です
新連載を始めました。
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「ふ、ふふ」
アベリア王国の王城に住む王族が集まっての食事会。
王女であるクラリッサは、まだ十一歳の異母弟アンジェロが晩餐に出されたスープにスプーンを付けた姿を確認して、緊張気味に俯いた口元に笑みを浮かべた。
思わず漏れてしまった笑い声を口の中で押し殺す。
そう。あと、少し。
あと少しで、目的が達成する。
どきどきと視界の端でアンジェロの様子を窺う。
そのとき、アンジェロがスープを掬ったスプーンを皿に落とした。食器の音など一つもしなかった食堂に、かちゃんからんと甲高い音が鳴り響く。
「──あ、あの。僕、これ、飲めません……」
顔を青くしたアンジェロが震える声で言う。
白いテーブルクロスを汚した銀のスプーンは、皿の中で黒く変色していた。
「きゃあああああっ!!」
すました顔で壁際に控えていた使用人が悲鳴を上げる。
それはそうだ。
食事を運んできたのは彼女達なのだ。まさか自分が運んだスープに毒が混入していたなんて考えたくもないだろう。
国王であるクラリッサ達の父親が皆を鎮めるように両手を打ち鳴らす。
「──この場はお開きとする。王妃、騎士の手配を」
「かしこまりましたわ」
クラリッサの母親──王妃は素直に頷いて、ちらりとクラリッサに目を向けた。
それを強気な微笑みで受け流して、クラリッサは席を立つ。
「それでは、まだお食事は途中ですが、失礼いたします」
「ああ」
国王の無機質な短い返答は、そんなものだろうと無視をした。
家族での食事に相応しいとは言い難い胸元がぱっくり開いた深紅のドレスの揺れる裾を翻して、クラリッサは使用人が開けた扉を抜けた。
深い青の絨毯の柔らかな毛の感触を踵で感じながら、早足で寄ってきた専属侍女に声をかける。
「カーラ、首尾はどう?」
「はい。問題なく」
それだけ聞いたクラリッサは安堵し、階段を上って自室に戻った。
◇ ◇ ◇
クラリッサ・アベリアは悪女である。
アベリア王国の貴族ならば、人目を気にしつつも誰でもそう言うだろう
アベリア王国の国王を父親に、大国である隣国ベラドンナ王国出身の妃を母親に持つクラリッサは、王族唯一の女児だ。
天界の琴の弦のように美しい銀髪と、父親譲りの透き通った輝きを持つ赤い瞳。すっきり白い肌もしなやかな肢体も、芸術作品のように整った顔つきも、見るものを魅了することが当然だというようにそこにある。
そんなクラリッサが悪女たる所以は、その言動である。
曰く、夜会で一人きりでいる令嬢を泣かせることが趣味である。
曰く、気に入らない使用人はすぐに辞めさせる。
曰く、顔の良い男性に言い寄り、飽きるとすぐに捨てる。
毎日違う華やかなドレスを着て、夜会となると毎回違う高価な宝飾品を身に着けることから、浪費家だという話も聞く。
どうやら、腹違いの弟に嫌がらせまでしているとか。
誰も大きな声では言わないが、それは貴族達の間では基本常識であり、部外者も少し調べればそれらの話を知ることができる。
そんな状況を、それでも国王と王妃は放置していた。
◇ ◇ ◇
クラリッサは自室に戻り扉を閉めると、胸元同様に開いた背中を見せつけるように思いきり寝台に飛び込んだ。
スプリングが利いた寝台はクラリッサの身体をぽふんと心地良い弾力で受け止めてくれる。
整えられていた白いシーツに、くしゃりと皺が寄った。
カーラが仕方がないというように、小さく溜息を吐く。
「ああもう、クラリッサ様。またそんな風にして。シーツに口紅が付きますよ」
「……あら、それは駄目だわ」
クラリッサが素直に上半身を持ち上げると、カーラが湿らせたガーゼでクラリッサの口紅を拭ってくれた。保湿用のバームを塗られて、少し安心する。
「つっかれたー! カーラも今回はどきどきだったでしょう?」
「本当ですよ。流石にお食事に毒を入れるのは難しいですって。今回限りにしてくださいよ?」
「そうね。そうだと思いたいわ」
カーラが制服のポケットから小瓶を取り出して、クラリッサに手渡してくる。
クラリッサはそれを受け取って、自分のポケットから取り出したもう一本の小瓶と並べてサイドテーブルに置いた。
瓶の中で無色透明な液体がきらりと光る。
クラリッサが持っていた小瓶の中身は、母親である王妃からアンジェロに盛るようにと用意された毒物である。無味無臭だがこれを飲むと腹痛や嘔吐に襲われ、全身を針で刺すような痛みと共に命を落とす、とのことだった。
一方、カーラが持っていた小瓶の中身は硫黄である。
王妃が用意した毒物には硫黄が入った不純物が混じっているらしい。
同じ毒物で暗殺されたという他国や貴族についての話で、銀製の食器が変色していたというものを聞いたことがある。
王妃から命令され毒を渡されたクラリッサは、カーラに中身が何かを調べさせた。そして正体が分かった時点で、急いで硫黄を手に入れたのだ。