第三話 上
時計の煩わしいアラームで、オミッドは目を覚ます。若干の眠気と二日酔いの頭痛も合わさって、目覚めはあまり良くない。
アラーム停止ボタンを叩いて、耳障りな音を消す。
……つもりだったが、小さな悲鳴と何かが壊れる派手な音と同時に、アラームがピタッと止まった。
「あー、ビックリした。おはよ、オミッド!」
「あ? ……あー、おはよう」
自分を覗き込む美女が視界に映り込んだせいで、寝ボケた頭が一気に覚醒していく。
そうして、昨日あった夢のような出来事を思い出す。
「いつからそこに?」
「ついさっき。朝日が昇ってきたから起こしてあげようと思って。
でもビックリしたわ! この時計、いきなりすっごい音で鳴るんだもん!」
ああ、さっきの悲鳴の主はコイツか。と、察したのと同時に、オミッドの脳内には疑問が浮かんだ。
では、先程の派手な音は何か?
嫌な予感を感じつつも、視線をティアからサイドテーブルの方へ移す。
するとそこには、見るも無残な姿に変わり果てた、置き時計だったものがあった。
「そーいうもんなんだよ、これ。
……おい、ぶっ壊しやがったなお前ぇ!」
「え? そーいうものじゃないの?」
「なわけないだろ!? あーあ、どんだけの力で殴ったらこうなるんだよ……」
ひびの入ったプラ製の本体の凹みから、相当な力で叩かれたであろう事が容易に想像出来る。
人間の力では、こうも派手には壊れないだろう。
図らずも血族というものの力を早朝から垣間見る事となったオミッドは、溜息を吐きながら大破した時計を片付けた。
その後、オミッドは早々に朝支度を済ませる。忘れ物が無いか、少し考えてから玄関口に向かう。
「何だ? やっぱり朝飯いるのか?」
「ううん、違うわ。単なる見送り!」
玄関までついてきたティアにオミッドがそう問うと、彼女は元気いっぱいに答えた。
「あっそう。ああ、そうだ。これ、渡しとく」
「これは……鍵?」
「ここの予備の鍵だ。何か出てく事があったらそれで戸締りしてくれ」
「うん、分かった! じゃ、行ってらっしゃい!」
「ああ、行ってくる」
ティアの見送りを受けながら、家を出る。
毎回の事ながら、いくら刑事職にやりがいを感じるオミッドでも、休日出勤というのは気分が良いものではない。
しかし何故か、今日のオミッドの足取りは普段よりも、ほんの少しながら軽かった。
・・・
ここ最近、ダミア市警の刑事課はかなり忙しい。その原因は言うまでもなく、一月前に起こった連続猟奇殺人事件だ。
上層部は手口の大胆さとは裏腹に犯人特定の糸口が繋がらない本事件の解決に躍起になっており、刑事課も総力を挙げて捜査を続けている。
その為、ここ最近は休日出勤や連勤が当たり前になっている。
「なあ、カーティ。一つ頼んで良いか?」
「何ですか先輩?」
朝の捜査会議を終え、市警署の廊下を歩くオミッドが、隣を歩く相方であり後輩のカーティに声をかける。
「お昼奢るから聞き込み先までの運転、任せていい?」
「はい、それは構いませんけど……さては、またお酒ですね? 駄目ですよ、いくら非番だからって羽目を外しすぎちゃ。で、最後に飲んだ時間と量は?」
「それはすまん。えっと零時くらいまで飲んで、量はグラス四杯くらいだった。多分」
「えっと今が九時ですから……アルコール抜けてるか怪しいところですね。万が一がありますし。
ちなみに、何を奢って頂けます?」
「そこは一任する。ただ、あんまり高いのはちょっと……」
「分かりました。じゃあ、聞き込み先の近くに行きたい店があるので、そこでお願いしますね!」
ああ、頼む。とオミッドが言うと、カーティは白群青色の髪を揺らしながらふふっと笑った。
今年この署に配属された彼女の教育係を任された彼だが、このように支えられる事の方が多い。
童顔で自身より小柄な彼女を初めて見た時は、過酷な警察官なんてやっていけるのかと不安に思っていたが、今となってはそんな考えは微塵も無い。それどころか、先輩ながらそれらしい所を見せられないオミッドは、今回のような事があるといつも軽い自己嫌悪に苛まれる。
しかし今日だけは優秀な後輩に甘えてもいいじゃないか、次気をつければいい。と何度目か分からない言い訳をすることで自分を取り繕うのだ。
そんなやりとりをしつつ、駄目人間オミッドとカーティは車に乗り込む。
「しかし、先輩も運が無いですね。久々の休みなのに駆り出されて」
シートベルトを掛けながら、カーティが言った。
事件解決を急ぐ時、こういう事態では交代で休みを取る。ただ、交代予定の刑事が急用で出られなくなると話は変わる。
「人が足りてないんだ、仕方ない。それに、こういう事が事件解決の一歩になるかもなんだ。そう思えば、頑張ろうって気にもなるさ」
先の失態を取り繕う為にせめて良い事を言おうなどという思惑は、オミッドにはこれっぽっちしかない。
この言葉は、残り大多数を占める本心から出た言葉だ。
「熱血ですね、先輩は。そういうの、良いと思いますよ。まあ、お酒も控えて頂ければもっと良いのですが」
「悪かったよ、次は控えるから」
「本当にそう思っていただけたら、何よりです。では、出発しましょう」
車がエンジン音をたて、発進していく。
オミッドは手帳を開いて、昨日のティアとの会話で得た情報を思い返す。
睡眠時間を削ったものの、得られた情報は大きかった。
デーヴという血族が、主であるティアを裏切るにあたって力をつける為に今回の事件を起こした事。そして、その被害は発見されている以上の悲惨なものである可能性が高い事。そして、血族には敵が多いという事。
ティアが言った事が事実だとすれば、この事態を打開するにはその敵の協力を得るべきだとオミッドは考えている。昨日も思ったが、もうこれは一市警がどうこう出来る問題ではない。
それに、ティアを信頼したい気持ちはあるが、彼女がそもそも勝てるかどうか疑念を覚える。もし仮に勝てたとしても、その後豹変する可能性も否めない。化け物……いや、血族の考えなど、人間の自分には分からないと思ったからだ。
以上の事から、その敵……連盟もしくは教会とやらの協力をどうにかして得たい。
しかし問題がある。それが何なのかさっぱり分からないという事だ。
何だ連盟って。
何だ教会って。
何処に行けば会えるんだ?
分からない事だらけ、何せ情報が足りない。
結局、妙案は浮かばず。
今日帰れたら友好的な内にアイツに聞いてみるか、という結論に落ち着いた。
「何真剣そうに考えてるんですか?」
運転中のカーティが、手帳と睨み合いをするオミッドにそう問いかける。
「いや、集めた情報を見て、事件についてちょっと考えてただけだ」
「そうですか。で、考えはまとまりましたか?」
「一応な。とりあえずは地道に聞き込むしかない」
「とはいえ、もう聞ける人からは大体聞いたじゃないですか。なのに、未だに何も出て来ないというのはおかしくありませんか?」
「ああそうだな。だが、あれだけ惨い事件を引き起こす人間だ。異常なのは間違い無い。人の心があるのかと、俺は疑問に思うよ」
確かに、犯人は人間ではない。人間を辞め、吸血鬼になった化け物だ。
とはいえ元は人間だ。そう簡単に人間としての価値観を捨てられるか、という疑問がオミッドにはあった。
「……奴らに人の心など」
カーティは、消え入るような声で小さく呟いた。
「何か言ったか?」
「い、いえ、あっ、そういえば! 今朝の会議で、キングスヤードから応援が来るって言ってたじゃないですか」
カーティは慌てて話題を変える。オミッドは気になりはしたが、それ以上踏み込む事はしなかった。
「あ、ああ。なんか遅れるとか何とかで、顔合わせは明日にやるとか言ってたやつだっけ?」
キングスヤードとは、アルストル警視庁の最初の所在地から取った愛称だ。
本来、ダミアで起こった事件を管轄外のキングスヤードが調べる事は出来ない。
しかし今回応援に来る特殊事件対策対応課通称「特対課」というのはどうも、アルストル中の凶悪事件に対応する為に例外的に捜査権があるとの事だった。
今朝の捜査会議でそう説明されたが、連盟・教会問題に腐心しているオミッドには心底どうでもいい話だった。
「これで事件が少しでも解決に近づけば良いんですけどね」
「人手が増えるんだ、多少は何か出るだろうな」
そう話していると、程なくして目的地へ到着。
車を適当な有料駐車場に停めて、オミッド達は徒歩で移動する。
向かう先は特に珍しい何かがある訳でもない、ダミア市警から少し離れた、四番街にある閑静な住宅地だ。
六件目である猟奇殺人は昨日の早朝、この付近の路上で見つかった。
ちなみにオミッドはそれを聞いた時、一日の始まりにそんな凄惨なものを見てしまった第一発見者に、何とも言えない同情をした。
「んじゃ、近辺の民家を回って聞き込み調査だ」
ドアをノックして、警察手帳を見せる。
事件の概略を説明して、聞き込みを始める。
何かおかしな事はありましたか?
何か不審な人物を見かけませんでしたか?
何か悲鳴のようなものを聞きませんでしたか?、などと質問する。
この流れを担当分の数だけ行い、一時間以上かけて担当分の聞き込みを終えた。
結論から言うと、収穫は無しだった。
やけに早く終わったのは聞ける事が無かったからだ。
「ま、期待はしてなかった。でもだ。何も出ないは嘘だろ……」
公園のベンチに腰掛け、オミッドは項垂れる。
「流石にこれはくるものがありますね……。
しかし、あれだけ凄惨な遺体状況から考えて、誰も悲鳴を聞いていないというのは不思議です。
一撃で即死させた、とかならまだ納得出来なくもないですが」
「もしかしたらこの事件、犯人は人外の化け物だったりしてな」
実際本当にそうなのだが、笑えない冗談のつもりで言った。
しかし、カーティから返ってきた言葉は彼の予想した答えではなかった。
「ええ、そうかも知れませんね。本当に」
「え?」
項垂れたオミッドがそばに立つカーティを見上げるのと、地面が赤に侵食され始めたのはほぼ同時だった。
「こ、これは、血界偽装……!?」
「何故、先輩が血族魔法をご存じなのか、今は問い詰めません。それより敵です、警戒を」
カーティに言われ、オミッドは気付く。いつの間にか、辺りには生気を感じられない眼でこちらを見る者たちがいた。
ざっと数えても十人以上いる彼らの手には鉄パイプやハンマー、ナイフなどの凶器が握られている。
「な、何だ、こいつら!?」
「完全に囲まれました、来ます!」
カーティの警告と同時に、襲撃者達は一斉に飛び掛かり凶器を振り回す。
オミッドは警棒を取り出し応戦するが、攻撃を受け止めた瞬間衝撃が体中を走り抜く。その勢いに負け、吹き飛ばされるが何とか受け身をとって態勢を立て直す。
「クソッ、何て馬鹿力だ!? 警棒が曲がりやがった!!! 大丈夫か、カーティ!?」
「ええ、大丈夫です。それより、自分の心配をお願いします! 奴らの攻撃はなるべく避けてください! 士爵の攻撃とはいえ、次に先輩がまともに受けたらその警棒みたいになりますよ!」
襲撃者達の攻撃を危なげなく躱しながら、カーティはそう言う。
要らぬ心配をしたら逆に心配されてしまったオミッドだが、彼女の忠告を受け入れてとにかく避ける事に集中する。現状に困惑が無いわけではないが、彼に余計な事を考える暇など無かった。
「おかしいですね、術者であろう血族の姿が見えません。大方士爵に任せて高みの見物をしているのでしょうが、面倒ですね」
気付けば十人近い、士爵と呼ばれる襲撃者達の注意を引くカーティだったが、「仕方ありませんね」とだけ言うと、少し距離をとって手のひらサイズの紙で出来た輪を取り出す。
オミッドはその紙の輪にひどく見覚えがあった。
「異端を轢き殺せ、聖輪!」
えらく物騒なセリフを言い終わると同時に紙の輪が光り輝き、カーティはその輪を士爵に向かって投げる。
輪は人が投げたとは思えない程の高速を以って飛んで行き、士爵達を切り刻んでゆく。切り刻まれた士爵達の身体は灰のように崩れ、消えていった。
彼女はオミッドを襲っていた士爵にも輪を投げ、あっという間に灰にしてゆく。
そんな圧倒的な力を見せつけたカーティは、微笑みながら彼を見る。
「大丈夫ですか、先輩?」
「ああ、大丈夫だ。大丈夫だが……お前は、いったい……誰だ?」
無意識に出た自分の言葉に驚く。
そうだ、俺にこんな後輩は、ダミア市警の刑事課にカーティなんて名前の奴はいない。
では、目の前にいる人物は誰だ?
「そいつは教会の執行官だ。お前に暗示をかけて、いいように操ってたのさ」
答えたのはカーティではない。
公園の入り口から入って来た、スーツに身を包んだ色白の男はそう言って銃をカーティに向けていた。
その後ろには、銀の髪が目立つ赤い目の女が寄り添うように立っている。
「やけに血族がいやがる地区だなと思ったら、まさか執行官までいやがったとはな。何してんだコノヤロー?」
「これはこれは。随分な言い方ですね、キングスヤードの応援さん。いえ……、連盟の狩人とその猟犬」
カーティは男にいつでも投げられるように輪を構える。
今は互いにけん制し合っているが、いつ本気で殺し合いに移行するか分からない空気感漂う中、オミッドは困惑しながらも間に割って入る。
「待った待った! 何でお互いそんな殺気だってるんだ!? 一旦武器下ろして!」
「あっ、オミッド見~っけ!」
聞き覚えのある、ここにはいないはずの、というか、いてほしくない声がした。
声のした方向を恐る恐る振り返ると、そこには無邪気な笑顔で大きく手を振るティアがいた。