第二.五話
何処から取り出したのか、ティアは赤いフレームの眼鏡をかけ始めた。
「なんで眼鏡かけたんだ? 目、悪いのか?」
「全然? めちゃめちゃ良いけど」
「じゃあ何で?」
「そりゃ、かけてた方が何だが賢そうに見えるでしょ?」
返ってきたバカっぽい理由に呆れて特に言う言葉も無く、「あっそ」と返した。実を言うと、オミッドはもう疲れ果てているのだ。
「それじゃ、まずは基本からいきましょう。吸血鬼は知っているわよね?」
オミッドは眠い頭をフル回転して、とりあえず適当な吸血鬼像を頭の中で思い浮かべた。
といっても、オカルトオタクでも何でもない彼が持つ浅い知識では、出せる吸血鬼像など大したものではない。
「ああ。血を吸う化け物、だろ?」
「まあ、概ねそんな感じね。でも、貴方が言ってるそれは最下級の血族ね。
理性も無ければ品性も無い、そんなのと私を同列に見られるのは癪に障るわ」
「そりゃ悪かった。じゃあ聞くが、その血族ってのは何だ?」
「じゃ、これで説明するね!」
言って、ティアは本当に何処から取り出したのか分からないホワイトボードに何かを書き始めた。
書き上がったホワイトボードには、気の抜けた落書きを添えた、血族化の関係図と題したものが書かれていた。
「血族っていうのは本来ね、血の拝領という儀式において、主から血を貰った適性のある人間と、その主の両方を指す言葉よ。
私達の身体に流れる血は、魔法の源たる魔力そのもの。これを受け取った人間は、送った主が強ければ強いほど力ある血族になるわ。
まあ真祖含めて、そう呼ぶ人もいるけれど」
「ちょっと待て! 今、適正のある人間って言ったか?」
「うん、それがどうしたの?」
「適性が無かったら、どうなる?」
嫌な予感を感じながら、オミッドはティアに質問した。何となく返事は分かってしまうが、その予想が外れてくれる事を祈って。
しかし祈りも虚しく、彼女は「貴方はその結果を散々見てきたはずよ」と真剣に答える。
「じゃあ、連続殺人の被害者全員は……」
「いいえ。奴は……アイツはそれよりもっと命を貪っているはずよ。恐らく、発見された以上の被害者が出ていると見るべきね」
「そ、そんな……。嘘だろ……」
オミッドは手を額に当て、頭を抱え込む。
見つかっている以上の被害者がいる?
あんな死に方を迎えた人が沢山いるかも知れないなど、そんな事信じられるわけが無い。いや、信じたくないのだ。
事件を解決する事で救える命がある。そんな父の言葉を信じ、刑事になったオミッドにとって、これは明らかに手に負えない事態だ。
市警の一刑事、下手をすれば一市警にはどうしようもない現実。現に、捜査は難航しており、このままいけば打ち切りになるかもしれない。
それでも、だからこそ、オミッドは質問を続ける。
今、解決の糸口を持っているのは目の前の紅い吸血鬼だけだからだ。
「そんな化け物が、元は人間だって言うのか? じゃあ、お前も元は……」
「確かにアイツ……デーヴは元は人間だったけど、私は最初から吸血鬼よ。
一口に血族と言えど、私みたいな「真祖」っていう始めから人間じゃないのもいれば、デーヴみたいな血の拝領で血族になったのもいるわ」
ティアの説明で、オミッドはようやくその殺意の理由を理解する。
彼女は、デーヴは私が血族にしたと言った。そしてデーヴは、このダミアを騒がせる大事件を引き起こした。
つまり、ティアはケジメをつけに来たのだ。
「そ、そうか、それは良かった……のか? ともかく! じゃあ、お前がデーヴを殺したがってる理由はその責任、って事か?」
「まあ、そんな感じね。アイツは私に叛逆した。
その為だったのよ、あんなに見境無く人間を襲ってるのは。
恐らく今のアイツは襲った人間を配下にして、相当力をつけているわ。
でも、安心して。アイツの主として、アレは私が必ず殺すわ」
ティアは言葉に怒りを込めてそう言った。その怒りが手下に手を噛まれた事への怒りなのか、それとも他の何かへの怒りなのか、オミッドには分からない。
ただ、彼女は嘘を言っていない。それだけは、確かに伝わってきた。
「なるほど、お前の決意は大体分かった」
そう言って、オミッドは背広から手帳とペンを取り出す。得られた情報をまとめるためだ。
分かった事は、あの吸血鬼の名前がデーヴである事と、そいつが起こした猟奇殺人の動機。
これは大きな進歩だ。何せ、事件から一ヶ月経とうというのに分からなかった犯人の名前が軽々と出て来たのだ。
このまま話を広げていけば、更なる情報が飛び出るかも知れない。
オミッドは、気になった質問を重ねていく。
「つまり、その血の拝領で配下を増やすのは力をつける為か?」
「まあ、概ねそういう事ね。本体は休眠して、その間に人間社会に潜ませた部下達に力の源になる血肉を集めさせる。
私からすれば、弱い者が敵から正体を隠しつつ強くなる為の姑息な手段だけど、こうでもしないとすぐに教会やら連盟やらが狩りに来るのよね」
血族の敵。これだ。この情報はかなり重要かもしれない。
そう思い、この話題を深掘りしようとしたオミッドだがら残念ながらそれは携帯の着信音に遮られてしまった。確認すると、それは上司からの電話だった。
今良いところだったんだが、と思いながら、オミッドは電話に出る。
「お疲れ様です、トレントさん」
「ああ、すまんな夜分遅くに。オミッド、今大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。どうしました?」
などと返事しながら、ああ、この感じは休日出勤の知らせだなとオミッドは直感した。
その感は正しく、例の殺人で人手が足りないから今日出て来てくれないかという旨の電話だった。
オミッドは「了解しました」と返事して電話を切って壁掛け時計を見る。
すると、話し込んでいたからか時計の針は四時を指していた。
「あっ、それ携帯電話って奴でしょ? 私も買おうかなぁ〜」と何やら物珍しそうにして騒いでいるティアを無視して、オミッドは要件だけを話す。
「俺、明日出なきゃ行けなくなっちまった。悪いが、講座はこの辺で終わって貰って良いか? 流石に寝ないで出勤はやりたくない」
「えー、ここからが面白いのにー。でも、用事があるなら仕方ないか。私もそろそろ限界だし。
ま、初歩的な事は大体説明したし、この続きは次回に持ち越すとしましょう!」
「ああ、そうしてくれると助かる。その棚に使ってない毛布があるから、今日はとりあえずソファで寝てくれ」
「あら、ベッドは貸してくれないの?」
「明日掃除して、綺麗にしたら貸してやる。今日は我慢してくれ」
「冗談よ、お気遣い感謝するわ。おやすみ、オミッド」
「ああ、おやすみ」
どうやら、また次も教えてくれるらしい。
オミッドは、いきなり詰め込まれても理解しきれないから丁度良いと自分に言い訳しながら、ドッと襲いくる眠気に抗いつつ寝室に向かった。