エピローグ(上)
運命を大きく変える決断を下した日から、一週間が過ぎた。
退院したオミッドは、今回の事件の報告書や引き継ぎを終わらせる事に追われた。
といっても、起きた事をそのまま書く訳にはいかない。
今回の件は七名の犠牲者を出した未解決事件として、引き続き犯人の存在しない事件の捜査をし、段階的に規模を縮小させていく。
要約すると、連盟はそういう筋書きで今回の件を処理する。
なので。
大方はその内容に沿って書く必要があった。
オミッドも正直それで良いのか、と感じなかったわけではないが、馬鹿正直に全てを語った所で何も意味は無い。
事件は既に終わっているのだ。
真実を知った者からすると、こうする他ない、と納得するしかない。
「……一件落着には、変わりないからな」
オミッドは今、あのバーに居る。
グラスを傾けて、よく飲んでいた銘柄の安酒を口に含む。
真祖になったせいか、味が分からない。
酒だけではない。食べ物の味も分からなくなった。
だが、この酔いの感覚だけは変わらない。
人間の頃はあれ程嫌だった酔いが、変わり映えしない感覚を手に入れてしまった瞬間、心地良く感じるようになったのだ。
その為、この数日は仕事終わりには必ず、このバーを利用するようになった。
「マスター、これと同じウィスキーもう一杯」
「お客さん、連日飲み過ぎじゃないか? 若いからって無茶は身体に毒だ。
何か辛い事でもあったのかい?」
本日四杯目の注文をした所、マスターが心配げにそう聞いてくる。
「いや、大丈夫。そういうのじゃないんです。
ただ、ここに来るのももう最後になるので、記念に飲んでおこうかな、と……」
「ああ、そうかい……。何処かに引っ越すのか。
かと言って、それで身体を崩されちゃ敵わんな。
……コイツで最後にしてくれよ?」
「分かってる。ありがとう」
別に嘘はついていない。
オミッドは明日にはこのダミアを発って、アルストル王国首都アルケイドへと向かう。
三日後に控える、キングスヤードへの転勤の為だ。
だから、記念というのは嘘じゃない。
今回の始まりの地、ティアと初めて会った場所で、最後に呑んでおきたかった。
フラリと、紅い美女が現れてくれないかな。そんな期待を込めながら。
「ねえ。隣、良いかしら?」
そんな時。背後から聞いた事のある女の声で、そう聞かれた。
「あっ……構いませんよ」
突然の事に驚きながらもすぐに平常心を取り戻し、そう返事をする。
女はオミッドの横に座ってマスターに声を掛けた。
「この人と同じものを頂戴」
「はいよ。……ん? お客さん、なんか初めて見た気がしないな? アンタ、どっかで……」
「気のせいよ」
「……これは失礼。すぐに用意します」
女がそう言うと、マスターはうわ言のようにそう呟きながら準備を始めた。
「……暗示か?」
「そっ。ちなみに、この場にいるあなた以外にも掛けてあるわ。
これで気兼ね無く、話せるでしょう?」
「ああ、そうだな。ティア」
数日会わなかっただけなのに、随分久しぶりに顔を見たような感覚になる。
彼は、そんな心境で彼女の名前を口にする。
「意外だな、お前の方から来るなんて。俺はこっちから会いに行こうと思ってたのに」
「あら、こっちこそ意外よ。私、あなたにあんな事したのに、まだそんな風に思ってるなんて。
もしかして命の恩人の私に、何か言いたかった訳?」
命の恩人。その部分を強調して、ティアは煽るように問う。
そこで、オミッドは確信する。彼女は敢えてそう言って、こちらを苛立たせるように仕向けている、と。
そんな彼には、その問いが悲鳴に聞こえた。
「あなたを真祖にした私に、どうか怒って」
この辺りが、彼女の本音だろうか。
と、オミッドは予想をたてながら苦笑する。
「ああ、そうだ。一言言ってやろうとは思っていた」
「! あっそ。当然ね、それが普通よ。
……ねぇ、オミッド。お願い。
どうかその言葉。私の目を見て、言ってくれないかしら?」
そう言って、ティアはオミッドの方へ身体を向ける。
真っ直ぐに、震えた視線を向けて。
「大丈夫。どんな言葉でも、私、受け止めるから。受け止めなきゃ……いけないから」
「そうか分かった。じゃあ言うぞ」
「!」
言わなきゃならない。
一言、この勘違い女王には言ってやる必要がある。
オミッドは深呼吸してから、大きく口を開いた。
「バ〜カ!」
「なっ……バカとは何よ、バカって!?」
オミッドの一言は、あまりにも稚拙な罵倒だった。
目を固く閉ざして、小さく震えていたティアだったが、それを聞いた瞬間椅子から勢いよく立ち上がる。
「あなたを巻き込んだ迷惑災害女とか、あなたを化け物に変えた元凶とか、もっと他に言い方あるでしょ!?
なのに何よ、バカって!」
(なんだ、分かってるじゃないか)
おっといけない、とオミッドは出かかった言葉を飲む。
「だってバカだろ?
いいか? 血族の中ではどうか知らないが、人間社会では普通、命の恩人は感謝されるものだ。
間違ってもキレたりなんかしない。
そこを履き違えてるんだから、バカだって言ってるんだ」
「バカバカうるさい!
んぐ、んぐ……ぷはー! マスター、お代わり!」
一気にグラスの中身を飲み干して、ティアは空いたグラスをマスターに向けた。
「おっ、いつもの調子に戻ってきたな」
「ふん! 酷い事したのに私を忌避しない、誰かさんのせいでね!
……ホントはね、怖かったの。あなたと会うの」
そう切り出して、ティアはようやく本音を語り出した。
「あれから私ね。この体を通して、あなたの事ちょくちょく見てたの。謝ろうと思って。
でも、体が動かなくて」
「何で?」
「だって私、あなたをそんな風にした元凶よ?
あなたから色んなものを奪ったのは、ううん、日常を奪ったのは私。
……最低よね。あなたに酷い事したのに、あなたに酷い事言われるのを想像するだけで私、胸の奥が抉られてるみたいに痛くなるの」
ホント、最低。
胸を抑えて、ティアがそう囁く。
「ごめんなさい、オミッド・ミンゲラ。
私はあなたを、化け物にしてしまった……」
「でもお前がそうしてくれなかったら、俺はこうしてまたお前と話せなかった。
本音言うとな。お前みたいな残念美人と飲むの、結構楽しいんだよ。
……だから、ありがとうな、ティア」
「アハハ、何よ残念美女って。褒めるか貶すかどっちかにしなさいよ。
……私も楽しいわ、あなたみたいなアル中狂人と飲むのは」
ひどい言い草だ、とオミッドは笑う。それは真祖になって初めての笑顔だった。
「そういやお前さ、初めてここで呑んだくれてた時言ってたよな。
仲間にリストラされたって」
「ええ、言ったわ。まあリストラっていうか、追放されたと言った方が正しいけれど。
それが?」
「オーランドさんから聞いたよ。連盟の後ろ盾になった挙げ句、同族にすら居場所を教えずに眠りについたらしいな」
「おかげ様で、私は人間に肩入れする裏切り者。
更に原初の奴が扇動したせいで、血族至上主義の奴らは軒並み敵になったわ。唯一の手駒も、今回の件で失ったし。
最初はムシャクシャしてヤケ酒してたわ。
まあ今となってはもうどうにでもなれ、だけど」
グラスを眺めて、ティアは半ばヤケクソ気味に心境を吐露した。
相当参っているらしい。
「原初の奴? 誰だ?」
「あら、オーランドから聞いてないの?
原初の真祖にして血族の王、復讐に溺れた卑劣漢。名を、ルズブと言うわ。
アイツ一回連盟に殺されかけて以来、ずっと連盟を目の敵にしてるのよ。
多分、デーヴがあんだけ強くなったのもアイツのせい」
敵の肩を持った同族に矛を向け、更にはその配下すら手駒として取り込み利用する。そんな冷徹な化け物は、連盟に強い憎しみを抱いている。
その事実は、今のオミッドにとっては他人事ではなかった。
「つまり。俺達が倒すべき敵、その親玉ってわけか」
「……そうね、そういうコト。アレと相互理解は無理でしょうから」
否定しない辺り、本当に交渉の余地すらない相手なのだろう。
それだけで、オミッドはルズブという真祖の憎悪の強さを感じ取った。
「あなたは、その道を行くのね。……後悔は無い?」
「さあ、今は何とも。でも、これで良いと思いたい。せっかく貰った命だし、有効活用したいんだ。
それに事件を解決すれば、更に沢山の人を救えるだろ? ついでに、お前にも恩返し出来るしな。
まあ、この力は俺には手に余るし、何より俺が役に立てるかは分からないけど」
「……そっ、分かった。じゃあ、もう止めないわ。
あなたの無事を祈りながら、また眠りに落ちる事にするわ。
安心なさい。あなたに何かあったら、私が責任持って止めてあげるから」
少しだけ頬を緩ませ、呆れたようにそう言ってティアは席を立つ。
カウンターに二杯分の代金を残して。
「さようなら。きっとまた、会いましょうね。そうして、今日みたいにお酒を飲むの。
約束よ?」
「ああ。また、いつかな」
そう言って店を出ようとしたティアだったが、「ああ、忘れてた!」と、オミッドの方を振り返る。
「何だかこそばゆいけれど、想いはちゃんと言葉で伝えなきゃね。
協力してくれてありがとう!
あと……大好きよ、オミッド!!!」
「じゃあね!」と恥ずかしげに顔を赤くしながら言って、逃げるようにティアはその姿を消した。
「……ハハっ。いきなり何だよ、それ」
突然の告白の衝撃に、今までの酔いが一瞬だけ醒める。
そんなオミッドの顔は、ティアの紅い髪にも負けない紅に染められていた。
そうなったのは酒の飲み過ぎか、それとも彼女の言葉に乱されてか。
少なくとも。
また酔いが回り出した今の彼の頭では、その答えは出なかった。




