第八話 下
埃が舞い散る事務所の入り口から、壊れかけの椅子が飛び出した。
「だと思ったよ!」
地面にぶつかって砕け散った残骸を避けて、積まれた資材の後ろに隠れる。
「ったくよぉ。コートが汚れちまったろうが、この野郎」
着古されたボロボロのコートにかかったホコリを払いながら、入り口からトレントがゆっくりと出て来る。
「考えたみてぇだが、残念だったな。これが血族の力ってやつだ、舐めんじゃねぇ。
こんなもん、擦り傷にもなんねぇよ!」
散らばる雑貨の残骸を拾って、力の限り手当たり次第に投げつけ始める。
特に狙いなどつけていない面での攻撃は脅威だが、これは相手側が自身の位置を知っていない事を意味する。
力に絶望的なまでの差はあれど、その一点においてオミッドは優位に立つ事が出来た。
「大方カーティが帰ってくるまでの時間を稼ぐって考えなんだろうが、無駄だぜ。
お前らとここに着いた後、温存しといた戦力を回せるだけ周辺に回しといた。
如何にアイツがバカ強かろうが、数の暴力相手にゃ突破は至難の業だ。仮に出来たとして、後に控えるダンナにゃ勝てん。もしかしたら、ロッドにやられてくたばってるかもな。
となれば、お前の辿る道は死だけだ。
なあ、分かるだろ?
この環境が出来上がった時点で、お前はもう詰んでんだよ!」
オミッドは遮蔽物を利用して、慎重にトレントに近付く。
この奇襲が失敗すれば、確かに待つのは死だろう。
だが。
逆に言えば、まだ勝敗はついていない。それに、カーティの強さを自分はよく知っている。
自分の希望は、まだ潰えてはいない。
力の差はあれど、その思いが、オミッドの戦意を支えた。
「……最終勧告だ。本当に、俺につく気は無いんだな? 今来ればお前も超常の力、振るえるんだぜ?」
馬鹿正直に答える訳もなく、静寂を返事にする。
「そうか。残念だ」
「ああ、俺も残念だよ!」
奇襲を仕掛けるのに十分な距離まで忍び寄ったオミッドは、トレント目掛けて駆け出した。
「ハッ、死にに来たか。近接戦でお前が俺に勝てるかよ!」
トレントはすぐさま臨戦態勢をとって、スタートを切る。
それを迎え撃つようにオミッドは銃を取り出し、構えた。
「またそれか? 次は当たってやらんぞ!」
先程の経験からトレントは、血族の身体能力なら拳銃程度なら避けられる、という確信があった。
対しオミッドはそれを知らず、未だに拳銃が有効打だと考えている。
だから、ヘタクソを補う為、次を確実に当てにくる為にここまで接近してきたのだ、とトレントは分析した。
(さあ撃ってこい。でもって、自分の選択を悔いて死にやがれ! 間抜け野郎!)
しかし、オミッドはここで銃を捨てるという暴挙に出た。
(なっ!? ……ん? やられた、クソッ!!!)
予想外の展開に混乱しつつも、捨てられた銃を見てトレントはある事に気付く。
銃が、先程のものではなかったのだ。
オミッドはすぐさま両手で杖剣を構え、トレント目掛けて突進。突然の事に対処が出来なかったトレントに、オミッドの渾身の一撃が迫る。
「オオオ!!!」
「クソッ! 間に合わね、ガハッ!」
トレントの心臓を貫いた杖剣を、思い切り引き抜く。
刺し傷からは血ではなく煙が立ち、傷を中心に燃え広がってゆく。
致命傷は与えた。が、この距離ではオミッドも反撃で致命傷は避けられない。
それもそのはず、オミッドには避ける気が無かった。
これは文字通り、命を懸けた一撃だからだ。
「ぐあっっっ!!! こ、この!」
しかし、振り上げられた拳は振るわれる事は無く、トレントは力無く崩れた。
「……やっぱいいや。
あーあ、ま、負けちまった。お、俺に銃の脅威を警戒させて、その実狙ってたのは、剣を用いた必殺の一撃……。
ダ、ダミーの拳銃で隙を作るたぁ、そんな器用な真似ァ出来たとはな。見直したぞ、お前」
「ハァ……ハァ……な、何かの役に立つかと思って持ち出してた俺の銃が、たまたま役立っただけです。
そ、それより、何で、俺を殺さないんですか?」
「ぐっ! そりゃお前、俺はもう助からねぇからさ」
そう言って、トレントは手袋を脱ぎ捨てる。
手の甲に大きな火傷のような傷が、今も火をつけた紙のようにチリチリと燃え広がっていた。
「あん時の傷だ。見ての通り、カーティにやられた傷は血族の再生能力でも治らない。むしろどーいう訳か、傷が広がってやがる。
大方、その剣とかもカーティの持ちもんなんだろ?
じゃあ心臓なんか刺された日にゃ、もう終わりだ」
はあ、と深い溜息を吐いてトレントは言った。
既に刺し傷周辺は灰と化しており、身体の灰化が徐々に侵攻していく。
「俺は、死ぬ。お前と戦った事でダンナへの義理も一応通した。
なら、これ以上業を積む必要も無ぇ。
殺しは、もう……いい」
「何とも、自分勝手ですね」
「ああ、違ぇねぇや。
……最期に振り返ってみりゃ、俺の正義も、俺という人間も、どうしようもなく自分勝手なもんだった」
最後の最後に己を省みながら、クシャクシャになったタバコの箱から一本咥えて取り出し、ライターで火を点ける。
「もしかしたら俺は、血族になったあの日から誰かに……俺の正義を否定して欲しかったのかもなぁ」
深くタバコを吸って、白煙を吐く。
しかしそう呟くトレントは、身体の殆どが灰と化していながらも悔恨の念は見せなかった。
「でも、後悔はしてないように見えますよ」
「そりゃそうだ。歪んじゃいたが、俺は俺の正義を通した……そこに後悔なんざねぇよ。
お前だって、ここで死んだとしても俺を倒せりゃ本望って思ったろ?
でなきゃ、ここまで出来ない。違うか? それと変わんねぇんだよ、分かるだろ?」
「それは……」
否定しようとしたが、その通りだった。
刺した後の事など、何も考えていなかった。
今更ながら、自分が下した判断の異常さに気付く。
「俺が言えたクチじゃねぇが、最後に師らしく忠告だ。
お前の正義は俺のと同じくらい、狂ってやがる。
もし、この先もその生が終わらなかったら、その辺は注意するこった。
……でなきゃ、お前か周囲の人間、あるいは両方……お前の正義が殺すかもな。
まあ、何にせよ。気張れよ、こっからだぞ」
そう言い残し、トレントはとうとう燃え滓となって消えていった。
「……」
「気にする必要はありませんよ。所詮、血族に堕ちた人間の戯言です」
振り返ると、既視感のある修道着に身を包んだカーティの姿があった。
何食わぬ顔で立つ彼女だが、土埃で汚れた衣服から、激しい戦闘を繰り広げてきた事が想像出来た。
「カーティ!? 無事だったのか!?」
「はい。ちょっとした幸運のおかげで、何とか一点突破出来ました」
「そうか、良かった! ……で、どこから見てた?」
「最後の方だけです。
それより驚きましたよ。まさか成りたてとはいえ、子爵級を倒しちゃうなんて。
先輩、刑事辞めて私のツテで一緒に執行官やりません? 素質ありますよ!」
「ハハハ。
もう、こんな命の張り合いはしたくないよ。それにどうしようもなかったとはいえ、人の形をしたものを傷つけるのは、何か嫌なんだ」
予想通りの回答が返ってきたのに満足して、カーティは優しく微笑む。
「……狩りを経験しても、貴方は貴方のままですね。何だか安心しました。
では、一度退却しましょう。
ここまで派手に暴れてしまっては、こちらが危険です。幸い大分時間に余裕はありますから、態勢を整えて……」
「煩いな」
突然、世界は赤く染まり、恐ろしく冷たい声が周囲に響く。
反射的に声のする方に目を向けると、先程開かなかった搬入口が開いており、砕けた錠と鎖が散らばっていた。
そして目に留まったのはその前に立つ、時代錯誤なアルストル風のジュストコートを着た壮年の男だった。
「今宵の蝿は活きが良い。どうやら随分と我が配下どもを可愛がってくれたようだ。
さて、これでもう逃げられない訳だが。この責、どうしてくれようか?
なあ、矮小な教会の蝿よ?」
男は不気味な笑みを浮かべているが、纏う雰囲気が彼の怒気を露わにしている。
「なっ、デーヴ・スティルマン!? まさか、奴の棺の在処は……ここ!?」
「ア、アイツが!? どうする、カーティ!? まだティアは……!」
「無論迎撃します。ですが、想定していたより階梯が高いです! この気迫、伯爵……いえ、侯爵に匹敵します!」
「それってどれくらいだ!?」
「上から二番目、血族の上位者へ至るまであと一歩といった状態です!
つまり、今までと比較にならないくらいヤバいので、隠れていて下さい!」
早口でそれだけ伝えて、カーティは聖輪を構えてデーヴに向かって駆け出した。
「聖輪隊執行官、カーティ・マスタンドミア!
主と聖輪の祝福を以って、対象を轢き殺しますッ!」




