第七話 下
杖剣を構え、オミッドはトレントを強く睨む。
「貴方、いや、アンタだったんだな。裏切り者は!」
「おう、そうだ。厳密に言うと、ロッドもな。
ま、あいつはデーブのダンナが俺の記憶を元に再現した人格を張っ付けられた、動く死体なんだがな」
「は? どういう……」
「あ? 覚えてねぇか?
ロッドは性根はクズだが、アレで疑う事に関しちゃ有能でな。どこで勘付いたのか知らねぇが、俺が事件に一枚噛んでると踏んで嗅ぎ回ってやがったんだよ。
で、半月前にお前に何か吹き込んで俺の後をつけて証拠を上げようと企んだ。
ま、結果はそれを逆手に取って返り討ちにした俺の勝ちだったがな」
「じゃあ、何で俺が生きてるんですか? 生かす理由が無いでしょう!?」
「ああ、無ぇな。だが、お前はダグの息子であり、俺の愛弟子だ。
俺の正義の同志になるって言ったら生かしてやろうと思った。何なら、ダンナにお目通りさせて血族にしてやろうとも考えたさ。
まっ、カーティの奴に邪魔されちまったがな」
言われて、オミッドはぼんやりと思い出す。
半月前、自分が何をしていたのか。何故、あの血の惨劇の中に在ったのか。そして、恐怖に身を震わせながら、自分が何を言ったのかを。
「……ぼんやりながら、今思い出しました。あの恐ろしい夜の事を。
……教えて下さい。アンタは何故そうなったんですか!?」
「なあ、オミッドよぉ。お前なら分かるだろ?
犯罪者ってのはクズだ、生きる価値もねぇ!
テッドがどうなったか知ってるか?
人殺っといて無罪だ! 責任能力が無ぇだか何だかゴタク並べてだ、ふざけんじゃねぇ!」
「でも、それが司法が下した裁きじゃないですか!」
「確かに責任能力無しと判断されて無罪になるケースは今までもある。だが、大抵世間の目を気にして裁判所は有罪を叩きつける。
だがよ、あん時ゃあの事件に注目が集まる事は無かった!」
トレントの目は怒りに釣り上がり、語気を強めて捲し立てるように語る。
「そりゃそうだろうよ、天涯孤独の浮浪者が一人死んだくらいじゃな!
だがよ、あのイカレ野郎の逮捕にはダグの命が丸々乗っかってんだよ!
それを無罪だぁ? たまたま世間の注目が集まる事件じゃねぇからって、バカな司法はたった数年強制入院させるだけに済ましやがった!
そんな理不尽が通って溜まるか!!!
だから、俺は奴を探した! 奴が退院したと聞いてからずっとだ! 終いにゃ署のデータベースに不正アクセスまでやった!」
一度裁きを受けた人間に、その裁きが気に食わないからと私刑を与えようとする。
そんな復讐鬼が、尊敬する師の姿だった。
本人から語られたその事実は、オミッドには受け入れ難いものだった。
「そうしてやっとの思いで奴を見つけたのが、一月前だ。
だが、奴は殺されていた」
「えっ?」
「俺が殺すはずだったアイツは、もうダンナに喰われてた最中だったのさ」
・・・
鍵開けで玄関口をこじ開け、ドアノブに手を掛けた時点で、嗅ぎ慣れてしまった血の匂いがすると気づいた。
強引に開けた扉の先。
開いた窓から入る夜風でカーテンは揺れ、月明かりが零れる。
その月明かりが照らす光景に己が目を疑った。
無罪判決が出た時に傍聴していた俺が見た、あの人を馬鹿にするような薄ら笑いを浮かべたテッドが。
積年の恨みを果たすべき相手が、殺さねばならない相手が息絶えていたからだ。
そこにはその骸を貪るように喰う、明らかに人間ではない気配を感じさせる怪物が一匹いるだけだった。
当然恐怖を覚えた。この頃の自分は、まだ人だったから無理もない。
「……何者だ?」
手の甲で血がべっとりと纏わりついた口元を拭って、怪物は立ち上がる。死人のような冷ややかな目で、俺を見下ろす。
次は、俺か。
理解が追い付かなかったが、それだけは直感出来た。
しかし恐怖で硬直した身体は、もう言う事を聞かない。
死にたくはない。だが、後悔などない。裁きを下す相手は、もうこの世にいないからだ。
そもそも、テッドを殺した後、自分はどうする気だったのだろう。
そう考えると、途端にどうでも良くなってしまった。
(この辺で幕引きかね……)
良い相棒と巡り会えたし、そのせがれも一応半人前位には育て上げたつもりだ。
だから、まあ。悪くない人生だった。
それが、最後に出した自分の人生への感想になる、ハズだった。
「……お前、何故笑う?」
怪物が喋った。
言われて自分の頬に手を当てると、確かに頬は緩んでいた。
「その笑みは恐怖によるものではない。やりきった、後悔の無いものの安堵の笑みだ」
だが、と怪物は続ける。
「お前はそれで満足か? まだ、殺すべき罪人は溢れ返っているではないか」
「……と、言うと?」
「お前が一番分かっているハズだ。犯した罪に見合わない裁きにより、繰り返される犯罪・蛮行・理不尽。
ああ確かに、それはとても良くない。実に不愉快に違いなかろう」
「ふん、知った口を!」
「ああ、知っているとも! 俺の眼は映した者の精神を見せてくれる。お前の正義の大火、その憤りを俺は確かに見たぞ!」
その言葉には、不思議と胡散臭さやそう言った類のものを感じなかった。そこでようやくこの怪物は本当に怪物なのだ、と本能が理解した。
怪物は俺を真っ直ぐに見て、その青白い顔を不気味に吊り上げて囁く。
「気に入った。お前に力をやろう」
「力だぁ?」
「ああ、力だ、超常の力だ。見返りは頂くが、お前の正義に必ず役立つだろう。ここで俺に喰われるよりは、悪い話ではあるまい?」
「……で、その見返りってのは? お前さんの言う事が真実だったとして、俺は何をすれば良い?」
その問いに、怪物は不敵に笑う。
「我が叛逆、その手伝いをしてもらう。俺の命令通りに動け。それ以外は何をしようがお前の勝手だ」
「雑だな。だが、……まあいい。その、超常の力とやらに興味が湧いた」
「よろしい。ならば我、デーヴ・スティルマンの名において、お前に我が血を与えよう。ありがたく、拝領せよ。
そして、一つ助言だ。成すべき野望あるならば、あらゆる手を使え。
正義の行いは、何をしても許されるのだから」
そうして、俺は人間を辞めた。
思えば、あの日から、「俺」は終わっていたのだろうか……。
・・・
「にしてもだ。俺と相性が良かったってのもあるが、血族の力ってのはすげぇな。俺たちが必死こいても、法が裁かなかった人間にすら、ソイツが受けるべき報いを与えられる」
「法が裁かなかった……? まさか!?」
「そう、そのまさかよ。
テキトーに低級の血族にした奴らを近辺に潜ませて、殺させる。で、事起こしたら警官の立場を利用した暗示で何も無かった事にする。
どうだ? 血族の力に捜査官の立場の合わせ技って訳よ。
これがハマってな。この一月で、随分な数の犯罪者と前科持ちどもに裁きを下してきた」
「何が裁きですか!? そんなのただの私刑じゃないですか!」
「ああ、かもな。だがな、正しさだけじゃ立ち行かなくなる。
現に俺は、捜査撹乱の為に何人か真っ白な奴も殺っちまった」
「……は?」
「だが、それも真っ当な人間だけが生きられる社会を作る、その尊い犠牲だ。
正義を為すには、臨機応変に行かなきゃな」
トレンドが語る、あまりにも傲慢で自分勝手過ぎる、暴走した正義と称する何かに、オミッドはただ絶句した。
これが、父とともに悪を追求した男の、自分に刑事の何たるかを叩きこんでくれた男の成れの果てかと幻滅さえした。
だからだろう。トレントを睨む彼の目は、一層鋭さを増す。
「何が正義だ! 犯罪者だって更生するかもしれないだろ、反省するかもしれないだろ、やり直せるかも知れないだろ!?
それなのに、なんで! そんなものが、罪の無い一般人を巻き込んでまで、そんな理不尽を強いるのがアンタの正義なのか!?」
「青いな、お前は。犯罪者が持つ、いや人が持つ性質はな、死ぬまで変わらねぇんだよ!
本当は俺だって犠牲なんか出したかねぇよ、だがそうするしかねぇ!
なあ、分かるだろう?」
オミッドに尊敬の念はとうに無く、代わりに失望と怒りが込み上げてくる。
最早どんな事を言われようが、首を縦に振る気はオミッドには無い。
「……今からでも遅くはねぇ。女王を売れ。
知ってんだろ、居場所? そうすりゃ、お前も俺と同じになれる。
お前なら、分かってくれるだろ? だってよ、ダグの、俺の最後の相棒のせがれなんだからよぉ!!!」
「分かるわけないだろ!
俺はアンタみたいに力に酔いたくないし、ましてやそんな力の為なんかに間違ってもアイツを売る気は毛頭無い!
来いよ! 親父の代わりに、アンタの目ェ覚まさせてやる!!!」
それはトレントがやった事を知ったからでは決して無く、オミッドにそんな気は始めから無いから。
彼が持ち出した交渉は、やる前から決裂が確定していたのだ。
「ああそうかよ! じゃあダグのとこに送ってやらぁ!!!」




