第五話 下
その言葉は、オミッドにとって信じられないものだった。
「警部補殿、いくら何でも冗談が過ぎますよ」
「冗談に聞こえたか? 悪いがこっちは大マジなんだよ」
それくらい見れば、オミッドだって分かる。しかし、事件解決の為に協力し合って来た以上、彼は仲間を疑うズィルヴァレトへの苛立ちを隠せなかった。
「……その根拠を、聞かせてください」
怒りを飲み込んで冷静にそう言うと、ズィルヴァレトは捜査報告書のファイルを取り出してきてパラパラと捲った。
「これは差し当たってまとめさせた概略みたいなもんだ。
これによると、今回の事件は従来のそれに比べて恐ろしい程に証拠と証言が出てきていない」
「手を抜いて操作をしている奴がいるって言いたいんですか? こっちは真剣に」
苛立ちながらそう問うオミッドに、ズィルヴァレトは「話は最後まで聞け」と鋭く睨んで話を続ける。
「これは過去に血族が引き起こした事件と類似する点だ。
そしてその事件は大抵混じってるんだよ、警官だった元人間、裏切り者がよ。
俺は今回もその例に漏れず、この署内にその裏切り者、デーヴの手先がいると睨んでいる。何人いるかは……まあすぐ分かるさ」
ズィルヴァレトは忌々しげにそう言った。
それを聞いて、彼が捜査の全権を引き継ぐ命令を出した理由を理解した。彼は命令に反発する者や妨害する者をデーヴの手先として目星をつけようとしているのだ。
後は捜査を引き継いだ後、信頼出来る部下だけを用いて捜査を詰めればいいだけ。手先が捜査に介入出来ないようにすれば良い。
つまり、どう転んでも捜査が進むようにズィルヴァレトは罠を張ったのだ。
そんな見た目や言葉遣いに反した彼が振るう手腕に、オミッドは彼を見直していた。
「私もその可能性は考えました、ですが不思議です。私と同じように暗示を使ったならすぐ分かりますよ?」
「裏切り者は恐らく犯行後、現場周辺の人間に暗示を使ってんだよ。
「夜分遅くにすいません。こういう者なんですが〜」って手帳見せて、騒ぎを聞きつけてやって来た警官装ってな。
後はその事実も暗示で消しちまえば、いくら聞き込んでも何も出やしないって訳だ。血族の暗示は人間が使うのより強力な上判別が難しい。
いくら執行官のお前でも、この署内で使ったのならともかく、意識して見ないと見落としていてもおかしかないだろ?」
その推理を元に考えてみれば、いや考えるまでも無く辻褄が合う。
「でも、そんな事が可能なんですか?」
「ああ、可能だぜ。子爵レベルの血族なら、それくらい容易いだろ」
「その階梯の血族が傘下にいるならやはり、デーヴは子爵以上の血族になっているのは確定ですね」
「あの、知ってるの前提で話されても困るんで言いますけど……。階梯って何ですか?」
「あっ、すいません。先輩は知りませんよね。
階梯というのは、教会が真祖を王族、その眷属達を臣下に見立てて制定した格付けのようなものです。
ちなみに子爵は下の上。これ以下を下級の血族って呼ぶんですよ」
などとカーティから説明を受けていると、ズィルヴァレトは千切ったスコーンの欠片を口に放り込みながらオミッドらを見る。
「さて、以上が悪い情報だ。お前らが昼間戦ったあの士爵どもは血族の成り損ない。言わば底辺のザコだ。
お前はそれ以上の化け物を相手取ろうとしてるわけだが……覚悟は鈍ったか、オミッド?」
「いいえ、変わりませんよ。そもそも、ティアが命を賭けてくれると約束してくれた以上、その話を持ち出した僕が中途半端に投げ出すなんて事は出来ません」
「なら良かった、この筋金入りの狂人め。話は終わりだ、さっさと出て行け」
最後の忠告を拒否されたズィルヴァレトは、悪態を吐きながら手で二人を追い払うように手を振った。
「お茶、ありがとうございました。では、失礼しました」
「……失礼しました」
二人が席を立ち、ドアノブに手を掛けた時ズィルヴァレトが声を発した。
「あー、そうだ。お前ら、仕事終わったら何処に向かう気だ?」
「は? 貴方には関係……」
「まあまあ。えっと、ティアが言うには繁華街の方にデーヴの反応があるらしいので、引き継ぎに目途が立ち次第トレントさんを言いくるめてそこに向かうつもりです」
ズィルヴァレトの無礼さと口の悪さから遂にキレたカーティを宥めて、オミッドはそう答えた。
「なるほどな。あそこは一番目の被害者が発見された現場、それに奴の餌となる人間が多く集まる場所だしな。女王がそう言ってるなら十中八九、奴の寝床はその辺にあるだろうさ。
まあ……気を付けろよ、狂人刑事」
「はい。そうします」
その会話を最後に、オミッドらは今度こそ部屋を出た。
「何で私の言葉を遮ったんですか? あんな無礼な奴に下手に出ちゃダメですよ、図に乗るだけです」
応接室から離れたのを見計らって、カーティはそう文句を言った。
「いや、確かに口は悪いし無礼だけどさ。多分、心配してくれてるんだよあの人なりに。でなきゃ、コレを返しに来い、なんて言わないよ」
そう言ってオミッドは受け取ったアタッシュケースを掲げる。
「どうだか。先輩はお人好しですね」
「褒め言葉として受け取っておく。じゃ、さっさと戻ろう」
「そうですね」
そうして二人は足早に刑事課へと戻っていった。
・・・
「止めなくて良かったのですか、ズィルヴァ様?」
「忠告聞かない奴に今更何か言って説得出来る訳ねーだろ。あんな狂人、放置だ放置」
そう言いつつズィルヴァレトは本日三杯目の紅茶を飲んで、スコーンの欠片を口に投げ込む。
そして徐に左手で携帯電話を取り出した。
「マナー的には良くないが、まあ見逃してくれ」
「それは構いませんが……どちらに連絡を?」
エアルフがそう問うと、ズィルヴァレトは空いた右手で最後のスコーンの欠片を食べながら言った。
「決まってんだろ、本部だ。今すぐに駆けつけられる狩人へ緊急招集を掛けんだよ」
「あら、そうですか。フフッ」
「おい、勘違いするな。女王や奴らがヘマした時、責任を問われるのは俺だ。決して奴らの助力の為の人手を集めようとしている訳じゃねぇからな」
多くの時を彼と共に過ごしてきたエアルフは知っている。
ズィルヴァレトは本心を隠す際に、多くの言葉を早口に語って隠そうとする。世間で言う所の、所謂ツンデレというやつだ。
それは間違いなく彼にとって短所である。
しかしそんな彼の可愛い短所は、エアルフが彼を気に入っている点でもあった。
「ハイハイ、そうでございますね。フフッ」
「だから違うっつってんだろうが! たくっ!」
顔を赤くして怒鳴るズィルヴァレトに、エアルフはからかうような笑みを浮かべた。
「……まあいい。にしても、あの執行官には驚いたな。マスタンドミア、なんて名前そうはいないからまさかとは思ったが、こんな場所でアイツの娘に出会すなんてな」
携帯でメールを打ち込みながらズィルヴァレトが言うと、エアルフはさっきまでの笑顔とは違う曇った表示を浮かべる。
「そう、ですね。人生、何処でどんな巡り合わせがあるか分からないものです。……本当に」
「ああ、同感だ」
言いながら、ズィルヴァレトは送信ボタンを親指で荒くたく押した。




