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小話集  作者: あさな
6/14

報われなかった努力の話。

「努力が、必ずしも報われるとは限りません」


 彼女は静かに言った。

 

 貴族の子息令嬢が通う学院の卒業式でのことだった。

 第二王子殿下が、婚約者を糾弾した。

 殿下は「真実の愛」に目覚めた。その相手は稀有な光魔法の力を持つ少女である。彼女は神殿に保護されている。殿下は彼女を愛し、彼女も殿下を愛し、二人は生涯を共にしたいと思った。しかし、殿下には婚約者がいる。政略的に結ばれた婚約だ。故に、白紙にしたいと国王陛下に申し出たが、難色を示された。当然である。繰り返すが二人は政略的に結ばれたのだ。婚約者の家は国内有数の公爵家であり、王家からの申し入れで成立した。それを反故にするなど火種にしかならない。たしかに、光魔法も強力な力であり、王家に取り込めることは喜ばしいが、だからといって公爵家を敵に回すほどの利益はない。

 国王陛下に期待できないとわかると、殿下は婚約者に話をして協力を仰いだ。「真実の愛」のために君からも婚約白紙を穏便になせるように父君を説得してくれ――まったく馬鹿げた頼みだが、殿下は真剣だった。その願いを婚約者が聞き入れてくれると信じていたのだ。何故なら、自分たちは「真実の愛」を知った。この世の中で何よりも尊いものだから優先されるべきだとそのように舞い上がっていた。恋は盲目とはよくいったもので、聡明と言われていた彼をここまで愚かにさせた。

 だが、婚約者は殿下の申し出を拒絶した。殿下の心を得られなかったことは悲しいが、王子妃となるべくこれまで努力を積んできたのだから、これからはその役割を果たすことだけを考える。その少女は妾にすればよい、というのが主張である。

 殿下には信じがたいことだった。自分の心は別の令嬢にあるのだと言っているのに、それでも婚姻をする気でいるなど正気の沙汰とは思えないし、何より真実の愛の相手を妾にしろなど冒涜である――故に、諦めずに婚約者の元に毎日通い続けて説得を試みた。

 次第にその話は広まり、婚約者は二人の仲を引き裂く悪女という噂が流れ始めた。折悪しく、世間では身分違いの恋をテーマにした物語が大流行していた。物語のような出来事が現実に起きている。それは娯楽となり、殿下たちの恋を応援する流れが生まれた。

 そして事件が起きた。

 その日も殿下と少女は婚約者のところへ向かい、自分たちがいかに愛し合っているかを伝え、愛のない婚姻を結ぼうなんて考えは間違っているから婚約を白紙にするようにと迫った。


「あなただって、こんな婚姻惨めになるだけなのにどうしてわかってくださらないの」


 少女のその言葉に、これまでの鬱憤が爆発し婚約者は手を上げた。

 たった一度のことだったが、これにより婚約者は粗暴であるとされた。婚約者は婚約者として一切の非がなかったので責めることができなかったが理由ができたのである。

 婚約者の瑕疵による婚約破棄。それも後には引けぬように大々的にやる――殿下は最終手段に出ることにした。即ち、卒業パーティーで婚約者の横暴な振る舞いをあげつらい非難して、自分の配偶者にはふさわしくないことを証明し、その後、少女との婚約を宣言する。

 その通りに実行してみせたのだが。

 対して、婚約者は静かに告げた。


「努力が、必ずしも報われるとは限りません。

 わたくしは、五歳で殿下との婚約を結びました。以降、王子妃となるべく様々な教育を受けてまいりました。我が国は周辺を四つの国に囲まれておりますから、共通語である帝国語以外にも各国の言葉を学び、日常会話程度はこなせるようになる必要があります。また、この国の貴族としての嗜み、マナーの他にも、各国のものを覚えました。たとえば皇国ではカーテシーのあと、自身よりも身分の高い方に対しては両手で口元を覆う所作をとります。相手から声を掛けられるまでそのように待つことが礼儀とされています。一方で公国では口元を隠すという動作はよからぬことを企んでいるという風に解釈されるため、扇で口元を隠すようなこともしてはなりません。そのように国によって違いがあるために学ぶことは大切なのです。

 そのようにして十三年間、わたくしは王子妃として必要な教育を受けてまいりました。そして、いよいよ王子妃になるという直前で、わたくしの努力は水泡に帰す危機に陥りました。

 殿下が『真実の愛』というものを見つけ、そのお相手と一緒になりたいからわたくしとの婚約を白紙に戻したいとおっしゃったのです。

 更には殿下とそのお相手の『真実の愛』を後押しする者たちもいる。彼らによればわたくしは二人の仲を引き裂く悪女。王子妃の位に固執する権力主義者と陰で言われておりました。

 そんな傲慢な者は王子妃など相応しくない――今しがたの殿下の糾弾はそういう主張でございました。

 たしかに、先の訴えにありました通り、わたくしは彼女の頬をぶったことがございます。暴力をふるった、その一点に関してはわたくしに非がありましょう。ただし、何故そのような振る舞いに至ったか、それをきちんと公平にお聞きいただきたく存じます。

 わたくしが、悪女と言われるほどのことをしたのか、きちんとわたくしの言い分を聞いていただかなければと。どうか皆様、わたくしが話し終わるまで、お聞きくださいませ」


 婚約者はそこで一度、カーテシーをして見せた。

 活舌の良い彼女の言葉は、会場の隅々まで聞こえた。これも王子妃としての教育の賜物。人前での演説、人を引き付けるスピーチは、長い間の鍛錬がなせるもの。こんな形でそれを披露するのは皮肉ではあるが。

 婚約者は射貫くように殿下と少女を見た。その堂々とした振る舞いに、口を開きかけて殿下は、しかし、何も言い返すことができなかった。情けない話が気圧されたのだ。

 婚約者は、再び会場に視線を戻した。


「わたくしは、お二人が親しくなり始めた頃、わたくしという婚約者がいながら、他の令嬢と親しくするのはいかがなものか? お控えくださいますようにとお願いいたしました。

 すると、殿下は『学友として親しくしているだけなのに、妙な勘繰りはするな』とわたくしをお叱りになりましたの。

 それでもわたくしは、『たとえ今は学友としてであっても、男女の仲というのはわからぬもの。二人で過ごすうちに間違いが起きる可能性がある以上、距離を置いてください』と婚約者として当然のお願いを申し上げました。

 しかし、殿下はわたくしのその願いも、『男女の友情を信じられないとは愚かな』と一蹴されました。

 けれども、わたくしの心配は見事に的中しましたことは、お二人が『真実の愛』を主張されることからも明白でございましょう。

 わたくしは、殿下からそのことを聞かされたとき、『ですから、わたくしは彼女と距離を開けてくださいと申し上げましたのに。結局は恋仲になったではありませんか』と抗議しました。それに対して、殿下は『好きになったものは仕方ないだろう。人を愛する気持ちはとめられない』とおっしゃったのです。

 わたくしは、このことについてまず殿下に非を認めていただきたく存します。

 傍にいれば愛おしいと思う可能性は増える。だからそうならないように対処してくださいとお願い申し上げたわたくしの意見を無視された。

 わたくしが申し上げたときは『ご学友』でしかなかったのなら、その後、関わることをせずにいたら好きにはならなかったのではないでしょうか。

 いいえ、仮に好きになったとして、距離を取った上で、それでも恋をしたというなら、それは仕方ないと言えなくもないでしょう。けれど、あれほど一緒に過ごしておいて、仕方ないというのは詭弁でしかありません。なるべくして好きになった。率先して恋に落ちた。つまり、わたくしを裏切るつもりだったということです。

 けれど、この件については今更ですから、わたくしも受け入れることにいたしました。

 彼女を妾として迎え入れることを許容いたしました。

 殿下の愛を得ることはできませんが、王子妃としての務めを果たしていくことに生涯を捧げる。わたくしの十数年に及ぶ努力に実を結ばせたかった。

 ところが、殿下たちはそれも気に入らないとおっしゃった。それもわたくしが可哀想だからとおっしゃったの。

 彼女に手を上げたのもわたくしに対して『愛されない婚姻なんて惨めなだけ』と愚弄してきたからですわ。

 ねぇ、でも、考えてもみてください。殿下と婚約を白紙にして、わたくしが次に婚姻を結ぶ相手……国内でわたくしと釣り合いの取れる方はもうすでに皆様、婚約者がいらっしゃる。それは国外でもそうでございましょう。となれば、現実的なところで、公国のハーレムに入ることになるでしょう。彼の国からは友好を結ぶために王家の姫をと打診がございましたが、生憎と年齢に見合う姫もおりませんでした。ですが、分家とはいえは王家の血が流れるわたくしは、まさに適任でございましょう? 

 ですが、この婚姻がはたして『愛される婚姻』なのかしら?

 そうですわね……政略的な始まりでも、或いは、一緒にすごすうちに愛されることもあるのかもしれませんわ。ですが、その愛はわたくし一人にだけ注がれるものではありません。ハーレムとは複数の女が王の寵愛を得るために切磋琢磨する場所です。わたくしだけを愛してくださる方ではない。一夫一婦制の国で育ったわたくしにとってそれは想像だけでもとても難しいことです。そのような場所で嫉妬に苦しむ可能性があるならば、たとえ殿下からの愛を得られずとも、殿下と婚姻をして王子妃としての務めを果たしたい。それを許してほしいとわたくしはお願い申し上げたのです。

 でも、殿下はそれを拒絶された。殿下にとって妃は一人。真実の愛で結ばれた方のみでないと嫌だと。そのためなら、わたくしがハーレムに入り、複数の女と愛を分け合う暮らしをさせることも厭わないととおっしゃったのです。そして、そちらのご令嬢も、それを知った上でわたくしが殿下との婚姻を望むことを『愛されない婚姻は惨めなだけ』とわたくしを罵ったのよね。だからわたくし、思わず手を上げてしまいましたの」


 ざわざわと会場が揺れた。

 それまで殿下たちの恋を応援していた者も……否、そういう者ほど動揺が広がっていく。それもそうだろう、彼らは殿下たちの恋にばかり集中して、婚約者のことなどちっとも考えていなかった。まさか、彼女がハーレムに入る可能性など微塵も。だが、何より衝撃だったのは、その話を殿下たちは知った上で、それでも婚約を白紙にしろと主張していたことである。

 愛する人はただ一人――その気持ちはよくわかる。だが、そのために、人を犠牲にしてもいいのか。それも長い間婚約してきた相手にである。


「皆様、お静かになさって。

 わたくしがいかに悪女か、瑕疵があるのか、散々な噂が流れておりましたが、全部がどなたかに都合の良い脚色であったとわかり動揺されるのはわかりますけれど、そもそも最初からこの話はおかしかったではありませんか?

 婚約者がいながら、別の相手に恋をする。それが不誠実以外何だというのでしょう。ですのにこのお話は『真実の愛』として広まった。物語ならいざ知らず、現実でもそれがまかり通るなど、あまりにも荒唐無稽というものでしょうに。

 ですが、もう何もかもが過ぎたことでしょう。

 ここまで大々的に婚約破棄を突きつけられたからには、わたくしももう殿下との婚姻を結ぶことはありえません。

 わたくしの十三年に及ぶ王子妃としての努力はすべて水の泡と相成りました。

 ですが――ですが、これだけは最後に申し上げます。

 努力が実を結ばないことは、ままあることでしょう。誰しもが報われるわけではない。ええ、悲しいけれどそれが世の摂理。けれども、たとえ報われなくても、努力してきた日々そのものを他人が軽んじてよいはずがない。

 殿下と、そちらの令嬢が、わたくしのこれまでの日々を簡単に考え、ご自身たちの望みだけに執心し、あまつさえそれが正しいことであると触れ回ったこと、その不誠実さをわたくしはけして許しません。あなた方がこの先、婚姻を結ぶにしても、それはわたくしの努力を、尊厳を、何の誠意もなく、無残に踏みにじった上にあることを、どうぞゆめお忘れなきよう。皆々様にも、重ねてお願い申し上げます。

 わたくしの主張は以上です。

 せっかくの卒業パーティーに時間をいただきありがとう存じます」


 そういうと婚約者はカーテシーをした。

 深く深く、沈むように頭を下げるその姿は、演目を終えた舞台女優のように凛然としたもので、その場にいた者たちの目に深く焼き付けられた。

読んでくださりありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
最後まで遮られることなく話せて良かったですね。
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