真性
人を好きになると弱くなる、と言った人は天才だと思う。
この場合の好きというのは主に恋愛感情のことだ。
恋した相手に好かれたいという健全さと、恋した相手に嫌われたくないという不健全さが、惚れた弱みというものを作り出してしまう。
私はそれを大変可愛いものであると認識している。
愛おしくて、慈しみたくなる。
だが、これを悪用する人間だっている。
たとえば彼らのような。
目覚めると、私は乙女ゲームの所謂悪役令嬢に憑依転生していた。
悪役令嬢は婚約者である第二王子を愛していたが、彼は平民から男爵家の養女となった娘に入れあげている。悪役令嬢は当然納得できずに彼女にチクチク嫌がらせをするが、それを王子が庇い、結局は悪役令嬢の方が恥をかくというドアマットな立場である。
悪役令嬢となった私は、この馬鹿らしいドアマットな現状を打破しようと考えた。――つまり、もう彼らに関わらないでいる。
だが、この選択には多少なりとも罪悪感がついてまわった。
私が憑依する前の彼女の気持ちを踏みにじるような行為であるからだ。
たぶんきっと彼女は彼らから離れることを望んでいない。どこまでも愚かに、どこまでも執拗に、突進していっては自らの愛を証明しようとし、そして、否定される地獄のループの中にいたい。
でも、残念ながら私は彼女ではないので王子に何の感情もない。彼女のことを可哀想で可愛らしいとは思うが、このような自分を馬鹿にされる環境に身を置くことを許容してまで思いを叶えてやりたいわけではない。自分の平穏が大事だった。
そんなわけで、私は彼らと一切の距離を置いた。の、だけれど。
「一緒にお茶しませんか? きっと私たちは分かり合えますよ」
昼食をとるために、友人たちとカフェテリアにいた。
食べ終えて、くつろいでいると、男爵令嬢とその取り巻きたちが姿を見せた。彼女は私を見つけると近寄ってきてそのように宣った。
彼女の後ろで私を睨みつける取り巻き――その中には当然婚約者である第二王子がいる。
私はまじまじと彼女の顔を見つめた。
なんの淀みもない無垢な笑顔を浮かべている。
(この子って……)
私は悪役令嬢の記憶を反芻した。彼女は愛ゆえに男爵令嬢に嫌がらせをした。褒められた行為ではない。恋は盲目とはいえ非難されても仕方がない。私とてその部分を肯定する気はなかったが。
今、目の前に当事者の男爵令嬢を見て、考えが変わった。
ああ、この子は
「あなたは、人の心や思いやりがないのですか?」
私が言うと、取り巻きたちがいきり立った。
彼女になんという暴言を、思いやりがないのはお前の方だ、と次々に口汚く罵ってきた。
私は彼らを一瞥した。醜い表情の彼らを。
「……わたくしは、何度も、何度も、何度も、婚約者が自分以外の令嬢と親しくするのを好まないと申し上げました。けれど、あなた方はわたくしの思いを無視して、今もこうして一緒に過ごしているではありませんか。何ら疚しいことはない、とあなた方は繰り返しますが、疚しいことがあるかどうかなど関係ありません。わたくしが嫌だと思っている。その気持ちを無視した。この事実を見て、わたくしはあなた方にわたくしの気持ちを理解してもらうのは無理なのだと悟りました。ですから、近頃はあなた方の傍には近づかなかったでしょう? 視界に映らなければないことと思えるから、そのようにしてわたくしは不快さをやりすごしていたのです。にもかかわらず、彼女はわたくしの傍に来て、分かり合えると言った。けれどその『分かり合える』はあなた方の言い分――すなわち、疚しいことがないのだからあなた方が親しくなることを認めろ、わたくしがそれを認めたら分かり合えるという意味ですわよね? わたくしの『婚約者と自分以外の令嬢が親しくしているのを嫌がる気持ち』を理解して、あなた方が一緒にいるのを控えるという意味ではないでしょう? どうして一方的にあなた方の主張を受け入れさせられることが『分かり合える』ということになるのでしょう。それは『分かり合える』ではなく、わたくしの気持ちを変えさせるということです。わたくしがあなた方に嫌だと感じた気持ちを無視するということです。わたくしはあなた方の主張を変えるのは無理だろうし、かといってわたくしの主張を変えるのも無理だから、距離を置くという建設的な行動に移しましたのに、彼女はあくまでも自分の主張を通そうと、嫌がるわたくしに嫌がるなとそのようにしろと申し出ているのですよ。思いやりのかけらもない行為ではありませんか?」
「まぁ、そんな、ひどいわ」
彼女は悲し気に俯いた。
すると、取り巻きたちはまたいきり立った。
「……ひどいことをされているのはわたくしなのに、ひどいというなんて、ひどいわ。これ以上、わたくしは悪者にされたくありませんから、今一度はっきり申し上げますわね。分かり合うのは無理ですから、せめて関わらないようにいたしましょう。これだけ言って、まだ執拗にわたくしに何かを求めるというのなら、それは加害行為として受け止めます。どうか、これ以上、わたくしに嫌がらせをしないでくださいませ。よろしいですわね?」
私が言うと、悲しんでいたはずの彼女が顔を上げてうっそりと笑った。
(ああ、やはり)
やはり彼女は真性なのだ。か弱いふりをして他人をいたぶることに愉悦を感じる。悪役令嬢は彼女の本質に気づかず、彼女の玩具としていたぶられていただけなのだ。
王子を愛していなければ、引っかかることはなかっただろうに、王子を愛したばかりに、感情を乱されて泥沼に足を踏み入れてしまった。
ただ、行動だけを見て善悪を決めることの愚かさ、いい加減さ、それを見事に逆手にとっていた彼女の手腕はたいしたものである。
悪役令嬢はいたぶるのはさぞや楽しかっただろう。
どんどん悪者として貶められる姿は。
でも、それはもうおしまい。
すべてを確信し、私もまた彼女に微笑み返した。
読んでくださりありがとうございました。