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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

さくら、男、女。

作者: 緑苔ピカソ

 今日、素敵な男性と出会った。

 まさか、お料理教室でこんな出会いが待っているとは思わなかった。


 私がそこへ行ったのは、少しでも自分を変えたかったから。

 資格も免許も個性も華もなく、ただ毎日会社と家を往復しているだけの、ロボットみたいな自分を。

 それ以外の事には何も期待していなかったのに……。


 一言でいうと、彼はムードメーカー的な存在だった。

 生徒の中でも決して料理が上手という訳ではなさそうだったが、気さくな言動で場を和ませてくれた。

 彼の爽やかな笑顔に、久々に胸がときめいた。


 帰り道、私はお花屋さんに寄って、ピンクの桜草を買った。

 次に会う時は、ちゃんとお話ししてみたいな。




 今日はとっても良い日になった。


 2回目のお料理教室で、また彼と同じ班になれた。

 それだけじゃない。隣で作業をしていた時、不意に彼と手が触れ合ってしまった。


 はっとして見上げると、彼は照れくさそうに笑いながら“すみません”と言った。

 こちらこそ、と頭を下げる。いつもの私ならそれで終わり。

 でもその時は勇気を出して、お料理って楽しいですよね、と話しかけた。

 彼はにこにこしながら頷いて、自分は下手の横好きだが料理が好きなのだと語ってくれた。


 それからしばらく、作業を続けつつお互いの事を話した。

 彼は名前を和彦さんといった。独身で、私より2つ年上だった。


 そうして軽く言葉を交わし、彼の事を知れるだけで嬉しかった。

 けれど、もっと嬉しい事に、彼と駅まで一緒に帰る事が出来た。

 教室にいた時よりもゆっくりとお話しして、なんと連絡先まで交換出来た。


 彼と別れたあと、私は夢見心地のまま、お花屋さんでオレンジのポピーを買った。

 まだ胸がどきどきしてる……今夜は寝つけないかも。




 今日が、人生で一番緊張した日だったかも知れない。

 初めて、和彦さんとふたりきりでお出掛けした――つまり、初デートの日。


 何日も前から、この日の為に準備を整えてきた。

 服装や髪型はもちろん、彼が興味を持ってくれそうな話題だってちゃんと考えていた。

 なのに、待ち合わせ場所で彼と会った瞬間……緊張で何も話せなくなってしまった。


 ガチガチに固まった躰を無理矢理動かして、ぎこちなく彼の隣を歩いた。

 彼が何か口にしても、言葉がするりと頭の中を通過してしまう。

 それでも、ウィンドウショッピングをしながらとりとめのない話をしていると、徐々に気がほぐれてきた。


 そんな時、彼が私の手を握った。一瞬、頭が真っ白になった。

 熱を帯びた肌の上を、生ぬるい春風が通り過ぎていく。

 私はそれからずっと、彼の事ばかり見ていた。


 帰り道、紫のライラックを買った。

 和彦さん。あなたが好き。




 今日……じゃなくて昨日は、2回目のデートだった。それも、憧れのドライブデート。


 車の中で、和彦さんの好きな音楽を聴いた。

 海岸沿いの道で、海の向こうへと沈んでいく夕陽を眺めた。

 彼行きつけのイタリアンで、ディナーを食べた。

――何もかも、私にはもったいない贅沢だった。


 場所やお金の問題じゃない。

 彼が私を隣に置いてくれるというだけで、それは私の身にあまる贅沢だから。


 辺りもすっかり暗くなってしまった頃。

 私が、もうそろそろ、と言うと、彼もそうだねと返事をした。

 てっきり家に帰してくれるんだと思っていたのに、違った。


 彼は何も言わず、私をラブホテルへと連れ込んだ。

 戸惑ったけれど、断れる訳がなかった。

 せめて、今日の分の恩返しをしなくちゃって思った。躰で返せる自信なんて、さらさらなかったけれど……


 彼は熱烈に私を求めてくれて、でも、すごく優しかった。

 愛されてるんだ、って思った。


 終わってから、彼は私の髪に触れて、“これからも僕のそばにいてくれる?”って言った。

 うんうんって、何度も頷いた。あと少しで泣いてしまいそうだった。


 今日の朝、彼に家まで送ってもらったあと。私は赤い牡丹を買った。

 これからは、離れてたってずっと一緒だね。




 ただ会社と家を往復するだけの毎日は、和彦さんの存在で劇的に変わった。

 私は彼と会うたびに、お花を買って帰った。ワンルームの家は、お花でいっぱいになった。


 家に帰ると、改めて幸せを噛みしめられる。こんなにたくさん、彼と会っているんだって実感出来るから。

 ……でも、流石に買いすぎちゃったかな。




 今日は、和彦さんとお花見をした。

 満開の桜の下にレジャーシートを敷き、お酒を呑み、私手作りのお弁当を食べた。


 彼は桜を眺めながら、“どうして桜の花が綺麗なのか知ってる?”と訊いた。

 理由なんてあるの、と私は言った。


“桜の樹の下にはね、死体が埋まってるんだよ。桜はその養分を吸ってるんだ”


 私は驚いて言葉も出なかった。そんな私の顔を見て、彼は笑った。

“優紀子は純粋だなぁ。嘘に決まってるだろう”


 それはただの都市伝説なのだと、彼は教えてくれた。

 しかし、私には真実に思えて仕方がなかった。

 こんなに美しい物が、何の事情もなく存在しているなんて……おかしいもの。


 今日は帰りにお花を買わなかった。代わりに、桜の写真を持ち帰った。

 お花はどれも美しいけれど、桜は特に、私の憧れ。




 今日は、つまらない日。

 また和彦さんにデートの誘いを断られた。毎回勇気を出して誘っているのに、この頃いつもこうだ。

 仕事が立て込んでいたり、上司やお得意先との付き合いがあるんだって彼は言うけれど、本当かな。


“ごめん。その日も会えない”


 そんなメッセージを確認したあと、私は紫のパンジーを買った。

 私より大事なものが、彼にはある。私には、彼より大事なものなんてないのに。




 今日は……今日は、なんという日だろう。


 和彦さんが他の女といるところを見てしまった。偶然通りすがったジュエリーショップの店内で。


 女は露出の多い服を着ていて、身なりが派手だった。

 彼は、その娘と腕を組んでいた。仲睦まじい様子で、指輪か何かを見ていた。記念日なのだろうか。


 帰り道、私は黄色い薔薇の花束を買った。彼らに渡せる訳もないけれど、おめでとうの意味を込めて。

 彼が幸せなら、私はそれでいい。




 今日は、人生最悪の日だ。


 この前、和彦さんに他の女がいると知った日は、物分かりの良い女になるつもりでいた。

 しかし、やっぱり私は未熟だった。

 どうしても耐えられなくなって、今日、彼のところへ行ってしまった。


 突然現れた私を見て、彼は訝しげな顔をした。

 私は構わず、先日あの現場を目撃したのだと言い放った。

 彼は呆然としていたけれど、唐突にふっと笑った。


“君も、仕方ないって思っただろ? 僕が君みたいな子一筋で生きていくなんて、もったいないじゃないか”


 そう言われた瞬間、頭の中で何かが崩れる音がした。

 がらがら。がらがら、がらがらがらがらがら……


 気がついたら、自分の部屋にいた。胸に真っ暗闇を抱え込んだまま。


 私は、部屋中の花を引き千切った。全部ばらばらにして、壁や床に叩きつけた。

 それから、思いきり叫んだ。


 許せなかった。実際、彼の言った通りだったから。




 今日は一日中家にいた。

 何もせず、床に座り、床を眺めていた。

 床には色とりどりの花びらが散らばっていた。


 どうでもよかったけれど、私はそれらを片づける事にした。

 ほうきを持ってきて、花の残骸をひとところに集める。まとめてビニール袋に放り込む。


 袋を持ち上げて中を覗くと、ほんのちょっとだけ甘い匂いがした。

 私は胸を突かれ、涙が止まらなくなった。




 桜になりたかった。

 凛と咲き誇っている、気高い桜の花に。

 けれど、そう簡単にはなれない。あれが綺麗に咲くには、死体が必要だもの。


 だから私は、一対の男女の死体を用意した。

 見るからに頭空っぽのあばずれと、見た目はましでも中身は女の方と同程度のくだらない男。

 土に埋めやすくする為、彼らを細かくする作業には骨が折れた。

 でも、料理を習っていた甲斐もあり、割かし手際良く出来た。


 さぁ、この汚らわしい死体の養分を啜れば、私は綺麗に咲ける筈。今までの私とは段違いに、綺麗に……


 綺麗に……あれ……でも……


 お花って、どれ程綺麗だったとしても、見てくれる人がいなければ意味がないんじゃない?


 そっか。だったら……




 今日、素敵な男性と出会った。

 まさか、英会話教室でこんな出会いが待っているとは――

最後までお読みいただきありがとうございます。

よろしければ評価・感想・ブックマーク等いただけると幸いです。


○参考にさせていただいた小説○

梶井基次郎『桜の樹の下には』

https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

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