ありふれた日常は時に壮絶な争いになる。
ふと気づく腕にある違和感。
だが今更認識したところで既に手遅れ。
ヤツの持った刃が俺の腕に刺さっている。
「お、お前…。俺を刺したの…か…?」
何故そうなってるのかはわからない。
強いて言うなら運が悪い。
全身黒ずくめのヤツは笑っているような気がした。
不思議と痛みはない、だがあと数分もすれば地獄の始まりだろう。突然の出来事だ、呆然とする他ない。
もちろん抵抗する。ヤツに向かって平手打ちをお見舞いしようとするが、軽い身のこなしで避けられる。
「てめぇ…。いい度胸じゃねぇか…。誰に喧嘩売ったか教えてやるよ!」
ただ言いたかっただけだ。喧嘩が強いわけでも格闘技を習っている訳でもない。そこいらにいる一般男性だ。そんな男が、距離を取ったヤツに勝てるはずもなく、拳を振るっては空振りの連続。
男は諦め助けを求めようとする。しかし考える。はたしてこれしきの事で助けを呼んでいいのかと、情けないのではないかと。
考えているうちに黒ずくめのヤツはまた近づいてくる。今度の狙いは顔のようだ。だが男は避ける。1度認識してしまえば躱すのは容易い。すかさず反撃するが相手も避ける。
まさに膠着状態。だが時間が経てば刺されているこちらが不利だ。
そして男は覚悟を決める。
そう、ヤツがもう一度刺した絶対に避けられないタイミングでの攻撃をしようとする。
だが代償はある。刺されるのだ。既に1度刺されている。ましてや次は何処を刺されるのかわからない。顔かもしれない同じところを狙ってくるかもしれない。最悪の場合、大事な息子を犠牲にしなければならないかもしれない。
だが男は決めた。確実にコイツは放置出来ないと頭の中で警鐘がなっている。
しかも既に刺された場所に違和感を感じ始めている。背に腹はかえられないと、男は目を閉じその時を待つ。
「来るなら来い…。その時がお前の最期だ…。」
言葉を理解しているのかいないのか、黒ずくめのヤツはこちらに近づいてくる。
もちろん恐怖はある。次はどこを刺されるかわからない。もしかしたら刺されただけで取り逃がすかもしれない。
だがそんな気持ちを無くすかのように全身に神経を張り巡らす。
どこを刺されても反応できるように身構える。次はないぞと自分に言い聞かせている。
待った時間は数分か、もしかしたら数秒だったのかもしれない。
だが確かに感じた異物が身体に入ってくる感覚。お腹だ。今お腹を刺されている。
そう考えるのが早いか、腕を振るうのが速いか。
ヤツは俺を刺すことに夢中。今なら殺れると勝ちを確信。
そのまま腕は何にも阻まれることなくヤツに届く。
ヤツは抵抗することなく押し潰される。実に呆気ない最期だった。
だが刺された事は事実。また数分後にはお腹に地獄を見るだろう。
コイツを恨む。1度ならぬ2度も自分を刺したのだと。だが今はヤツをこの手で葬った事を喜ぶ。慈悲などなく悲しくもない。
「やったぞおぉぉぉ!」
失った物…は何も無い。勝って得た物…は束の間の幸福感だがそれも数分後にはなくなってるだろう。
しかし激闘だったのは事実。
ヤツの死体は見るも無惨だった。血は飛び散り綺麗にペシャンコになっている。
その亡骸はただの蚊であった。