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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

斎月千早の受難なる学生生活 1

 序


 重く湿り気のある生臭い空気と生温かな潮風が、浪間に漂っている。

使い込まれ、錆で腐食された小さな客船。離島と離島を結ぶ週に一便の定期船。町島と潮上島を結ぶ。町島と大島の定期船は週に二便。その島と本州は飛行機が主。そんな遥か遠くの離島。日本最南端の離島に近い海域にある。

私、斎月千早は民俗学の論文の為に潮上島を目指していた。

大学の図書館で発見した資料によると、戦前は漁船や交易船などの寄港地として賑わっていたという。最近では、限界集落の一つらしく本土との交流は、精々、釣りマニアや、夏の海水浴シーズンのみとなっているらしい。


 私は、船の上から潮上島を視るなり、大きな溜息を吐いてしまった。長旅の疲れではない。あの事件から五年。親友であり理解者の一人である、天水潤玲とは別々の進路に進んだけれど、関係はずっと続いている。

私の家系は代々、拝み屋の血筋。霊能力を持つ故、神職や僧侶などが出生していた。国家神道以前は、社寺の管理も行っていた。今はただの神職でしかないが。それでも神々と共に在る事を一に考えるのは変わっていない。もちろん、霊能力を生まれ持つのは極稀で、しかも強い力を持つ者は、数十年に一人か。

私の祖母・焔も一人。業界では知らぬ者がいないという。だけど、子である父親には、霊能力など無かった。他の子も力を持つ者はいても、少しばかりの霊感程度。結局、そちら方面に進む事なく公務員になった。私の母と姉は家系を嫌い家を出た。私の視ているモノは誰にも視えていない、聴こえているモノは聴こえていない。だから、周りからは変な子として孤立していた。その理解者が祖母であり、従兄妹の唐琴だった。唐琴、唐兄。祖母は私を一族の後継者にしたかったらしく、理解してくれているぶん、その道の修行をさせられた。当然、同い年の友人などいない。祖母はよく語っていた。

―この国には様々な神やモノが存在している。名を持つ神も名も無き神も。時には荒ぶり、時には和む、その様なモノ。霊能者ではなく、神々を視識り共に在り、その源を護りながら後世に語り継ぐ。それが本来の使命。常に神々やモノ達と伴に在る事を忘れてはいけない―と。

だから、その道に似た事だとしたら民俗学という学問だと判った時、進むべき道だと感じた。神職の学部はまた違うのだ。私の求めているモノは。

民俗学部・秋葉ゼミ。普通の民俗学とは少し違った角度からの民俗学という、かなり変わった研究をしている。そこは『本物』しか研究しないとか教えてもらったが、ソレが何を指しているのかは、その時はまだ知らなかった。

そのゼミで論文を書かなければ単位が貰えなくなると、まだちょっとしたレポートしか提出した事しかなかった私に、教授が本格的な論文を書くように言い、

大学の図書館に籠り資料を探していた時「離島に伝わる秘祭」という古い書物を発見した。その中に、今訪れようとしている潮上島があった。秋葉教授に問うと「テーマとしては、良い」と言ったので決めたのだけど。

潮上島は離島の限界集落、寂れているのは予想していたが、それとは違った事があった。視界に感覚に纏わりつく、嫌悪する空気だった。



一章潮上島 

 

 潮上島は、数十人という限界集落。港には古い小さな漁船が数隻あるだけで、今の時間は誰もいない。定期船から降りるのは、おそらく島民。それも数人で年配というか年寄というのか。お互い会話すら無く家路についている。

この島を調査する事にしたのは、図書館で見つけた書物。色々な本や資料、書物といった物に埋もれる様にして埃をかぶっていたのを見つけた。読んでみると離島の文化や風習、特有の信仰が書かれている。といっても恐らくは戦前に書かれた物らしい。その中に潮上島の話が地図と共にあった。

―潮上島には、触れてはいけない見てはいけない聞いてはいけない、秘密の祀り『極秘祭』と呼ばれる神事がある。島の者の口は堅く誰も知らないという。謎に満ちたモノ。それが何であるか、何時か誰かが解明してくれるのだろうか

とあった。地図には、数多くの神社の記号があり、それが何を示しているのか興味をそそられた。地図は古い、戦後間もない頃の物だろうか。その島を調査対象にし、新しい地図を手にしたけれど更新されていないといった感じだった。

行ってから地元の地図を手に入れればいい。その考えが甘かったと、潮上島と隣の島とうい町島で後悔した。地図が無かったのだ。でも、来てしまったので、現地でなんとかするしかない。

 今は梅雨入り前。海水浴シーズなり釣り客なら違和感は無かったのかもしれないが、私はかなり浮いていた。それよりも、島を覆う異質な空気が気になっていた。感じた事のない気配というのか? その気配というか空気のせいで、重い溜息が出てしまう。澱んだ空気といった感じ。足が重く感じた。気を取り直して予約している民宿へ向かう。唯一受け入れてくれた。シーズでは無いのと、釣りの常連で無い事を理由に断り続けられたと言っても、リストにあったのは五件。先行きを考えると疲れる。それも、空気のせいか。

釣り客でもなく、シーズンの客でも無い私を、年配の女将は怪訝そうに迎え入れた。他に数名、釣り客らしき人もいるらしいが。

「大学の研究で、こんな処まで。学生さんも大変だねぇ。シーズンに来れば少しはここも少しは賑やかなのに」

と面倒臭げに部屋に案内してくれる。

「門限はないけど、食事は隣の食堂で。釣り客や漁師相手だから、大抵の時間は開いているよ」

古びた鍵を渡すと、さっさと階段を降りていく。二階は私一人だけの様だ。

部屋に入ると、どっと疲れる。掃除はされているものの、古い。エアコンは無い。古い扇風機があるだけ。当然テレビもなかった。電話はダイヤル式の公衆電話。当然、スマホも圏外。さすがにGPS携帯電話を借りる資金は無かった。考えても仕方が無いので荷物を置き、地図を手に散策に出る事にした。

 外に出た途端、嫌な空気に纏わり着かれる。湿り気のある潮の生臭さの空気というのか。それに夕食の臭いも混ざり、居心地の良い空気とはとても言い難い。沖の方から、一、二隻と小さな船が戻って来ているのが見える。その日の食い扶持分の漁でもしていたのだろうか。港の通りは一応アスファルトとコンクリートなどで整えられているが、劣化が目立つ。家も立ち並んでいるけれど、殆どが空き家。生活感が感じられない。隣の町嶋は、それなりに生活感はあったが。幾つか限界集落を調査してきたけれど、ここは最悪。なんていうか、生きている感じがしない。寂れているのとは違う違和感がある。

―なんだろう、この感じ。

辺りを見回す。島を覆っている空気というか気配と関係しているのか?

島の人に話を聞こうにも、誰もいない。いたとしても私を見るなり踵を返す。余所者には関わりたくないのかな。それでも、遠巻きに見られている気配は感じる。先行きが重いやられる。

民宿の隣の食堂で、夕食を摂る。特に美味しいワケも不味い事でも無い。呑み屋も兼ねているのか、年配の男数人が店の隅で呑んでいた。それぞれが互いに関心を持たないかの様に。

私は、さっさと食事を済ませて部屋へ戻った。

どうやって調査をすればいいのだろう。秘祭中の秘祭の事など、迂闊に聞けないし、余所者には警戒心で一杯だろう。教授も何か気にしていたが、特に何も言わず『現地で見極めろ』とだけ言い見送った。

地図上の神社と実際の神社が、散策中に見てみたのと違ったりする。それでも一番新しい地図と、時代的に戦前とおもわれる地図を比べ違いを探すが、島の中心にある山の神社が、古い地図にはあり、新しい地図には無い位だった。

明日、新しい地図の神社を全て廻ってみよう。狭い島だからすぐに廻りきれるだろう。とりあえず、これ以上考えても積むだけなので辞めた。

 翌朝、少し早めに起きて、地図を手に島を散策がてら神社を廻ってみる。梅雨も間近なのか空は曇天、風はかすかにあるが生温かく重く湿っているので、不快だった。潮の臭いはこんなに不快だったのか? 私の知っている潮の香りは豊かさを感じさせるモノだったのに。こんなにも違うのかと思うと、この島を覆っている気配のせいなのかと思うと、気配の正体を知りたなるが、近寄りがたい。不快な気配が周りに纏わり着く様に風も無いのにザワザワしている。さすがにこれは不快極まりなく、魔除けの効果があるといので身につけている白檀の扇で振り祓うように扇ぐ。地図通り神社はなく、かつてあったという跡地みたいな空き地、神社はあっても神様は何故かいない。手入れはされているのに。白檀の扇で扇いだお蔭か、纏わりついていた嫌な気配は散る。

―こんなに空気が悪いとは思わなかった。良くないモノの気配。なんだ、悪意なのか? 感じた事の無い気配もある。感じるのは嫌悪。これは『秘祭』に関係しているのか。この島って―

 夜明け前の漁をしていた島民の船が戻って来たのか、港には数人の人影。それ以外に人はいない。港の通りには、小さな雑貨屋がある。ちょっとした日用品や食材、薬など。閉まっている店もあるが、擦りガラス越しに海水浴用品が色褪せたまま置いてある。一部ネットで隠れリゾートとあったが、本当だろうか? 散策中に島民に会ったが話かけれる感じでは無かった。それでも、思い切って話かけた島民に聞いたけれど「知らない」と。なんとか聞く事が出来たのは、かつて、この島は外洋にクジラやマグロなどの漁に出る大型の漁船の寄港地であった。交易船の寄港地でもり、それで賑わっていたけれど『戦争のせい』で島は一気に寂れたと。教えてくれて「さっさと帰れ」と言われた。探られたくないのか。でも、話してくれる人は必ずと言っていいほど「早く帰れ」と言う。余所者を追い払いたいのか、それとも―それとも? ふと、嫌な予感がした。始めて一人でのフィールドワーク。不安なのか単位が架かっているし。

 気を取り直して、残りの神社を散策する。カタチは残り手入れもされているのに神様の気配はまったくない。考えた結果からすると、つまり信仰されていないという事になる。それなのに『秘祭』とは何を指すのか?

視るな聴くな触るなといった『秘祭』とは。

―何かがおかしい。ソレがなんなのか解らないのが、余計に不快感に繋がる。

本土から遙か離れ外洋との境海域の孤島にも近い島、それが潮上島。本土の常識とは別のモノがあっても不思議ではない。習慣や信仰など。限界集落だと覚悟はしていたが、あの書物自体がガセだったのか? そう考えると筋は通るが落胆してしまう。

 港から少し離れた高台。小さな公園があった。広さは精々プールほど。そこに錆びてボロボロになった遊具が草に埋もれる様にしてある。触れれば風化しているのか錆が零れ落ちる。生気が感じられないのはこの様な物のせいか。公園からの眺めは悪いものではなかった。見渡すと、海に港、空には重く厚い雲が広がっていた。纏わりつく気配や島民とのやり取りで、すっかり疲れていて、朝も昼も食事をしていない事に今になって気付く。海の上に重く圧し掛かっている嫌な色の雲を見つめ、今日はここまでしようかと思っていた時、背後から不意に声をかけられ、自分でも驚くほど吃驚した。恐る恐る振り返ると、そこには島に来て始めて見る『若者』青年が立っていた。細身で長身、がっちりとした体格に似合わない血色の悪い肌。敵意は感じられないし、他の島民の気配とも違う。

「変わった客とは、君の事かい?」

青年は不器用な作り笑いで、問う。相手の様子を伺いつつ、頷く。

「何故、こんな島に来たのですか?」

またか。何回か島民に言われた言葉。内心、溜息を吐く。青年の視線は、こちらの様子を探るかの様だった。暫くお互いを探るような沈黙が続いた。先に沈黙を破ったのは青年の方だった。

「学生さんにとっては、こんな島でも調査の対象になるんだ? よく解らない事だけれど、君は調査結果とか出さないと、大学で困る事になるの?」

感情の無い言い方。

「それに島の神社を調べているけど、何も無いし、島の者も答えてくれる人はいないだろう?」

何が言いたいのか? 他の島民と違う雰囲気。じっと見つめ探っていると

「失礼。僕は御高流斗。この島の神社などの管理をしている。小さな島だし人も少ない、君の噂は島に広まっているよ」

そこで始めて視線を合わせた。名乗ったのなら

「私は、斎月千早。大学で民俗学を学んでいる。その一環で離島の風習や信仰について調べにきたの」

私の言葉に彼は

「―こんな、島のね。」

と皮肉っぽく言った。

「大学の図書館で、この島の祭についての資料を見つけて調べたくて来たの。教授が、それを論文のテーマにしろと。だから、来た。『秘祭』らしいけれど、詳しくは書かれていなかったから、それを調べるのが目的」

隠しても仕方が無い。情報は欲しい。だけど彼は『秘祭』と聞いた瞬間、一瞬だけど身体を硬直させた。そして、なんとも言い難い表情を浮かべた。

「君の知りたいたい事を、僕の知る限りで話すから、その代わり次の船で、この島から出る帰るが条件、約束してくれるかい?」

戸惑いを隠せ無い様子だったが、口調は強かった。

「それは、次の船で帰る事を条件に協力してくれるってこと?」

「ああ。閉鎖的な島。シーズンでさえ疎ましく思う島民もいる。斎月さん、君が来た事で島民がピリピリしているんだ。ここは余所者を嫌う、そんな島なんだ」

感情が揺らいでいるような表情。本心までは読み取れないが。

「そうですね。確かに。でも、論文は書かないと。もし、これからしばらく、調査に同行してくれるのなら、名字でなく名前の方で呼んで欲しい。私は自分の名字で呼ばれるの、あまり好きじゃないの」

作り笑いをし、そう伝える。名字はまだ重すぎる。

「なるほど。それは僕も同じだ。自分の名字が嫌いだ。だから名前の方でお願いするよ」

彼の言葉に頷くと、一瞬、彼の瞳が揺らいだ様に見えた。それの意味は、なんなのか気にはなったが。

「今日はもう遅いから、明日の朝、ここで待ち合わせを。納得してくれるかはわからないけれど、案内するよ」

なんだか、照れ臭いものを感じた。

「それじゃあ、明日」

そう言い残し、公園を後にする。

夕闇が迫るなか、去っていく後姿を見つめる。

陽が沈むと、島の空気は一層重くなっていく。島を覆う嫌な空気、纏わりつく湿気。風も無いのに、ざわめいている草木。

―やっぱり、何か変だ。気を付けないと。

民宿への道を急ぐ。


 窓を開いていても風は吹き込んでこない。その代わりに、生臭い潮の臭いが漂っていた。波の音が大きく聞こえるのは、民宿のすぐ前が海だから。錦原神社も海の近くだけど、高台にある。夜中に幽かに聴こえて来るくらい。錦原神社がある町も漁師町だけど、空気が全く違う。閉塞感というのか。この島に降り立った時、いや船の上から島を視た時から、嫌な違和感があった。もしかしたら、ヤバかったのかもしれない。古い扇風機は変な音を立てていたので使っていない。蒸し暑さが思考の邪魔をする。私としても、居心地の悪い場所にはいたくない。次の定期船で帰れる様に、早く調査を進めないと。


 翌朝、高台の公園に向かうと、既に御高流斗は来ていた。朽ち果てた遊具が放置されている。もう長い事使われていない、使う子供がいないって事か。相変わらず風も無いのに、草木が周囲がざわめいている感じがする。あまり良い兆候ではないな。そんな公園で、御高流斗は、海の彼方を見つめていた。何故か、その背後は悲しげで不思議なモノを漂わせていた。

「おはようございます、お待たせしたようで」

声をかけると、彼は振り返り一礼した。

「おはようございます。斎月―千早さん」

無理をして作り笑いをしているのか、照れ隠しなのか。礼儀は正しい青年といった感じ。

「約束は守ってくれるよね。調査を手伝う条件で」

「―はい。分かっています」

遠巻きに視線を感じる。生きている人間のものだけでは、ないような。無意識に気配を探るクセがついているのか、ついやってしまう。その様子に気付いたのか、彼は不思議そうな顔をする。

「調査の事、よろしくお願いします」

流斗さんに視線を合わせる。少し照れ臭い。

 潮上島の歴史と現状を語りながら、二枚の地図を手に散策する。流斗が語るには、この島は昔、漁業の島として栄えていたという。外洋に出て漁をするために本土の方から人が集まったり、流刑地としての罪人達が流されて来て居ついたのが、始りらしい。そして航海技術の進歩で、外洋へと出る船が増えると島は、最後の寄港地となり、また台風や時化などの時に船の避難場所でもあった。漁船以外は、交易船なども停泊していた時代もあった。中継地点としての役割もあったのだろうと、語る。島の歴史を記録した物は残されていない、だから口伝で伝わっているらしい。バブル期は、格安で南国風が楽しめるツアーなどがあり、海水浴シーズンにはリゾート客船などで本土からの客が来ていた。しかし、島の宿ではなく客船に宿泊。島には、それほど恩恵は無かったとか。それでも、外洋に近い場所で釣りをしたい人達の間では、穴場として知られていて定期的に釣り客は訪れている。シーズンには、少ないが海水浴客が本土の方から来る。

「おそらく、この島は変わっているんだよ。島の歴史や記録には価値が無いと。島民は思っている。新しい事にも興味は無い。ただ、その日暮らしといった感じかな」

苦笑いと溜息。そういうものなのだろうか? 限界集落だから、何れ消えてしまうから?

 私が、島の神社について問うと、彼は少し考えた素振りで

「その記録も残されていない。だけど、豊漁関係の神社だったのかも。あと農業? 戦争の頃には、旧日本軍が戦勝祈願の神社を建立したとか。前線ではなかったけど、少なくても関係はあったのかもしれない。又聞きだし年寄の話みたいなものとして、受け取って欲しい」

知らないのか、有耶無耶にしたいのか、確信に届かない。

「それで、この島ならでの祭とか風習はあるの?」

「無いよ。ずっと昔はあったかもしれないけれど。記録を残す事をしていなかったから、解らない。昔、寄港した船に乗っていた人が何かを見たのかもしれない。千早さんが読んだ本も、噂程度をまとめた本だとしたら、残念だったね」

表情を変える事なく、淡々と言う。

―あの書物、ガセだったのか? それにしては引っ掛かる事が多い。溜息が出そうになる。空気が重くなり嫌な気配が強くなる。なんだろうこの気配は。

「島の神社すべて一人で、管理しているの? 氏子さんとかは?」

「いない。だから僕一人で。たまに気まぐれで手伝ってくれる程度」

寂しさが滲んでいる。本人は気付いていない様だけど。何故、そんな事になっているんだ。これも地域差の問題なのか? 勉強不足だな。

始めてのフィールドワーク。離島の限界集落というものは、この様なものなのだろうか。他を知らないぶん、比較が出来ない。秋葉教授も、アドバイスはしてくれなかったし。本土から離れれば離れる程、余所者を嫌うとは、言っていたけど。ネットにもまったく情報は無く、最新の地図すら無かった。衛星写真も何故か、ぼやけていた。気になるのは、この島を覆っている、なんともいいがたいモノ。嫌悪を覚える気配。重く湿り気のある生臭い空気。それに、手入れはされているのに、神様がいない神社。気配すらも無い。カタチだけの神社って感じ。この嫌な気配や空気と関係しているのだろうか? 考えているだけで思考停止しそうだ。話題を……。

「このようなこと聞くの悪いかもしれないけど、日々の生活とか、何かと不便なのでは?」

その問いに

「昔から、この様な生活。他を知らないし知ろうとしないので、不便とは思わない。皆、その日暮らし」

素っ気なく答える。自分の暮らしと比較するのが間違いか。

流斗は、ふと立ち止まり、砂浜の方を見つめる。そちらへ視線を移す。

よく見ると、その砂浜の一角だけは手入れが行き届いている。おそらく、海水浴シーズン用なのだろう。海の家とか出来るのかは、疑問だけど。

「ところで、千早さんの勉強している民俗学というのは、この様な離島の風習とかを調べる事なの?」

じっと見つめられて、問われる。私も探られているのか。

「まあ、簡単に言うとそうなるかな。もっと深く複雑なんだけど。一般的な民俗学は『表』 発表出来ない様な風習信仰などは『裏』って、別れているんだけど。うまく説明出来ないけど」

「それで、この島の事を? それで、どっちなの」

何かを見透かされている感じ。自分の事を話すのは苦手だ。しばらく考え

「調査の結果しだい。でも、私の場合は、きっと『裏』になる」

「それは、発表するの?」

「いや。単位の為かな」

本音を言う。

「私は、神様の事や信仰を中心に研究している。そういうカタチで論文は書きたいのだけど」

その答えに

「そうか。でも、この島には、存在しないんだよね。神様のいない神社だし」

どこか悲しそうに言う。かつては、きちんと祀られていたけれど、いつの間にか棄てられた。人間側が、神々を棄てた事になるのか。

佐山での出来事を思い出す。私の知っている神様達を。

波の音に混じって、風もないのにざわめいている。

流斗は、海の方を見つめていた。

「千早さんは、神様を信じているんだよね。霊感とかあったりするの?」

答えにくい

「神様は信じているよ。八百万の神様をね。霊感は、どうだろう」

思わず溜息が出る。それを察したのか

「千早さん、苦労しているんだ。だから、こんな辺境まで来る事になったんだ」

くすっと笑って、流斗は言った。

「ここには何も無い。若者も子供も。島で一番若いのは僕。この島、最後の子供。ずっと一人。周りは年寄ばかり。―だから、君が、何だか輝いているように見える。この島に無い、活気を」

また哀しみを感じる。

「流斗さんが最後の子供って事は、他の子供は?」

「皆、島を出て行ったよ。子供がいる家族は家族ごと、島を嫌って皆、逃げる様に島を出ていた」

そう言って、一息

「結局、残ったのは僕の家族。だけど、両親は海で命を落とし、姉や幼馴染みは病気で死んでしまっている。だから僕は一人」

無表情だけど、哀しみを感じるのは何故?

「あなたは、この島を出ようとは思わなかったの?」

私の問いに、彼は深い溜息を吐き

「あるよ。でも、ダメなんだ。色々とあってね」

何とも言えない感情を滲ませる。哀しみと後悔、苦しみが混ざったような。

「こんなこと言うと変だと思われるかもしれないけれど、千早さんは、死んでしまった幼馴染みに、よく似ているんだ。噂を聞いて様子を伺っていたら、幼馴染みと重ねてしまって。なんだか放っておけなくて、声をかけたんだ」

少し照れ臭そうに言った。ああ、コレは彼の孤独感なのか。おそらく例え様のない。そう思ったら、胸が痛んだ。

 島の空気は生温かく生臭い。潮の臭いにしては、どこか違う。重く湿った風が、この島の活気というか生気すらも奪っている。そんな感じがするし、得体のしれない影が蠢いている。心の中で、警鐘が響いている。なんとも言えない空気。ソレが気になって仕方がなかった。


 それから個人的な話をやめて、また島の案内をしてもらう。汗ばむ季節は苦手だ。理由は色々とあるけれど。白檀の扇で扇ぐと周囲の嫌な気配は散る。唐琴にバイトの報酬として貰ったもの。

流斗が話してくれているのは、話してもいい事だけだろう。知っている事があっても話せないと、いったところか。

『秘祭』については聞けなさそうだ。如何すればいいのか。思い切って問うのがよいのかと考えていると、海辺の道より一本奥に入った空家ばかりの狭い路地。その先には、山へと続くと思われる草が生い茂っている道がある。その道から、老人なのか年配なのか年齢がよくわからない風貌の細身長身の男が歩いてきた。血色の悪い顔、そのわりに目つきだけは、やたら鋭いが焦点が定まっていないような感じがする。一瞬で関わりたくない人物だと感じる。

近づく事も嫌な感じ。その男は、私を見るなり驚いた表情を浮かべる。そして、流斗を見て、こちらへ歩み寄ってくる。

「流斗、そちらの娘は?」

珍しいモノを見る様な目で、私を見る。他の島民が見る目と違う。悪意を秘めた視線とでもいうのか。隣で、流斗が大きな溜息。

「離島の珍しい風習を調べにきた、大学生ですよ。今、島を案内しているところです」

流斗は男と視線を合わせることなく答え、不機嫌を露わにする。

「ふ~ん」

ジッと私を見て、その人物は何も言わず、そのまま立ち去る。流斗は、その男の姿が見えなくなるまで睨みつけていた。

気まずい。知り合いなのだろうか、仲は最悪の様だ。不機嫌より怒りに近い感情なのか……?

「あ、そうだ。今の時間なら行ける」

何かを思いついた様に突然言う。ビックリして

「え、何。何処に?」

問う間もなく、流斗は私の手をとると、早足で歩きだした。とっさの事で固まってしまう。こういうの慣れていない。

―幼馴染みに似ている。流斗の言葉が過る。無意識に重ねているのだろうか?

ぐいぐいと引っ張られるように彼は私の手をとったまま歩いていく。仕方が無いので、そのまま付き合う。

相変わらず風も無いのに、島はざわめいている。視界の端でナニかが蠢いている様な気がする。ソレらが、もしかしたら関係しているのかもしれない。この島に伝わるという『秘祭』に。禁忌の祭は各地にある。その一つだろうと考えていたが、甘かったのかもしれない。

秋葉教授は、民俗学の権威らしいが、一方で『異端者』でもあるらしい。

それが『表と裏』の論文の事だろう。

 港を横切り、砂浜に沿って歩いて行く。砂浜の端には消波ブロックがあり、その先を進む。山が海岸線に沿う様に迫出ていて道がそこにある。ボロボロのコンクリートの道が山裾に沿う道、片側は海、片側山。島ならの地形か。道は続いていたがコンクリートから土に変わっていた。地図をイメージすると、山を挟んで反対側にある岬がある辺りなのだろうか。草木が道の方まで茂ってきている。手入れはされていない。通る人もいない様な道。海岸には、様々な漂着物が散乱している。その先を見ると、浜から少し離れた沖に小さな島があり、一本の木が海風に揺れているのが見えた。なんだか、そこがこの島にとって、場違いの様な感じがした。こちらの浜から小島まで細い道が浪間に出来ていた。干潮の時間らしく、潮が引いて道が出現したのだろう。

「干潮と時だけ、ここへ来れるんだ。足元、気を付けて」

流斗は振り返って言い、また歩き出す。手は途中で離してもらった。無意識だったらしく、かなり焦り照れていた。

干上がって出来た道は、神社の玉砂利と似ていた。

その小島は、干潮の時にしか来る事の出来ない場所。広さは、それほど広くはない50メートルプール二つ分くらいかな。ゴツゴツした岩場、そこに磐座に思える岩があり、そこに樹が立っている。長年波に運ばれてきた土が積もってそれなりに層があり、そこに鳥なり波なりによって種が運ばれたのか、昔の島民が植えたのかは判らない。

「あれ、この場所は空気が違う。空気が澄んでいる」

ここへ来て、初めて深呼吸が出来た。風通しのよい場所と例えればよいのか、清浄な場所としておこう。風が吹く度に、身体に纏わりついている穢れが祓われていく感じ。

一本だけ生えている樹を見る。随分と歳月を経ているように見える。

「これ、桜の木? この木は御神木なの?」

樹に触れ、問う。一見弱々しく見えたりもするが、根は磐座に張り付き更にその下へと延びている様だった。

「さあ、昔からある。その理由は誰も知らない。そもそも、島民は、ここに来る事は無いから」

流斗は樹に触れ見上げると、視線を私に移す。やはり幼馴染みに重ねているのだろうか。面影が似ているっていうのは、そういうものなの? 私にはよく解らない。

「ここの空気は澄んでいるのは、幽かに神様の気配を感じられるから。如何してここだけなんだろう?」

島の中は澱んでいて、気の休まる事がなかった。だけど、ここは違う。

清浄なのだ。樹に触れ考え、樹の記憶を探る。しかし、樹は応えてくれない。

「桜と磐座。まるで、イワナガ姫とサクヤ姫みたいだ」

思わず、呟いてしまった。

「本当に、君はただの大学生? 少し霊感があるとか、そんな感じでは無いよね。何か別の力っていうか……?」

ジッと私を見つめて問う。どことなく不思議なモノを漂わせている。どう答えるか悩む。

「民俗学を研究しているのは本当。でも、もとは神社などを管理し束ねていた家系の末裔っていう者かな」

遠巻きに答える。霊感の話はしたくは無い。

「―そうなんだ。だったら、尚更、早く帰った方がいいよ」

キツイ口調だけど、何処か寂しげだった。

「なんで、そういう事を?」

すると流斗は、深い溜息を吐くと

「君には視えているのだろう? 島の中で蠢いているモノが」

流斗は、島の方を睨みつけるように見て、言った。

それは確かだ。彼も視える人なのか? 私はあえて、視えないフリをしていたけど。ひとつだけ聞いておきたい

「視える。それを踏まえて、聞きたい事があるの。この古地図にある、山頂の神社について知りたい。行く道があるなら教えて欲しい」

古地図を見せる。島民は知らないと答えた。流斗は、暫く古地図を見ていたが

「知らない。山は殆ど立ち入らないし、獣道すらも無いらしいほど生茂っているから。昔はあったのかもしれないけど、他の神社同様、棄てられたのかもしれない」

答え、古地図を私に返すと彼は、海の方を見つめた。波が打ち寄せ飛沫が散る。

―ヤバい事なのか? もしかして触れてはいけなかった? だけど論文を完成させなければ、単位に関わるし、ここでコケたらこの先が……。

この小島は、空気が澄み清浄なのに、島の方は何故、あんなにも澱んでいて息苦しく、無数に蠢いているナニかがいるのだろうか? 悪霊ではない、自然霊でもない、正体不明の不浄なるモノ。来てはいけない島だったのか。

流斗は、相変わらず海を見つめている。彼はナニを思っているのか?

島を嫌っていながら逃げられずにいる? そんな感じがする。

私は桜の古木に触れ、考えていた。この樹には神様が宿っている。幽かだけど気配がある。如何してここだけが。そして、島民が近寄らない理由は?

謎は増えるばかりだった。

「戻ろう。潮が満ちてきた」

考え込んでいた私の肩を、ポンと叩いて流斗は言い、島の方へと歩いて行く。私もそれに続く。打ち寄せる波が大きくなる。

島へと戻ると、身体にズッシリとくる重い湿った空気に包まれる。この差は激しい。ソコにただ在るだけでなく、纏わりつく感じが気になる。今まで、色んな事に巻きこまれてきた。そういう宿命なのか。

でも、ここへ来た以上、引く訳にはいかない。


 民宿の前まで送って貰った。途中、島民数人が奇妙な物を見る様な目で、こちらを見て、何かヒソヒソと話していた。既に日は沈みかけていた。

「これで、論文を書けるかな? 明日の定期船で帰るんだ。もう気付いているなら尚更。必ずだよ」

流斗は幽かに笑っていたが、その表情の裏に何か隠している様だった。私は頷く事しか出来ず、お礼すらも言えなかった。そして、去っていく背中を見送るしか出来なかった。

 民宿の中へ入ると、女将が「明日帰るのかい?」と声を掛けて来た。

「とりあえず、明日決めます」と曖昧に答えた。女将はクスと笑い

「学生さんも、大変だねぇ」と嫌味っぽく言われた。敵意が無いからマシなんだけど。

部屋に戻り、一応荷物はまとめておく。本題である『秘祭』にまで至っていない。論文を提出できなければ、単位が……留年は避けたい。秋葉教授の不敵な笑みと、唐兄のからかう様な笑みが浮かんでくる。

―逃げるワケにはいかない。

島の空気は、相変わらず、重く湿っていて生臭い。その上、この蒸し暑さだ。気候が違うと事までは考えていなかったけれど、それとは違う感じ。なかなか寝付けず。ゴロゴロと布団の上を転がる。

風も無いのにザワザワしている。闇の中から自分を見つめている嫌な気配。ひたすら祓いの言霊を呟くが、効果は一時的で状況は変わらなかった。

―どうなっているんだろう、この島。何処かに、この気配の主がいる。それとも根源的な存在が? どちらにしても悪意だ。


 御高流斗は、自分の家に帰り着くなり、大きな溜息を吐いた。この息の詰りそうな島の空気は、何時からこんなに濃くなっていたのだろう。寂れて活気が無いから、いや違う。この空気のせいで人々は、島を去っていった。まるで逃げる様に。流斗は暗い部屋で考え続けていた。

―だけど、斎月千早、彼女といると、荒んでいる心が和むのは如何してだろう。あの子に似ているからなのか? もしかしたら―

暗く沈んだ闇の中で、ひたすら考える。

「帰っていたのか」

その声と共に、部屋の電気が点けられ、流斗は溜息を吐き棄てる。そんな事は気にも留めず、流斗の叔父・御高大路は

「あの島の歴史とやらを調べに来ている、娘は本当にただの学生なのか?」

抑揚の無い声で問う。

「そうですよ」

振り返る事はせず、ただ答える。

「ふん。あの娘、かなりの力を持っているようだな」

独り言の様に大路は言う。そんな叔父を睨みつけるようにし、流斗は部屋を出て行く。

「反抗しても無駄だ。お前は儂の後を継ぐ。手伝いだけでなく、な。それが、御高が続けてきた古よりの使命だ」

その言葉に流斗は忌々しさを吐きだすかの様に、乱暴にドアを閉めた。

両親が死んだあと、叔父に引き取られて育てられた。そもそも、父が御高家の当主だったが父は一族の事を嫌い、漁師として暮らしていた。代々、島を取り仕切ってきた家。だが、大半の島民から嫌煙されている。皆、知っているんだ。気が付いているんだ。だから、この島から出て行った。

それでも一部の島民からの信頼は強く『あの祭・神事』を信じている者はいる。そんな人間を見ていると、本当に生きているのか不安になる。抜け殻の様な。自分も、そんな連中と同じだと思うと、ワケの解らない虚しさで涙が出る。

何度も島を出る事を考えたが、姉と幼馴染、両親の事を考えると踏み切れる事が出来なかった。きっと無理だ。島に繋がれている以上、無理だ。

古から続く『祭』父は正しかったが、結局、無理だった。―だったら。

流斗は夜闇の中、灯台の灯りに照らされて、浮かんで見える桜の古木を見つめる。

―千早、彼女になら、この島の狂ってしまった理に終わりさせる事が出来るのかもしれない。でも同時にそれは、彼女を危険にさらす。姉や幼馴染の様に。それは出来ないから、早く、この島を出て欲しい。

桜の古木を見つめる。

「ここには、神様の気配がある」

千早の言葉が、何度も心の中でこだましていた。




二章極秘祭 

 

その高台からは、穏やかな海と小さな島々を見渡す事ができる。

錦原神社。この辺りの土地の神を祀り、また海神を共に祀っている。海窓の産土であり鎮守、そして氏神信仰を寄せている神社。「千早を、あの島に行かせなかった方が良かったのではないか?」

海神である波果神が言う。男神である波果神は、海の男的な姿をしている。

「そうね。それは私も思ったけれど、止めたところで、あの子が『はい、そうですか』と素直に受け入れるワケが無いじゃない」

錦原神女神が相槌を打つように言う。錦原神女神は、その名の通り女神で、美しい錦の衣を纏い、結い上げた黒髪に幾つもの簪を刺している。

「確かに良くないモノの気配を感じるが。千早は何度、危ない目に遭ってもコリない性格。自制心より好奇心が先走る。まったく困った孫だ」

焔婆は、二神の言葉に溜息を吐く。

「それは何時もの事。それより、千早の行った潮上島には、悪い噂があようで。海水浴シーズンには島外から、それなりに人は来るのですが、必ず毎年、行方不明者が出ている。それも女性か子供。事故として処理されているようですが、気になる事です」

淡々と、唐琴が言う。

「その辺りの事を、海神仲間に聞いてみたが、皆知らぬと。むしろ、その島には触れたくない感じだった。それに、あの島を探ってみたが、我等の様な存在はおらず、不浄な闇に覆われていて、むしろ―」

波果神は、顔を曇らせる。

「神々の存在せぬ島か。その代わりに存在しているのは不浄なる存在。それくらいしか視えぬ。かなり大きな存在で透視の邪魔をする。千早が調べに行ったのは、その島に伝わる『秘祭』もしそれが、贄を捧げる様なモノだとしたら、危険だ」

彼方を見つめ焔婆は言う。

「それなら強引にでも止めるべきだったか」

と波果神。

「あれが、聞き入れるものか」

諦め切った口調で、焔婆は言った。

「我等の力を込めた、護りを持たせているが護りきれるとは限らない」

波果神は言う。

「大きな力に、なまじ知識。それが災いのもとなのか、本人の性格からなのか。どっちにしろ、とりこし苦労だと良いのだが」

大きな溜息を吐く、焔婆。

「まあ。なんとかなるでしょう。千早は本来あるべきカタチの巫女だもの。それに、何か新しいモノを見つけるかもしれないし」

錦原女神は言って、唐琴を見た。

「何です、それ?」

ムッとしたように、唐琴は錦原女神を見る。

「女の勘、ね。人間でいうところの。それは、千早が帰って来た時に判るわよ、唐琴」

くすくす笑って、錦原女神は唐琴に言った。その言葉にムッとしたまま、唐琴は、浮かぶ島々を見つめていた。



 二 二人の幽霊少女

蒸し暑さと、湿り気のある重い空気のせいなのか、私はなかな寝付け度も寝返りをする。古い扇風機があるが、使い物にならない。窓は開ていものの、風は入ってこない。何度目かの寝返りをした時だった。身近に何かの気配があるのに気付いた。これまでとは、違う気配。悪意は無い。論文で書くべき『極秘祭』について結局、何も掴めないまま明日の船で帰れと言うのか? 彼は、御高流斗の真意は? そう考えながら気配のする暗闇を視ると、そこには少女の霊が二人いた。私より年下十代半ばくらいの年齢と十歳ほどの少女。彼女達は私を見つめる。

―悪い霊ではなさそうだけど。私は思わず溜息を吐く。漂う空気が徐々に変わっていく。その気配を探りつつ、二人の霊を視る。すると、年上のが語りかけてきた。

「あのお願いがあります」

その声に、またかと思う。人間の幽霊から助けを求められる事はよくあるが。聞こえないフリをしようかと考えていたら

「あなたは、ここへ、この島で行われている『極秘祭』を調べに来たのでしょう?」

その言葉に見透かされている事を知り、仕方なく起き上がる。

「あなた達、何者?」

と問う。

「私は御高英子。流斗の姉です。この子は、流斗の幼馴染で知恵」

英子と名乗った霊の背後に隠れるように、幼い霊はしがみついている。

その声からは、哀しみが伝わってくる。

「どういうこと?」

流斗の話だと彼女達は、随分と前に亡くなったと聞いているが。

「あなたは、何か特別な力があるみたいだし。それに『極秘祭』について調べているのでしょう? ―だから、お願いに」

と、英子。

「私達のお願い、聞いてくれる?」

瞳に涙を溜めて、知恵が言う。

「それ、流斗さんから聞いたの?」

二人は、その問いに首を振る。その表情は、苦痛と哀しみ。

部屋の空気が変わっていく。周囲というか島の空気そのものが、ざわめき重くなり、纏わりつく圧力を感じる。

「それは、違います。私達は、かつて『極秘祭』の生贄となってしまった者。だから、解る事もあるのです。だから、あなたに真実を……」

英子は、血の涙を流す。

「それって」

嫌な汗が一気に噴き出す。

「あなたが調べに来た『極秘祭』と呼ばれているモノは、贄を捧げる祭。アレを神事というのか、神様というモノなのかは解りません。ただ、古き時代には存在しなかったモノ。かつては、清いモノで、人々の祈りによって島の繁栄や平穏を願っていた神事・祭だったモノだと。だけど、何時の頃からか贄を捧げるモノとなってしまった。かつての神事祭とは、まるで違う。今、行われているモノは、繁栄や平穏を願うモノとは、まったく違います。忌まわしく、恐ろしいモノです」

薄々、気付いてはいたが。本人から聞くと、嫌な予感的中か。

「意味の無い神事、理由の無い贄。それが、極秘祭?」

予感が当たれば、気に入らない、嫌悪の塊ってコト。人間の欲望か?

「はい。この島に、古から存在していた神々の代わりに、今、この島に存在しているモノは、不浄なるモノの集合体。御高家は、ソレを神として信じていて、また一部の島民もソレが神だと信じ、御高家に仕えている。ソレが、この島の繁栄を約束する存在だとして。御高家の中でも、そのコトについて疑問を抱き対立したりしました。―だけど」

英子は言葉を切り

「身内をも手に掛け、極秘祭の贄とした。贄として殺された者達の魂は不浄なるモノに取り込まれ、やがて不浄なるモノの一部となり、やがて不浄なるモノと共に、新しい仲間・贄を求めるようになり、今や、この島を包み覆いつくすまでになってしまった。ソレを神と信じ、狂信的になっているのが、流斗や私の叔父である、御高家当主・御高大路です。叔父は、島の娘でだけではなく、この島へ来た客や町島などで目を付けた娘を攫ってきては贄として捧げてきました。この二十年程で何人もの娘が犠牲となりました。―そして、ついには」

苦痛、哀しみ。その先は……。英子の後で知恵は、ずっと泣いていた。

私は、言葉を出す事が出来ないでいた。古より、動物や人間を生贄とする神事や儀式は数多く存在していた。それは、民の同意の上だったし、その時代の決まり事のようなモノでもあった。いわば、神と人との間の取引的なモノ。そうする事で、民は平安を得ていたのだろう。もし極秘祭の中身が、彼女の言う通りで、私の推測が当たっていれば、私利私欲によるモノ。それは『神事』ではない。そう考えると、あちらこちらから感じる視線や、視界の端で蠢くモノは、ソレと関係している。激しい嫌悪感が込み上げて来る。あの時、流斗は叔父を睨みつけていた。つまり、敵対関係?

「―だから、極秘祭を止めて欲しい、極秘祭そのモノを消し、囚われている娘たちの魂を救って欲しい。この島を覆い尽くしている不浄なるモノを浄化し、忌まわしい歴史を、どうか」

私を見つめ、消えそうな声で英子は言った。

「どうして、私なの? それは、流斗さんではダメなの?」

英子と知恵は、血の涙を流し

「流斗には、私達の声は届かない。だけど、流斗は極秘祭を終わらせようと考えている。あなたと出会って、流斗は決意を決めた。それに、叔父の手が伸びる前に、あなたを島から逃がしたかった。でも、どうかお願い。あの忌まわしい祭・極秘祭を終わらせて。そして、その呪縛から島を解放して。無理を承知で、お願いします。あなたを、護ってくれている神々と伴に」

そう言い残し、二人は闇の中へ消えていった。私は、二人の消えた闇を見つめ

「―呼ばれていたのか? こうなると帰れない。何時も、何故か、このパターンになる」

濃くなってくる、異妖な空気と気配。根源は、極秘祭なのだろう。

私を護ってくれている神々か。それぞれの神様と、焔婆や唐琴、親友の潤玲の顔が浮かんだ。

「彼と話す必要が、あるな。問い詰めるべきか?」

闇を見つめ、自分を納得させるように呟いた。


 小さな港には、使い古された定期船が停泊していて、荷物の積み降ろしがされている。人は数人。週に一度の定期船で、数時間かけて隣の町島とを繋いでいる。町島は当て字らしい。その町島から、一番近くの大島は、本土から唯一、飛行機で行き来している。船も出ているが二日は掛かる。それだけ、潮上島は本土・本州から遠い。

定期船が港を離れて行くのを見つめる。次は、一週間後。さすがに、始めは愛想すら良くなかった女将も、挨拶以外にも会話をしてくれるようになった。島の中でも、若い世代なのだろう。

最盛期には、この島にも診療所や分校があったらしい。町島にも学校や病院があったが、今は診療所と小中合わせた分校しかない。戦前は交流があったものの、戦後は必要以上の交流は無くなった。と、複雑な顔をして話していたのを思い出す。

―閉鎖的な島。

 

古ぼけた公園から、港を離れて行った定期船を見つめる。そうしていると、慌しく流斗が走ってきた。約束は守らなかった。

「どうして、帰らなかったんだ」

怒られてあたりまえか。でも問わなければ

「それは、私が余所者だから?」

「―それは違う」

肩で息をしながら、首を振る。なら、やはり

「私が帰らなかったのは、頼みごとをされたから。英子と知恵という名の少女を知っているのでしょう?」

そう言った途端、彼の表情が歪む。それと同時に周囲の気配がざわめく。

「どこで、その名を」

表情は固まり、呂律が回らない。

「昨夜、そう名乗る二人の少女の霊が、私の前に現れた。そして、頼みごとをされた」

既に決心をしていた私は、彼を見つめて答えた。彼の表情は凍り付いたまま。

「告げられた事は、極秘祭の事―」

そう言った途端、手で口を塞がれる。彼は無言で、それ以上言うなと首を振る。そして、私の腕を掴むと、無理やり引っ張るように、公園を出て早足で何処かに向かう。

 砂浜沿いの道を走り、あの小島へと続く道へと。かなりのスピードと掴む力。いったい何故? やがて、あの小島が見えて来る。まだ、完全に干上がっていない道を無理矢理渡る。深い処は、ふくらはぎまで海水に浸かる。

桜の古木の島に着くと、流斗は漸く手を放した。お互い息が上がっている。余程、強い力で掴まれていたのか紅くなっている。

「な、なに?」

彼の行動が理解出来ない。

「すまない。あそこで、話すワケにはいかなかったから」

呼吸を整えながら彼は言う

「二人の事も、祭の事も」

と。

あの時感じた気配からすれば、迂闊だったかもしれないが

「二人から聞いたのなら、本当のコトだよ。僕には、二人を感じる事すら出来ないけれど」

悲しそうに言う。

「君が調べに来た事。この島に伝わる忌まわしい祭。二人は、その祭の為に殺されたんだ」

吐き棄てる様に言う。

「君も気づいたのだろう? 極秘祭の話をしようとした時、周囲の空気が変わったのを。だから、島の方では迂闊に話せない。アレは、叔父に通じているみたいだし。アレらは、ここへは来れないし、叔父も何故か、この場所へは近づけないみたいだ。だから、ここへ来たんだ」

苦悲を浮べる。

―軽率だった。禁忌に近く、流斗の叔父が黒幕なら、あの気配と繋がっていても不思議ではないか―

まだまだ知識も力も、不足している。焔婆の顔が浮かぶ。

少し落ち着きを取り戻したのか

「二人は、なにを? 教えて欲しい。僕には、彼女達の姿も声も解らない。視る事も聴く事も出来ない」

泣きそうな顔で問う。

「極秘祭を終わらせ、不浄を祓い浄化させて欲しい。そうする事で、贄として殺された娘たちの魂を救って欲しいと」

昨夜の事を、すべて話す。それが、帰る事を辞めた理由だとも。私の話に流斗は涙を流し

「姉さん、ちぃちゃん」

何度も呟く。

こういう時、自分のコミニケーションの無さに戸惑う。意図せず、相手を木津付けてしまう。だから、生きている人間とは関わりにくい。流斗が、落ち着くのを待つ。

「大丈夫?」

「―ありがとう、千早さん」

小さく言い、桜の古木を見上げ

「確かに、その通りだよ。あんなのただの殺人だよ。祭なんかじゃない、父さんが言った事が正しい」

海を見つめる

「止める方法とか無いの?」

あの二人の話からすると、今も続いている。

「無理だよ。叔父は狂信者であり教祖。言い方を変えれば、快楽殺人者だ。この島の女子供だけでなく、海水客や町島の人まで攫い贄にしている。叔父が当主になってから、この島はおかしくなってしまった。だから、一部の島民達は、島を去った。そして、町島との交流も無くなってしまた」

きっと、今までずっと心の奥底に秘めてきたモノだろう。

「知恵ちゃんや姉さんが、贄として殺された時も、毎年、贄として誰かが殺されている時も、僕は如何する事も出来ず、ただ見ているしかなかったんだ」

淡々と語っているが、これは心の叫びだ。

「正しい信仰目的、神様との契約、その時代時代による生贄の信仰は否定しないし否定するのは間違い。でも、それが己の欲望の為などで行われる、黒魔術などの贄の為なら、それは、ただの殺人。そういうのに、警察は動かないだろうし、ただの殺人事件としか扱わない。でも、真実を知ったからには、なんとかしたい」

おそらく、極秘祭に警察は関与出来ない。それが裏社会などを管轄する人達であっても。その様な力が、この島には働いている。

「強いんだね。千早さん」

「多分、その為に、ここに呼ばれた」

呼んだ主は、誰なのかまだ判らないが。

「叔父は、何時も贄として使えそうな者を探し、叔父に従っている人も同じだ。すべては、自分の快楽の為。本来伝わっていた祭を利用しているだけ。昔は、この島も栄えていた。だけど、島は急速に寂れた。僕は、祭のせいだと思っている。だけど、叔父達は、祭で捧げる贄が足りないからだと言っている」

吐き棄てる。

「極秘祭は、何時行われているの?」

「少なくても、年一回。叔父は、贄が多ければ多いほど良いと。もともとは、そんな祭では無かったはず。ずっと昔から御高家が祭主として取り仕切っていた。叔父は、御高の血は高貴だと信じているが、僕にとっては呪われた血だ」

流斗は、桜の古木を見上げる。

「この場所だけが、僕を苦しみから和らげてくれる」

と、そっと樹に触れる。

「この島の人、叔父や従う人、何故か、この島には近寄る事すらしない。手出しすらしない。もしかしたら、ここには本当に神様がいて護られているのかも」

言って、涙を流す。

「気配は弱いけれど、存在している。おそらく結界に近いなにかが、この小島にはあるのだと。だから、不浄に憑りつかれている人は近寄れない」

「ありがとう千早さん。この小島に神様。神様を感じられる力か。だったら尚更、この島に居てはいけない。叔父は、君の力に目を付けている。それに、叔父が言えば、何時だって極秘祭を行う事が出来る。特に今年は、大祭を行いたいと言っていた。そんな時に、君が来てしまった」

「あなたは、如何したいの?」

本音を探る。彼は、純真だ。

「君が極秘祭を止めるつもりだとしても、危険すぎる。出来るなら、一刻も早く島を出て欲しい。それが出来ないのなら、誰も信じるな。そして、島の内部に近寄ってはいけない。港近くの人達は、極秘祭の事を知らないから、まだいい。でも、君は叔父に狙われている」

島の内部。山の辺りか。すると、古地図の鳥居は……。

「せめて、僕が船を出せれたらいいんだけど。僕が出来る事で、なんとかしてみるよ」

と、言って、手を握る。これ、本人にとっては天然なのだろうか?

握られた手から、彼の抱く感情が伝わってくる。

「もし、極秘祭に終始点を討ち、この島を覆う不浄なるモノを祓い浄化させれば、この島は」

私は流斗を見上げる。

「それは、それで。この島がどうなろうとも。本来あった祭が狂ってしまった時、この島は終わっているんだ」

互いに見つめ合う。これまで感じた事のない感情に、胸が痛んだ。

 桜の古木の小島から島へと戻る。途端に、澱んだ空気に押しつぶされそうになる。こうも空気が違うのか。ヤバいどころではなくなってきている。風も無いのに、ザワザワしているのと視界の端に蠢いてるナニか。活性化しているし数も増えて来ている。流斗は、何度も「気をつけて」と言い、誰かが『極秘祭』の話を教えると来ても、聞き入れるなと警告していた。

 

 港まで送ってもらい、流斗は私に何か囁いた。その言葉に私は固まり赤面してしまう。何? それ。どういうこと?


 その夜も、英子と知恵の霊が私のもとへと現れた。信じるに値する存在ではあるが。でも、完全に信じるのも如何かと思うったりもするが。情報は必要だ。

「ねぇ。極秘祭について知っている事を、すべて話して」

周囲の気配に注意する。極秘祭の言葉に反応しているのは確かだ。簡単な結界を張る。長くは持たないが無いよりマシ。私が結界を張ったのが解ったのか、英子はゆっくりと語り始めた。

―もともとは、生贄を捧げる様な祭・神事ではなかった。海で採れた物や作物、山で獲れた物などを神様に捧げて、豊漁や島の安泰を祈るものだった。どんなに不漁が続いたり、海が荒れた時も、島に宿る神々に祈っていた。それを中心となって行っていたのが御高家。網元であり船主でもあった。島の権力者。でも、それを鼻にかけることなく島をまとめていた。流刑地だった事もあり、その辺りの事も任されていた。江戸と明治の境、それが狂い始めた。御高家は権力をかざすようになった。そして、ある年。長い間、海は荒れ船を出す事も出来ず、凪いでいて船を出しても不漁が続いた。幾ら、島の神々に祈っても改善はされず、島民は時の御高家当主に縋った。すると、当主は『生贄を捧げるべきだ』と答えた。島の歴史上、その様な事は一度も無かったので、島民達は驚いた。そんな島民を後目に

「今、神は生贄を求めている。生贄さえ捧げれば、すべては上手くいき、豊漁となり嵐は島を避け、島は繁栄するだろう」と何度も、島民に言い聞かせた。今まで、どんなに不漁が続いても耐えてきたので、島民の中には、生贄を捧げる事で島が穢れると反対する者が多かった。でも、当主の言葉に感化された島民は当主側に付き、生贄を捧げるべきだと主張して、島は半分に割れた。反対派の島民の中には、如何してそこまで生贄に拘るのか不思議に思う者もいた。やがて、生贄は誰にするのかという話になると、一人の娘が指名された。それに島民全員が驚いた。その娘は、近々、島の大船主の息子と婚礼を行う事となっていたから。小さい島、島民は親族に近い。そんな娘を生贄にする必要があるのかという話になる。これには、娘の家族や、婿になる家族は猛反対をした。それでも、御高家当主・祭主は神託で決まったと言い張り、取り巻きの島民を更に引き入れ、島民同士を分断させた。そして、娘は囚われた。

娘一人で島が救われるならと、娘の家族や婿になる青年と家族を説得したが……。でも、それは嘘であった。神託などなく、御高家当主が娘に横恋慕していたから。薄々、島民も気づいていた。だけど、権力を振りかざしている御高家当主に逆らうと島で生きていけなくなる。誰もが黙認する事となっていた。娘と婿の家族を除いて。その頃から徐々に島の空気は変わっていった。どうしても娘を手に入れたかった御高家当主は、不漁や嵐を理由に生贄というカタチで娘を自分の手で殺す計画を立てた。そして、娘は生贄として殺され、娘の家族、婿になる筈であった青年と、その家族を裏切り者として処刑した。これで、島は救われると宣言したものの、不漁と嵐は続いた。それは、生贄になった娘と御高家当主によって処刑された二家族の祟りではという、噂が島に広まった。その頃から、島の神々は消え、不浄な空気に包まれる様になった。毎年、一人の生贄を捧げなければならないと、御高家当主は決めた。無論、反対意見はあったが、あの家族みたいに殺される事をおそれ黙るだけだった。生贄を捧げ続ければ、島は繁栄する。それから毎年、生贄が捧げ続けられてきた。生贄の数に合わせる様に、不浄なモノの気配は強くなり、島を覆っていった。島民達、一家族、また一家族、島を出て行った。勘のいい者は島に居れない程、島の空気は澱んで、生贄にされた娘たちや、御高によって殺された者達の慟哭が風の中に聴こえていた。御高家による恐怖の支配もあってか、徐々に島から人は去っていった。

 そこまで語り、英子は溜息を吐く。

「如何して、そのような事まで判るの?」

結界を張っていても気配が蠢くのが解る。

「生贄として死んだ時、初代に生贄となった娘の記憶や歴代の生贄となった娘たちの記憶が流れ込んできたの。きっと、私が御高の血筋だから、その様な事が解ったのかもしれない」

悲しみに耐えるかのように、答える。

「少なくても、初代に生贄になった娘や、当時の御高家に殺された者達が、哀しみや憎悪によって苦しみ、そこに御高の生んだ不浄なる存在が、ソレらを取り込んで時代と伴に多きく巨大に島を覆ってしまった。それは、新しい贄を求める為に、今では御高を利用しているのではと。それに、叔父が祭を始めた初代祭主の生まれ変わりの如く、儀式に執着している」

英子は、怯える知恵を抱きしめる。

「あなた達は、大丈夫なの?」

気配を伺いつつ問う。

「私が御高の血筋だから、取り込まれずに存在できる。それに、流斗が私達の事を思ってくれているから、知恵もまた存在出来ている。あの子は、自分で気が付いていないだけで、御高の血でありながら御高に対抗できるだけの力を持っている。だから―」

「千早さん。お願いします。全て終わらせて下さい。無茶を承知です。これは、あなたの様な人でないと出来ない事。この島が浄化によって、どの様な結末になろうとも、救われない魂を解放して欲しい。あなたは、その為に呼ばれた。多くの神々と通じあえる心、神々と友情を築ける、その心で」

英子は、頭を深々と下げる。私を呼び寄せた存在がいるって、事か。

「もしかして、あなた、極秘祭で巫女とかやっていた?」

問うと、血の涙を流し頷く。己の血に家系に対する、いきばの無い思いか。その言葉に周囲の気配が強くなる、結界持たないな。ラップ音が無数にする。それに怯えるように、知恵は英子にしがみ付く。

「ああ、もう」

私の苛立ちが声に出る。呼吸を整え気合を込めて、柏手を打った。その瞬間、周囲にいた嫌な気配が散っていった。

「どうか、お願いします」

そう言い残し、二人は闇の中へ消えた。

―呼ばれた。この島を浄化させる為に? 私を呼んだのは何者だ? あの二人でも、流斗でもなく。極秘祭関係の不浄なるモノでもないとしたら?

闇を見つめ考えた。


 一方、流斗は極秘祭に終止符を打つ方法を考えていた。父は、御高家の中で極秘祭に否定的で自分の代では、行う事をせず終わらせる事を考えていた。祖父は信じてはいなかったが、代々続いているものなので仕方なく行っていた。当主は父が継いだ、だけど弟と対立があった。叔父は誰より極秘祭に陶酔していた。だから父と常に対立していた。父が海で母と共に命を落としたのは、叔父の仕業か不浄なるモノのどちらかが関係していると思っている。アレは事故ではない。叔父は、極秘祭に反対した罪だと言っているし、叔父に付いている島民も同じだ。その頃から、年一回だった祭は、叔父の気まぐれで年数回行われたりしている。この島に、贄になる娘はいないから、年一回は海水浴客を攫い、更に近隣の島にまで贄になる娘を探しに行き攫う。だから、この島は忌まれている。ある年の話を思い出す。

「余所者より、やはり島の娘の方が良いのでは?」と言う氏子の呟きで、極秘祭を知らない島民の娘を、そこから一気に暴走が始まった。そして、それが幼馴染の知恵へと。何とかしたかったけれど、まだ力も何も持っていなかった僕は、どうすることも出来なかった。知恵の両親は生贄にされた事など知らず事故だと伝えられ、傷心で島を出た。その儀式の場に、姉さんも僕もいた。姉さんは僕の手を握っていた。でも、その手は震えていた。翌年、姉さんが生贄として捧げられた。まだ十六歳。知恵は十歳。姉さんは、生贄の為に攫われ集められていた娘たちの世話をしていた。どんな気持ちで、そうしていたのだろう。

姉さんが生贄にされた時、ただ見ているしかなかった。その後、十年以上、祭に立ち会わされてきた。そう、叔父に従う氏子に押さえつけられるように。いっそ、叔父を殺してしまえばと考えたが、未だ実行出来ていない。叔父を殺してしまえば祭は終わる。だけど、そこに救いはあるのかと考えると……。

臆病だ。結局、手を汚すのが怖いのだろう。

同じじゃないか、叔父や不浄なるモノと。

悔しさと哀しみ、怒りが入り乱れる。

―論文を書く為に『極秘祭』を調べに来た、千早。彼女は神々の存在を感じる事が出来るという。それに、島を支配しているモノの正体をも視切っているのだろう。彼女がいてくれれば、終わりに出来るかもしれない。だけど、これ以上、大切な人を喪いたくない。

桜の古木のある小島から、島で一番高い山を見上げる。


 

 極秘祭の行われる場所。その場所には古い社がある。そこには、大神主を名乗る御高大路をはじめ、彼の信者という氏子達が集まっていた。

「流斗さんは、何時になったら、この神事を受け入れてくれるのでしょうか?」

氏子の一人が言う。

「別に構わん。今年の神事さえ終えれば、暫くは主神も、お喜びになられ、すぐにすぐにと言わんだろう。今回の贄は、あの学生。丁度良い時に島に来てくれた。それに、巫女であり霊能力者の家系らしい。今までの贄と比べものにならない贄だ」

自信満々の笑みを浮べて、大路は言う。

「おお。すれば、かつての様な、活気や繁栄が戻ってくる。そうすれば、この島を棄てた者や除け者にした者達を見返す事が出来る」

氏子達は、互いに笑い合う。

「祭の儀式は、なんとしても、この週内に行う」

大路の言葉に、彼の背後に蠢くモノも呼応する。それに伴う様に、不浄なるモノへの賛歌の様に、氏子達は忌まわしい謳を唄う。やがて、島を覆っている不浄なるモノは一層強くなり、島に生息している生き物達は、逃げ場を求めて動き回っていた。

 私は流斗と、桜の古木のある小島で会っていた。理由は解らないけれど、ここは清浄。弱いけれど神様の気配があり、まるで結界があるかのよう。不浄なるモノも大路の信者も近寄れないらしい。私は流斗に英子から聞いた事を話す。

「―そんなのが始りだったなんて。そんなの間違っている。もともと、間違った神事・自分の欲望を神事としたのが始りだったら、救いなんて何処にも存在しない。それを代々行ってきたなんて」

流斗は絶句する。少なくても、昔は「正しかった」と思いたかったのだろう。

始めから、神を讃える為の生贄なんかではなく、個人的な欲望。だから、神々は、この島から去った。不浄を嫌う神なんてとくに。それに、本来、この島に在るべき神の代わりに崇められているのが「不浄な存在」なら、余計だ。カラッポの神社の答え。英子の言葉を確かめる為、危険を承知で深く探りを入れてみた。確かに、そうだった。同時に、気付かれたが。どっちにしても、ここまできたら放ってはおけない。私を呼び寄せた存在をまだ、確かめていない。不浄なるモノでも、流斗や英子でもないとしたら、何者が?

「流斗さんは、その祭が行われている場所を知っているの?」

「え、まさか。危険すぎるよ。なんとかするから、逃げるべきだ」

流斗さんは、焦りを露わにする。

「解っている。でも逃げるワケにはいかない。逃げれない。不浄なるモノは、なんとか出来ても、生身の人間相手は、無理がある。だから、なんとかして祭を潰す」

考えても仕方が無い。なる様にしかならない。呼び寄せた存在は、私に極秘祭を止めて、島を浄化して欲しいから、手の込んだ方法を使った。その存在に逢わなければ。それだけの価値はある。

「強いんだね、千早さんは」

決意に同意してくれたのか、彼は私を真直ぐ見つめた。



  天水潤玲

 水龍神社の巫女・潤玲は何時もの務めを終え、神社の裏山にある禁足地であり御神体でもある湖の畔で、湖の主にして御際神である水龍と語り合っていた。水龍は水神の高位神。この土地の水神として崇められている。潤玲は、神道系の大学へ進学を考えていたけれど、神社の事を考えて結局、家から通える大学に入り、神職の資格を考えていた。

「ねぇ、水龍。千早が論文書く為に、日本最南端付近にある潮上島とかいう離島に行ったんだけど、連絡が取れないの。携帯電話が圏外なのは事前に判っていて聞いていたけれど。なんていうか私が送った式神も戻って来ない。遠見してみたけど、闇っていうか不浄な何かに阻まれて視えないし。千早の、お婆さんも不思議がっているんだ。如何思う? なんだか嫌な予感がするの」

湖面に姿を現している水龍に、潤玲は心配そうに言う。

「それは、また。でも、あの娘は何時も自分から危険な方へと首を突っ込むではないか。確かに、友人としては心配だな。その件は、錦原や波果とも話していたのだが、同じ結果と結論だった。千早の行った島は、我々からすると忌むべき島だ。理由は口にもしたくないが」

水龍は、どんよりとした空を見上げる。

「―そう。でも、嫌な夢を見るの。千早が、巨大な不浄なモノに飲み込まれる。何度も。式神も帰って来ないし、宿の電話も混線なのか通じない」

潤玲は、俯いて小さな溜息を吐くと、水龍を見上げた。

「それに、千早が調べているモノは、生贄を捧げるような儀式らしいの。それは、神々や人間との契約みたいなモノがあってでしょう? だけど、どうも、その島で伝わっているのは―」

「それ以上、言うでない。少なくても、それは禁忌だ。我等は、ソレを忌む」

水龍は潤玲の言葉を遮る。

「確かに、その様なコトは存在していた。少なくても我等は関与していない。それに、あの島で行われているコトは、不浄でしかない。それ以上は関わりたくないし、そもそも同行を探ろうとしても、ソレに邪魔され視えぬ。それは、あの二神と同じ。余りにも巨大な不浄なんだ。我等でも迂闊に関われば、喰われそうだ」

水龍は空を睨む。

「信じるしかないだろう? 我等の護りを持たせているし、千早自身、まだ気付いていないが逸材の力を秘めている。それに気付く事で、その力や己の宿命に気付き、それを乗り越える為の試練と考えても良いかもな。それに……」

「千早も気づいていない、力?」

潤玲は首を傾げる。すると、水龍は潤玲を見て

「親友である、そなたが信じてやらなければ。友の力と生還を」

言って、水龍は潤玲の頭を撫でた。

「我も、二神と一緒に千早の行った島のコトを探る。我等で力を合わせれば、なんとかなるかもしれん」

と、水龍は空へ舞い上がった。


 

   三 極秘祭へ


 流斗と別れたあと、部屋で二枚の地図を広げる。元々、大学の図書館でみつけた書物に挟まれていた古地図と、別で用意した最近の地図を。やはり、樹になるのは島の中心にある山、そこの鳥居マーク・神社である。古地図にが表記されているのに。最近の地図には無い。見落としではなさそうだ。場所からすれば、ここしかないだろう。離島には特有の信仰がある。だから、そのテーマにした。これは、沖縄のユタとかが例に上がる。それは色々な研究者が研究しているし、今なお存在している。それ以外を考えていたら、この潮上島の『極秘祭』を見つけた。資料文献は無く、一部離島の信仰関係の書物で見られたからだ。教授も新しい事の方が研究しがいがあると言うので、特に深く考えず決めた。そもそも、そこから全てが始ったのかもしれない。

―私は、呼ばれた。

他の事でも、そうだ。何かに巻きこまれた時、ソレに関係するモノが私を呼ぶのだ。自分から首を突っ込んでも、結果そうだったりする。

だとしたら、私を呼んだのは。極秘祭に終止符を打ち、不浄なるモノを浄化させる。そうして欲しいモノ。それはナニか?

島の山頂にあるとされる神社は、本来、この島を司っていた神を祀ったものだとしたら、その神が私を呼んだのか? いや違う。もう既に神様はいないのだから。不浄なモノが呼んだ? それも違う。考えても、探っても解らない。

でも、極秘祭に終止符を打たないといけないのは確かだ。

 煮詰まって来たから、気晴らしに、古びた公園へと行く。空気も最悪、無数の蠢く不浄な気配も島を覆う不浄なモノも。纏わりつく、重く湿り気のある空気も。唯一、水平線だけが救いか。あと、民宿の隣の食堂。あそこは他と違う空気。偏屈な店主。だけど店の天井の隅に小さい神棚を見つけた。島外の神社のお札でも祀っているのか、極幽かな神様の気配がしていた。だからか。そう考え沖を見つめる。小さな漁船が戻って来ている。ぼやけた曇り空に日が沈んでいく。戻るか、そう思った時だった。背後に人の気配を感じた。

―なんだ。警戒しながら振り返ると、そこには初老と中年の男が立っていた。

「もし、島の歴史を調べにきている学生さんとは、あなたですか?」

作り笑いを浮べ問う。今まで、島民から声をかけられる事は無かった。

「そうですが。何か、迷惑でしたか?」

怪しい。流斗の言葉が頭を過る。

「いえ、私共は島の総代でしてね。せっかく本土から、いらしてくれたから、お話でもと」

血色の悪さは、この島ならではなのか?

しびれを切らしたのか、向こうから来たのか? 怪しいことこの上ないが。ここは誘いに乗るか?

私は、古地図を見せて、山頂の神社について問う。すると二人は、顔を見合わせる。―大丈夫、何とかなる。これが罠だとしても。終止符を討つ。そうしなければ、どの道、この島からは出れない。相手の出方を待つ。

「ええ、大丈夫ですよ。学生さんの研究の為に。これをきっかけに、島の事を知ってもらえば、この島も賑わってくれるでしょう」

満面の笑み、というより邪悪な笑い。周囲の不浄な蠢くモノの動きが活発になる。そちらへの探りも入れつつ、二人を探る。

「では、ご案内いたします」

ゆっくりと歩き出す。数歩離れて、前後から挟み込むかの様に。罠と解っていて飛び込む。でも他に方法は無い。

『叔父は君を贄にする』

内心、笑えてくる。さて、如何するべきかと。無鉄砲な性格は理解している。佐山の時の事といえ。でも、そういう性分。


 歩くにつれ、気分が悪くなる腐臭のような空気と共に、不浄なモノの気配に混ざって、邪悪な気配までしてくる。禍々しいといった方がいいのか。とにかく、気分が悪くなる気配。警戒心を最大にして、歩く。港町の路地。家々が密集しているが、殆どが廃屋。空家だと思っていたが廃屋同然だった。中には半壊や屋根が落ちている家もあった。今、歩いている道を地図でイメージすると、島中心に向かう道。会話も無く歩く。幾つかの角を曲がった先は、手入れの行き届いた民家の庭だった。その先には、山へと続く道だろうか、登り坂がある。この辺りの空気は、港周辺よりずっと重いし、嫌悪するモノだった。まるで、不浄なるモノや邪悪なる禍々しいモノが自分を待ちわびているかのようだった。そして、この二人はソノ下僕か。

その民家は、大きな屋敷だった。古ささえあるが手入れは行き届いている。その庭先から、山へと続く道。おそらく、ここが流斗の家で、御高家なのだろう。そして、この先の山道は山頂へと。そこが、例の場所―。

気配は消しているつもりなのか、生身の人間の気配がする。不思議な形の鳥居があり、そこからは山道。私は御護りを握る。

 細く暗い山道。夕闇が迫り光は届かない。人一人が歩けるだけの道が造られているほかは草木が生い茂っている。その茂みの中からは、何者かの視線が無数に感じられる。山道を登るにつれて、禍々しい気配は強さを増していく。これは、生きた人間の欲望と殺意を凝縮したモノも混じっている。市長達に殺されかけた時より、その殺意は強い。一歩踏み出すにつれ強くなる。暑さで汗が滲むのではなく、禍々しい気配で嫌な汗が出て流れていく。身体も重くなる程、禍々しい気配纏わりつてくる。御護りを握り心で祓言葉を唱える。効果は無い。

無言のまま、山道を登りきる。山頂は整備されていて、古い社造りの建物は朽ち掛けていた。その社の前には、御高に従う氏子達が篝火を囲んでいた。ここが、贄を捧げる祭・極秘祭の場所。行き苦しい程に、禍々しい気配で満ちていて、不浄なるモノの根源であると感じる。氏子達は皆、生気の無い虚ろな目で私を見ていた。すでに取り込まれているのだろう。さて、どうすればと考えていると、社の中から黒衣に身を包んだ年配の男が出てきた。

「大学の調査だか知らないが、何にでも首を突っ込むと、取り返しのつかない事になりますよ、学生さん」

流斗の叔父・大路だ。随分と偉そうな言い方だ。キライなタイプだ。そして、嫌味な言い方も気に食わない。

辺りを見回すと、氏子達に囲まれている。流斗の姿も気配も、ここには無い。

どうすれば―考える間なく意識が暗転した。


 闇の中で谺する、幾つもの悲鳴。苦しげに泣く呻き声。そして、何処へぶつけていいのか解らない、怒りと憎しみ―そして哀しみの感情。それらが自分を包んでいる。そんな闇の中で、私は何度となく溜息を吐く。そこへ、何処からともなく何度も自分を呼んでいる声が聴こえてくる。辺りを見回すが、闇。声を頼りに声のする方へと進む。怨嗟や慟哭が闇の中でも蠢いているのは判った。ここは何処だろう?

―ああ、そういえば、あの時。

そう思った時、視界が滲み現実へと意識が戻る。頭がクラクラして視界がぼやけている。そのぼやけた視界の端に、揺らめく灯りがある。意識がハッキリするにつれて、自分が置かれている状況が判ってきた。私は、禍々しく邪悪に満ちた不浄な気配が蠢く祭壇の前にある台座に縛り付けられていた。どうやら、あの社の中らしく、殴られて気絶している間に縛り付けられたらしい。いまいち頭がクラクラするのと身体に力が入らないのは、殴られたせいではないらしい。私が目覚めた事に気付いたのか、御高大路は

「お目覚めですか、学生さん。ずっとずっと待っていたかいがありましたよ。高い霊能力を持ち、若い生娘を。あなたはきっと、最高の贄となるでしょう」

既に正気ではない目。邪悪な笑みを浮べて言う。狂気に満ちた人間って本当にいるんだなと、こんな状況でも思った。ここは、ハッタリを。極秘祭の真実を聞き出さないと。

「偽りの神事に何の意味があるの? この島に神々は存在していないし。そもそも、この儀式さえ無意味。本来在るべきカタチを壊したのが、この儀式だ。この島を覆っている不浄なモノは島を衰退させた。それは、この儀式のせいよ。それが、解らないの?」

やはり身体には力が入らない。何か盛られたか。

すると、大路のこと大神主は、ニタニタ笑い

「そんなコト、どうでもいい。この島に神が存在しようがしまいがなど、な。島の未来なんてものは、ただの口実。社の中に居る者は、ともかく。外にいる氏子達は、贄さえ捧げれば島は再び活気を取り戻せると信じているが。ここに居る者は、ひたすら贄を求める存在に贄を捧げ続けている。そうする事で、ソレは大きくなり我等を満たしてくれる。その為の祭であり、贄だ。人間が食事をする様にな、贄はソレの飯だ」

大神主は言い、祭壇に置いてある古びた鞘に納まっている刀を手に取る。刀を手に取ったのが合図だったらしく、社の中にいる数人の氏子達は、禍々しい呪文を唱え始めた。外からも同じ呪文を唱和する声が聞こえる。その呪文に応じるかの様に邪悪な気配が迫ってくる。戒めを解こうともがくが、力が入らない。

―ヤバい。思いつつ、大神主を睨みつける。

「大人しくしていれば、苦しませんよ」

満面の笑みを浮べて大神主は、刀の鞘を抜いた。古び錆びついた鞘からは想像出来ないくらい、刀身は磨かれ鏡のようだった。灯明の灯りを反射させると不気味な色に光る。呪文を唱和する声は大きくなっていく。それでも、なんとか振りほどこうとする。

「余程、苦痛を選びたいです―?」

その言葉と同時に、大きな音を立てて社の扉が開かれた。大神主の手と言葉が止まり、表情がみるみる変わる。それに驚いたのか、呪文を唱和する声も止まった。視線は、扉の方へ

「流斗、お前、何しに来た。―気が変わって、この祭を継ぐ気になったのか? なら、お前がこの娘を贄として捧げろ。そして、御高の神の―」

大神主の言葉を切り裂くように流斗は

「そのつもりは、無い。何度言われようと、無駄な事。どの道、この島に未来なんて無い。意味の無い祭、狂った祭など終わりにするべきだ」

祭壇に、私のもとに歩み寄りながら、強い口調で言う。そして、私と叔父である大神主の間に入り

「本来、在るべき神がいないのに、祭なんて呆れる」

吐き棄てる様に言う。

「お前が何と言おうと、この祭は続くずっとな。この娘は、今までにない最高の贄として捧げるのだ」

と言い、手にした刀に力を込める。

「彼女には、贄としての価値はもう無い」

流斗は笑って言う。

「どういう意味だ」

怒鳴りつける大神主。流斗の言葉の意味を理解すると、顔が熱くなるのを感じた。

「彼女と僕は、愛し合う仲なんだよ」

と言って、私に寄り添う。そして、抱き寄せる。これは、予想していなかった。私が一番驚いている。

「お前、贄に手出ししたのか? せっかく霊能力を持った贄だったのに。最高の贄となる筈だったのに」

大声で怒鳴り散らす。その背後で、不浄なるモノが激しく蠢いている。既に、御高大路自体が、不浄なるモノ達に取り込まれていたのだ。だから、固執していた。

「他の娘なんかより、価値があった者を」

焦点の定まらない目で、こちらを睨む。

「でも、叔父さん、御高の血を絶やさない事も必要では?」

言って、私の縄を切り抱きかかえる。

「うるさい。そいつは、贄なんだ」

喚き散らしている叔父を尻目に、私を抱きかかえた流斗は

「ただの快楽殺人者だよ、叔父さんは」

流斗は何故か涙を浮かべていた。

薬のせいで、まだ身体には力が入らなかった。氏子達は固まったまま、私達を見ている。沈黙が訪れる、灯の揺らめく音だけが社の中にあった。その中を、私を抱えた流斗は、ゆっくり歩き社を出る。

「この島に未来なんて無い。正常な人は、島を出て行った。残っているのは生き宛ての無い人か、鈍い人。そして、極秘祭を讃える人達だけ。この島の平穏や繁栄を約束してくれていた神々は、初代の儀式を切っ掛けに消えてしまったんだ。その代わり島を支配したのは、贄を求める不浄な存在。この島を本来あるべきカタチから滅びへと導いたのは、御高だ」

流斗は涙を零した。その涙は私のもとへと落ちてくる。


 ―人間によって傷つけられる神々。そして、消し去られる神々。佐山野原神の事が浮かび、心が痛む。それと同時に流斗の心が流れ込んでくる。自分の中にある、忌まわしい血脈。助ける事の出来なかった、姉の事や幼馴染の事、そして見て見ぬフリをしてきた事が。

私を抱えたまま、ゆっくりと社を出て行く。灯明が掲げられているが、外は深い闇の中だった。

「いかせはせぬ。こうなれば、ふたりまとめて殺して贄にしてくれる」

大神主は刀を握る手に力を込め振りかざし、私達を追ってくる。それを避けながら、彼は私を抱えたまま闇の中を駆けだす。細くて非力に見えたのに、そんな力があるなんて、驚いた。大神主の正気は既に無く、無暗やたらに刀を振り回し追ってくる。その姿に、外にいた氏子達は状況を理解出来ないのか、茫然としていた。

「何をしている。追え、殺せ。贄を」

振り回していた刀の先が、近くにいた氏子を薙いだ。血飛沫をあげ氏子は倒れる。氏子達は、固まったまま動けずにいた。自分達が信じていた人間は、狂っていた。それが衝撃だったのだろうか?


 闇の中へと続く、細く下った山道を、私を抱えたまま流斗は駆け降りて行く。夜目が利くのか慣れている道なのかは、私には判らない。身体に力が戻ってきたので、自分で歩くと言い立ち上がる。完全に抜け切っていないのか、まだフラフラする。そんな私の手を彼は引いて、駆け下りて行く。

「船に、荷物を用意してある。とにかく早く」

振り返る事なく言って、更に引っ張る。普段から使っている山道なのだろう、足元は整えられている。茂みの中からは、無数の視線。更に、殺気を剥き出しにした大神主が刀片手に駆け下りてくる。それに氏子達も。御護りを握り、祓言葉を呟く。足が縺れ転びそうになる度に、流斗に支えられ手を引かれて駆け降りて行く。背後からは、殺気と狂気、禍々しい気配が迫る。何処からか、焦臭い煙の臭いがしてくる。山道を駆け下り、御高家の庭先に出る。そこにある、山との境にある扉を閉めると、息を切らしている私の手を再び引き、走り始める。港とは反対方向へ。そちらは確か、使われていない桟橋があったような。そこには、小さな船が係留してあった。その船に飛び乗ると流斗はすぐにエンジンをかけてロープを切った。船は一気に沖へと出る。

「振り切れたか?」

全身で息をしながら、流斗は言う。島の方を見ると、山頂が紅く染まっていて煙が立ち上っていた。そして、島全体が、ざわめきだした。

「ありがとう。でも、無茶だよ」

呼吸を整えながらいう。

「何時か、役に立つかもしれないと、身体だけは鍛えていたんだ。それに、千早の方が無茶だよ。それに―」

彼は何か言い掛けて口を閉ざし、島の方を見る。

 火の回りが早かったのか、山は燃えていた。真夜中の山火事に、他の島民達は慌てている感じが伝わってくる。そして、なお二人を追って来るモノがいた。

港の方から数隻の船が見える。

「あいつら、まだ追ってくるつもりか」

流斗は船の速度を上げる。

私達の乗った船は、島のだいぶ沖まで来ていたのか、島全体が見渡せた。島を覆う不浄なるモノは巨大で、その中からは、今まで贄となったであろう娘たちの悲痛な叫びが聞こえてくるかのようだった。

「アレが、消えてしまった島の神々の代わりに、この島を支配しているモノ。僕は、ずっと視えないフリをしてきたんだ」

じっと闇の中を見つめて言う。

巨大な不浄なるモノは、触手を伸ばすかの様に私達を追い掛けて来る。そして、大神主や氏子達も。

「追いつかれる」

流斗は言った。私は―

「ここで迎え討つ。逃げるのではなく、なんとかして討つ。そして、浄化させる」

まだ力の入らない足で立ち上がり、追って来るモノに向かう。

「どうやって、ここには神様なんて、アレに勝てる神様は」

「そうね。でも、神様は存在している。八百万の神様がね。この御護りの中に、私の心の中に」

御護りを取り出す。掌サイズの小さなモノ。それでも、神様達の力は感じられる。

「この御護りの中に、私を想ってくれる神様達や人達の想いが宿っている。この御護りの力を借りて、アレを浄化させるの。それには、流斗さんの協力も必要。心の底から救いたいという願いが。それが、あの不浄なるモノの中深くにある、初代の娘や家族達に届く様に、犠牲になった娘たちに届く様に。それを願うの。純粋な願いは力になるから」

私は、御護りの紐を手首に縛り付ける。

「見極めれば、あの様な不浄の中にでも、見つけられる」

私の言葉に頷くと、不浄なるモノを見つめる。そして、家族や幼馴染の名前を叫んだ。私は自分の掌の中の御護りを彼の手と重ねる。それの意味が解ったのか二人で御護りを握った。私は、そのまま大祓祝詞を奏上する。御護りが暖かく感じる。知っている温もりとなる。

「ああ、これが千早に対する、神様達の想いなんだね。そして、千早が大切に想っている神様達への想い」

流斗は涙ぐむ。私は無言で頷く。

相変わらず、不浄なるモノと大神主達は追ってくる。ここで討たなければ。そう考えていると、何か別の気配を感じる。今まで感じた事の無い巨大な気配。善意も悪意も無いが、とても大きな気配。その気配は海の方から押し寄せてきていた。沖の方へ振り返り闇の海を見つめていると

「どうしたの?」

彼が問い、私の視線の先を見る。

「何かが、こっちへ来る」

私が答えると同時に、今まで殆ど波が無かったのに、急に海が荒れ始める。波は不安定で船を揺らす。やがて、船は一気に沖の方へと波で運ばれる。私達は船につかまりながら沖を見る。

そこには、巨大な波が壁の様になり、海面を走る様にしこちらへと来る。

「え、なに?」

「津波?」

その巨大な波は、船のすぐそばまでくる。避ける事も出来ず、私達は互いに抱き締め合う事しか出来なかった。強い波の衝撃、記憶はそこで途切れた。



三章遺されしモノ  

 

 どれくらい時が過ぎたのか、気が付くと空は明るくなっていた。口の中が塩辛く咽る。身体を動かそうとしたけど、全身が痛い。空を見上げると、澄んだ青空が広がっていた。

「大丈夫?」

流斗が私の顔を覗き込む。昨夜の事を思い出すと、照れ臭い。なんとか、起き上がる。辺りを見回すと、そこは桜の古木の小島だった。小島は更に小さくなっていて、磐座と桜の古木だけになっていた。枝は折れているもののしっかりと磐座に根を張っている。島の方を見て驚いた。

 島の中心にあった山が、ごっそりと無くなっていて、瓦礫が島中に散乱していた。

「あれは、津波だったの?」

「おそらく。僕達は助かったけれど、島は……」

瓦礫の散乱している島を見つめ、彼は悲しそうに言う。彼は、そのまま、島の方を見つめている。私は、桜の古木が根付いている磐座を見て回る。大きな磐座の回りには大小の岩石。それらに埋もれる様にして何かあるのを見つけた。

膝まで海水に浸かり、ソレを掘り出す。

「ねぇ、これ見て」

彼を呼ぶと、

「これは?」

と、問う。

「祠かな」

掘り出して、磐座の上に乗せる。両手で抱える程の大きさ。瓦の様な素材で出来ていた。コケや海藻、小さな貝などが表面に張り付いている。

「知っていた?」

「いや。始めて見る。これが、何でこんな処に?」

彼も不思議そうにしている。知らなかったのだろう。

「ここが清浄だったのは、これの御蔭。隠してあったのか、時の流れと共に自然に埋もれてしまっていたのかは、解らないけれど。きちんと信仰されていたモノ」

「誰が? ここには島民は近づかなかったし」

流斗は不思議そうに、祠を見つめる。

「これは、私の推測。極秘祭が行われる事を知った、何者かが、ここに隠した。そして願ったのかもしれない。島に平穏が戻る様にと」

だとしたら、婿になる筈だった青年か、それとも二人でかだ。

「島の平穏。でも、島は」

無理も無いだろう、生まれ育った島が壊滅したのだから。

「これが、極秘祭を終わらせ、島を浄化した結果」

流斗は泣いていた。時に偶然は、必然。私は、かける言葉なく後姿を見ていたが、

「無い。御護りが、無くなっている」

確かに手首に強く縛り付けていたのに。

「それ、大切なモノだったのでは?」

焦っている私を、気遣ってくれる。手首には紅く細い紐の痕が残っているのに。

暫く、海の方を見つめ

「身代わりか」

と呟いた。

「御護りは、私達の身代わりとなって、流された。だから、私達は流されず、この場所へ辿り着いていた。おそらく、ここに隠される様に遺されていた神様の力もあってかな」

私は、祠を見つめる。

「それって、この祠の神様も助けてくれたって事?」

流斗も、祠を見つめる。

「幽かだけど神様の気配。島の平穏を願っていた者の想い。ずっと今まで存在していたのは、極秘祭と対極にあるモノだったからも」

私は、祠の汚れを取る。

流斗も一緒に。

「助けに来てくれて、ありがとう」

私は、俯いたまま、お礼を言った。

「いや、僕の方こそ、失礼な事を」

お互い、照れ臭いものがあった。

祠の汚れを半分ほど落とした時だった、空の彼方から幾つもの音が聞えてくる。

空を見上げると、三機のヘリコプターがこちらへ向かって来ていた。

「あれから、どれくらい時間がたっているかは、判らないけれど、救助隊のようだ。少なくても、極秘祭と関係のない島民は、何処かで生きていて欲しい」

流斗は、祠に向かい祈る。

「あの波、私のせいじゃあないよね。幾ら浄化させると言っても、そこまでの力は無いし―」

「関係無いよ」

私の言葉を遮り

「きっと、あれは、起こるべくして起こった事。だから、山ごと消えたんだ」

流斗は、かつて山頂があった辺りを見て言った。そう言ってくれれば、少しは気持ちが楽になる。偶然を装った必然も、あるけど。今は、考えないでいよう。


 小島にいる私達に気が付いたのか、一機のヘリが旋回し、救助隊が降下してくる。それを見ながら、私と流斗は磐座の上に置いた祠に、深く頭を下げた。

私達は、救助隊に救出された。あの夜から、三日過ぎていると教えられた。ん本の遥南の海域で起きた地震によるものだったとも。そして、潮上島が一番のダメージを受けた事や、他の離島も少なからず被害があったとも。

私達は、そのままヘリから災害派遣されていた自衛隊の輸送機で、本土・本州の病院へと運ばれることとなった。他にも何人か同じ飛行機に乗ってはいたけど、潮上島の島民はいなかった。マスコミは、相変わらずだった。


 大事をとっての入院している病院。その屋上。

「私は、一度実家に帰ってから、大学へ戻るけれど、流斗さんは如何するの?」

帰る場所を失った彼には、酷な問いかもしれないが。

「支援を受けながら考えるよ。あの島には戻るつもりは今は無いし。周辺の島でも潮上島の悪い噂はあるからね」

複雑な表情。無理もないか。

「私の祖母が迎えに来るから、相談してみるといいよ」

励ます方法は、そういうのでいいのか? 婆さんが来るというのは、説教か。

マスコミは、相変わらず騒いでいる。

迎えに来た、焔婆は

「―まったく、何時も言っているだろう。それなのに、どうして、お前は何時も、自ら危険な処へ行ってしまうのだ? 見極めが出来なくてどうする」

毎度の事、説教をされる。

「だって、論文提出しないと、留年する」

「はぁ。まったく、偶然とはいえ、あの災害がなければ、どうなっていた事か。それに、あの小島に残っていた小さな神の力と護符がなければ、今頃どうなっていたか……」

婆さんは、溜息を吐く。

「千早にとっては、何時もの事ですね。それにしても、御高さんが助けに来なければ、千早も、その不浄なるモノに喰われていたのですよ」

何時になく、嫌味な口調の唐兄。

「いえ、助けられたのは僕の方です。あの忌まわしい祭を終わらせる事が出来たし。多くの魂を解放できたのですから」

強がっているのか、吹っ切れたのか。それでも、瞳は遠くを見つめていた。

「偶然とはいえ、千早が関わった事で君の生まれ育った島は、消えてしまったのと同然なのに? それが、それでも正しいと言えるのですか?」

と、唐兄。

「―いいえ。近い将来、あの島は消えてしまう宿命だった。きっと、忌わしい祭のせいで、島は死んでいたのでしょう。でも、アレで全てが浄化された。だから、もう」

言葉に詰まる流斗。

「それで、御高殿。この先、どうするつもりで。頼るべき人間は?」

焔婆が問う。

「考えていません。身の振り方さえ解りません。暫くは、行政の援助が支援してくれるそうですが。不浄なモノとずっといた僕に、ちゃんとした神職の道は、あるのでしょうか? 神は穢れを嫌うといいますし」

「ふむ、それを乗り越え討ち祓い、その上で、島の歴史を忘れず卑屈になる事なく、進むのであれば道は開かれよう。そなたが本気であれば、力にはなるが」

焔婆に問われ、流斗は私を見る。

「はい。きちんとした、神職なり、あるいは僧にでもなり、島民の供養なり、魂の為に出来る事をしたい」

「そうか。迷いは無いな。なら一つ、約束してくれ。決して、過去に囚われる事なく血脈を嘆く事だけはダメだ」

こういう厳しい婆さんは、私も始めてみる。でも、それくらいの覚悟は必要か。

唐兄が私を見る。唐兄も不思議に思っているようだ。

流斗は暫くの沈黙

「よろしくお願いします」

「私の知り合いだが、かなり厳しい者だ。生半可な気持ちでは無理だ。その者のもとで、どの道が己にあっているかを見極めるがよい」

焔婆は、唐琴の肩をポンと叩いた。

「ありがとうございます」

流斗は深く頭を下げ、涙を零した。



 私は、流斗と一緒に錦原神社へと来た。お礼を言うため。流斗が一緒なのは、彼に本来の信仰のカタチを見せたかったのと、二神に逢わせたかったから。

穏やかな内海には、小さな島々が浮かんでいる。それらを、一望出来る高台に、錦原神社はある。私と唐兄が一礼し、鳥居をくぐる。流斗も同じ様にする。鳥居をくぐり神域に入った途端、錦原女神と波果神が姿を現す。

「千早、良かった。心配していたのよ」

私に抱き着き、錦原女神が言う。本当に心配してくれているのを感じた。そして、何時もの様に私の肩に乗る。

「まったく、相変わらず無鉄砲な。で、そちらの者が?」

波果神は、大きな溜息を吐く。近くの木々が揺れる。そして、じっと、流斗を見つめる。二神は、流斗にも姿が視える様にしている。流斗は、二神に深々と礼をして、私に

「これが、本来、在るべき神様と人間の関係?」

と問う。

「そうですよ。それだけ、この土地の人達が神様達に心を寄せているという事です」

唐兄が私の代わりに答えた。少し嫌味な口調だった。参道を進む。

「本当に、二神とも、ありがとう。なんとか大丈夫だったよ」

境内に着くと、私は再び二神に頭を下げた。

「くすくす、千早。私達だけの力じゃあないわよ、むしろ彼の力のおかげでしょ?」

錦原女神は、私の苦手な色恋沙汰が好きらしい。私には、その様な感情は、無いのかもしれないけど……。

「それにしても、懲りるって事を知らぬのか」

波果神に頭を小突かれる。

「多分、無理でしょう、生来の性格かも」

と、答える。

「―で。千早はいいとして、御高君。君は、如何するのです? 焔婆との話は決まりましたか?」

普段より嫌味な口調。二神も不思議そうに唐兄を見る。

「はい。焔さんの知り合いの、修験道にも精通しているという方に、お世話になります。そこで、神職が向いているのか、僧侶になるべきなのかを考えます。

明日には、そちらへ向かいます。お世話になりました」

流斗は、二神や唐兄に頭を下げた。

「そうですか、頑張ってください。で、千早は?」

何時もと変わらない口調。

「月曜には大学に。水龍にもお礼言わないと」

「まあ、単位を落として留年しないように。二人とも送ります」

唐兄は、言って参道を引き返す。私は、二神に手を振る。二神も手を振りかえす。良かった、戻ってこれて。

 あちらこちらから、蛙の鳴き声が聞えてくる。湿った風が吹いてくる。懐かしい心地の良い風だった。

「梅雨入りしたね」

錦原女神は、空を見上げた。

「ああ。それが、過ぎれば、また賑やかになるな」

波果神は、海を見つめた。


「それじゃあ、ね。千早。―流斗さんも、頑張って」

錦原女神は、去っていく姿に言った。


 不機嫌そうな唐兄は、流斗を最寄駅で降ろす。

「御高君。頑張ってくださいね。その方は、かなり厳しい人で有名です。泣き言は言えませんよ」

と、送り出す。



 私は大学に戻り、体裁だけ整えた論文を出す。

「あーまー、色々と大変だったな、斎月」

論文を受け取り、パラパラと捲りながら秋葉教授は言う。先輩から教授の話を聞いた。それによると、教授の専門は『本物』の研究。そして、オカルト・神智学・神秘学など。『呪術』などまで幅広いと。そして、民俗学学会では『異端』であると。それでも、業界の中心的存在。私の論文を読みながら

「実は、潮上島の秘祭『極秘祭』の事なんだが、極々一部の研究者の間では、殺人祭のではないかという説があったんだ。でも、誰も噂程度で調査に行く事は無かった。阻まれたというのか、誰も行けなかったんだよ。何時か、きちんとした調査がしたかったんだが、ようやく出来たってとこだな」

満面の笑みで、教授が言う。

「危険と知ってて、行かせたんですか? 止める事もせずに」

教授との付き合いは、一年にも満たないが、こんな感じだ。神経逆撫でするタイプというのか。

「でも、決めたのは君だ」

ニヤリと笑い

「誰も、極秘祭の起原まで調べる事は出来なかった。でも、君は体験までした。論文は、これで良し。ただ『裏』だ。単位はプラスしてやる、これからも、斎月の力が調査に役立つ。私の後継者に、ならないか?」

と言う。

「はぐらかさないで、下さい」

「はは、君には多くの御護りさんが憑いているし、大丈夫だと思ったからだ。それに、誰も何年もの間、手に取る事のなかった書物を手に取った時、呼ばれたんだよ」

視えている人、なんだ。しかも、かなり。で、なんで、呼ばれたって。

「まあ。これかは、私の調査にも同行してもらおう。単位もバイト代も出すし。斎月には『裏』の民俗学が向いているな。それも記録に残さなければならないから、どの道、調査は必要なんだ」

頭が痛くなってきた。

「そうだ。夏休みに―」

「夏休みは、神社の手伝いがあるので、無理です」

答えると

「お前は、神職になるつもりなのか?」

と問われ、

「まだ、決めてません」

と答える。

「なら、暫くは、民俗学に専念しろ」

言って、教授は再び、私の論文の続きを読み始めた。


   終


 大学が夏休みに入り、私は水龍神社へ来ていた。

まずは、水龍にも助けてもらった、お礼を言うため。心配をかけた、潤玲に詫びるために。

潤玲と一緒に湖に向かう。

「久しいな、千早」

水龍が言う。私は礼を述べる。

「向こう見ずなのは、健在。皆、心配するはずだな」

水龍は笑いながら言い、

「少しは、懲りたか?」

と付け加えた。

「でも、なんで、そんな遠い処まで、行く必要があったの? 論文て、そこまでしないと書けなかったの?」

潤玲が問う。私は、頷く事しか出来ない。細かい事を話せば、余計な心配を刺せてしまうし。

「呼ばれたんじゃよ。千早は」

水龍が言った。そう、なんかいも「呼ばれた」が引っ掛かっていた。

「それって、どういう事ですか?」

水龍に問うと

「あの、桜の古木を覚えているか? 不浄が浄化されたから遠見が出来るが、あの小島に在る神だよ」

桜の古木と磐座、そして古い祠を思い出す。

「そう、その祠の主が呼んだ。なけなしの力で、な。そういう事を見極める事がまだ、お主には出来ない。だから、あんなことに巻きこまれた」

呼んだのは、あの祠の主?

「おそらく、お主の推測の通りで、祭と対極にあった。島を救いたいという、か弱き神の想いを、お主が受け取った。だから、呼ばれた」

水龍の話からすると、祠の主が、島を救って欲しいが為に、でも島は。

「あれは偶然。それでも、島は浄化され囚われていた魂は解放され救われた。すべては、純粋な願いのもとに」

「誰? あの祠の神様? 島民?」

「まだ、修行が足りないな、千早。まあ、今回は教えよう。呼び寄せたのは、桜の古木だよ。木霊がね」

水龍は、空を見上げる。潤玲は不思議そうな顔をして、私を見る。

「人間が誰かに助けを求め、縋りたいように。また、精霊の類も同じ。あの不浄の島で、小島だけが清浄であったのは木霊が、かつて磐座に祀られていた神に縋り、助けを求めた。そして、千早を見つけた。だから、お主が、呼ばれた」

桜の古木の想い。誰でも無い、英子や知恵でもなく。桜の古木。

考えると、桜の古木は、どんな想いで、あの場所に立ち続けていたのだろう?

私にはまだ、解らない。

「千早、そんなに難しく考えなくても、ただ、助けて欲しかっただけだよ」

潤玲が言う。

「そう、そうだね」


 これは、教授から聞かされた話だけど、潮上島は本来『潮神島』と書くのだと。それに町島は『待島』、外洋へと出る船の風待ちや嵐避けの島でも

あった事から。私はまだ、知識不足だし、色々とバランスが悪い。それは、今回の件で思い知った。


「千早は、夏休み、こっちにいるの?」

潤玲が問う。

「うーん。なんか、教授が手伝って欲しい調査があるって、毎日の様に連絡してくるから」

溜息が出る。

「そっか。また、ゆっくり出来る時があるなら、つもる話を聞かせて」

潤玲の言葉に、少し励まされた。


 蝉がうるさいほど鳴いている。ここは、豊かだ。

ずっと、こうであって欲しい。 


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