サイコパスの見分け方
あたしは並々と水を湛えた大き目のワイングラスを手に取ると、湊太の方に向けて軽く手首を振った。拒絶の意思を示すため、少しだけ湊太を濡らすつもりだったのだが、グラスの形状が悪かった(良かった?)のか、グラス内にたっぷりあった水量の全てが湊太の顔を直撃した。
右の席の女性は押し殺した悲鳴を上げ、左の席のカップルは会話を止めた。
海岸沿いのレストラン。
大きな窓の外には国道を挟んで海が見え、海の向こうには夕焼けをバックにした真っ黒な富士山が見えていた。
重厚な木製の椅子とテーブル。各テーブルにはそれぞれ一つずつガラス製のランプが置かれ、蝋燭の光がそれぞれの食事を照らしていた。
あたしはいたたまれず、バックを持って立ち上がると財布から千円札を2枚出し、テーブルの上に置いた。
「なんだよそれ。ここは俺が持つって言ったろ」
びしょ濡れの湊太は顔を拭きもせず、下を向いたまま、あたしの目も見ずに泣きそうな声で言った。
「あんたに貸しなんか作りたくないの。2千円で足りるよね」
あたしはそう湊太に言い放つと後ろを向き、レストランの入り口に向かって真っすぐ歩いた。
湊太が注文したのであたしはメニューを見ていないが、上品な店とは言え、カレーとサラダでまさか2千円はしないだろう。
入口近くのカウンターまで歩く頃には、あたしの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた……と、思う。
カウンター内の店主と思しき30代ぐらいの男性が、困ったような顔であたしを見ていた。
「あの……、ここから一番近い駅への行き方を教えてもらえませんでしょうか?」
あたしは店主らしいその人に尋ねた。
カウンター席の老夫婦が、素知らぬふりをしつつ、しっかりあたしをガン見していることが痛いほどわかった。ううっ、一刻も早くこの店から立ち去りたい。
「ここは駅からちょっと距離があるので、歩きでは厳しいと思いますよ。タクシーを呼びましょうか?」
店主が言った。
「はい。お願い……」
あたしがそう言いかけた時、食器を片づけにカウンターに戻って来た店員が言った。
「マスター、ちょっと抜けていいですか? 私がお客さんを駅まで送りますよ」
「夏帆ちゃん。頼む」
マスターと呼ばれたその男性は、明らかにほっとした顔をしていた。
***
夏帆さんの車は、街中でたまに見かける2ドアのかわいい車だった。FIATという文字と500という数字が車のあちらこちらに書いてあることから、どうやらそれがこの車の名前らしい。
夏帆さんは大学生で、バイトでウエイトレスをしている、とのことだった。
「“あり”ちゃん。家はどこ?」
車が動き出すと、夏帆さんが聞いてきた。
「えっ、何であたしの名前を知ってるんですか?」
あたしは思わず聞き返した。車が動き出すまでの間のあたしたちの会話と言えば、夏帆さんが簡単に自己紹介をしたぐらいだ。
「だって、“そうた”くんがあなたのことそう呼んでたでしょ」
あのお店はマスターと夏帆さんしか店員はいなかった。あたしたちが食事をしている間、夏帆さん常に動き回っているように見えた。いつ、聞き耳を……。
「盗み聞きしちゃってごめんね。あの時、あなた達以外のお客さんはみんな常連さんだったの。お客さんの顔を覚えるのも仕事のうち、が、うちのマスターの方針なんで、実は一生懸命あなた達を見てたんだ」
「そうなんですか。あたし、西村亜理と言います。家は……浦和です」
「うわ、遠いな。近ければ家まで送ろうと思ったんだけど。鎌倉駅でいいかな?」
「ありがとうございます」
「亜理ちゃんのヘアピン、かわいいね。星、好きなの?」
「はい……。 あの……、聞かないんですか? こうなっちゃった訳、というか……」
夏帆さんはクスッと笑った。
「話したいの?」
「話したい、というか……お店をびしゃびしゃにしてそのまま出てきてしまったので、言い訳をさせて欲しい、というか……」
「じゃあ、聞かせてもらおうかな」
***
あたしと湊太は……まあ、幼馴染だ。
小学、中学、高校と同じ学校で、その間同じクラスになったりならなかったり……。だから、高三で同じクラスになった時は、一番話しやすいクラスメイトになっていた。
湊太は高校に入ってアニメ研究会を立ち上げていた。だいたい想像はつくと思うが、傍から見る限りオタクの巣窟で、あたしは嫌厭していたのだが、高三で同じクラスになった時、湊太があまりにしつこく誘うもので、一度だけ遊びに行ってみることにした。
行ってみると、みんな良い人ばかりで、特に男子は優しい紳士ばかりで、あたしはあっという間に水に染まってしまった。だって、普通の子は声優の名前を出してもポカンとするばかりで、世の中はそういうものだと思っていたのだが、ここでは声優の演技論が熱く語り合えるのである。
……まあ、あたしも隠れオタクだったということで。湊太がしつこく誘った訳である。
さて昨日、そのアニメ研究会で湊太達が妙に盛り上がっていた。聞くと、湊太が免許を取ったので、明日の土曜、みんなでドライブに行く、とのことであった。
なんでも湊太の家の車はオープンカーで、秋はオープンカーでドライブをするのに最高の季節なのだそうだ。
「西村も一緒に行く?」
と、聞かれたので、
「う~ん、行こうかな~」
と、言うと、何故が男子3人が「よし」「やったー」とガッツポーズをした。
今、思えば、この時点で怪しいと気が付くべきだったのだ。
いや、正確には、クラスの友達に止められた。
「……って言うか、なんであんたが“オタサーの姫”やってんの? 亜理ならあんなやつら相手じゃなくてもモテるのに。 それともあんなの(と、湊太を指さす)が趣味なの?」
「まさかぁ」
そこまで言わなくても……という感じではあるが、ま、これがオタクに対する世間一般の評価である。
ドライブ先は江の島であった。海の無い県、埼玉県民にとっては、格が違うというか、特別な場所感が満載というか。……それでも屋根の無い車で乗り付けると、ちょっと勝ったような気になるから不思議だ。車は306という名前だった。フランス車、とのこと。
さて、いざ帰ろうという話になったとき、一緒にドライブに来ていたうち2人の男子が、鎌倉で調べものがあるから途中で降りる、と、車を降りてしまい、湊太と二人きりにされてしまった。
まあ、後は帰るだけだから、と思っていたら、湊太が突然、前々から行きたいと思っていた店があって、奢るから寄っていいか、と言い出した。それが夏帆さんのバイト先のあの店であった。
確かに夏帆さんのお店のカレーは美味しかった。
ただ、そろそろ食事が終ろうという時に、湊太がとんでもないことを言い出した。
この先に夜景の綺麗なホテルがある。実はそこの予約を取ってある……。
さすがにニブいあたしでも気が付いた。
湊太はとんでもない勘違いをしているようだった。どうやらあたしのことを自分の彼女だと思い込んでいたようだったのだ。
時々、空気の読めない奴だな、と思うことはあったが、ここまでひどいとは思わなかった。ここでやんわりとした断りかたをしてしまうと、湊太があたしのストーカーになりかねない。
ここは可能な限りの強い怒りを見せておかないと、大変なことになる……!
***
「……で、水の入ったグラスを振った、と」
「はい」
海岸沿いに走っていた夏帆さんの車は川を渡った後右折し、内陸に進みだした。おそらくもうじき鎌倉の駅なのだろう。
「でも亜理ちゃん、湊太くんに水をかけたとき、笑ってたでしょ」
「え!? まさか」
「湊太くんがものすごく落ち込むのを見て、快感を感じてなかった?」
「そんな。夏帆さん、ひどい。あたしあの瞬間に、幼馴染みと居心地のいいサークルの二つを同時に失ったんですよ。でも涙を湊太に見せて、また勘違いされたら困ると思って、一生懸命我慢して」
「お店に入ってきた時、亜理ちゃん、湊太くんの腕を自分の胸に触れるように掴んでたよね。私てっきり亜理ちゃんが湊太くんのことを大好きなんだと思ってた」
「ちがいます、夏帆さん。そんなことしてません」
「あのとき亜理ちゃんは湊太くんに勘違いさせるための最後の仕上げをしてた訳だ」
「あんまりです。ひどすぎます。もうここでいいです。降ろしてください。夏帆さんがそんな人だとは思いませんでした」
「まあ、あと1分で駅に着くから我慢しなさい」
夏帆さんは楽しそうにクスクス笑っていた。
あたしは夏帆さんに返す言葉を失ってしまった。
***
駅に着き、車を降りて、あたしは夏帆さんにお礼を言った。
「ありがとうございました」
正直、車を降りれてほっとした。二度と会わない人だし、ま、いいか。
「あ、あと亜理ちゃん、家が浦和っていうの、ウソでしょ」
夏帆さんがにこやかに手を振りながら最後に言った言葉にゾッとした。
「何で解るんですか?」
あたしは化け物の車に乗ってしまったのだろうか?
「本当は上尾です。何で解ったんですか?」
「なんとなくね。私も亜理ちゃんと一緒でサイコパスだから」
正直に言うと、夏帆さんの指摘は全て思い当たる所があった。けど、サイコバスなど、どこか遠い世界のお話しかと思っていた。
……ええ? ……あれ?
おまけ : サイコパスの見分け方
(ロバート・ヘア、The Psychopathy Checklist Revised (PCL-R))
※ 以下の20項目にあてはまる度合いに応じて0~2点を付けます
※ 合計30点以上ならサイコパスです
※ ただし、素人判断は危険です
1. 口達者、表面的な魅力
2. 誇大的な自己価値観
3. 病的な虚言
4. 偽り騙す傾向、操作的(人を操る)
5. 良心の呵責、罪悪感の欠如
6. 浅薄な感情
7. 冷淡で共感性に欠ける
8. 自分の行動に対して責任が取れない
9. 刺激を求める、退屈しやすい
10. 寄生的な生活様式
11. 現実的、長期的な目標の欠如
12. 衝動的
13. 無責任
14. 放逸な性行動
15. 行動のコントロールができない
16. 幼少期の問題行動
17. 少年非行
18. 仮釈放の取り消し
19. 多種多様な犯罪歴
20. 数多くの婚姻関係