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斬術士  作者: 実茂 譲
3.カンパニー
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38/51

夢に渇く――1937年7月、ブルネテ戦線

 太陽が空でねじれて白く燃えていた。草が薄茶色に灼ける草原で兵士たちはみな喉が渇いていて、水の再補給の予定はまだたっていなかった。1937年7月初め、マドリードの西二十四キロの戦線でブルネテという小さな村目指して共和国軍は攻めだるまにしたが、損耗は激しく、月の終わりに近づくと、増援を得たファシストが全戦線で反撃を開始していた。将軍たちは報告を水増しして手柄の取り合いに狂奔し、ろくでもない噂が扇たちのもとへ次々と飛び込んだ。主に国際旅団での出来事だが、反抗的な部隊から五人無作為に選んで銃殺したとか、将軍たちの自殺突撃を拒否したイギリス人大隊の指揮官が銃殺されたとか、六か月連続で戦っている怒り狂ったポーランド人義勇兵たちが無許可で休暇を取り銃殺されたとか、ある師団では脱走兵四百名を銃殺して戦闘が継続できなくなったとか。国際旅団は建前は志願制だが、政治将校たちは義勇兵のパスポートを取り上げていたので、うんざりして戦争をやめたくなってもやめることができなかった。あちこちで後ろ弾の話もきこえてきた。将軍たちにこびへつらい、部下を死地に送り、勲章を欲しがる大尉や中尉たちが戦闘のどさくさに紛れて撃ち殺された。兵士たちは将軍たちを信じず、指揮官は兵士たちに背中を見せることを恐れ、喉の渇きはちっとも癒されず、何人かの兵士の頭には吸血鬼じみた考えがかなりはっきりとした輪郭を得て、描き出されつつあった。

 扇たちはからからに乾いた平原を走る石垣沿いに塹壕を掘り、石を外して銃眼をつくっていた。ファシストの塹壕はそこからほんの百メートルしか離れていなかったので、カルロス派民兵(レケテ)の赤いベレー帽がひょこひょこ動いているのが見えたりした。銃眼から敵の塹壕を見つめていると、敵は水もワインもたんまり持っていて、このいまいましい渇きとは無縁なのだという奇妙な思い込みが生まれる。兵士たちはいつだって自分たちより敵のほうがいいものを食べ、飲み、着ていると思うのだ。いくら政治将校がプロレタリアートの団結を訴えたところで効果がないし、銃殺刑で脅されてても渇きの限界でいっそ撃ち殺されたほうがマシかもしれないと本気で考え始め、待てよ、どうせ死ぬならこの目の前のクソ野郎を撃ち殺してからでもいいじゃねえか、と目にうっすら狂気の潤みが現れると、それが指揮官や政治将校たちを不安にさせた。キリストは水をワインに変えてみせたが、軍は水もワインももたらすことができなかった。たまに水の配給があっても、それは泥まじりで温く、水筒半分の量しかなかった。だが、そんな水でも水には違いなく、兵士たちはそのわずかな水を二日もたせるための計画を考えるだけで半日を費やした。扇と寿、ペドロ・アダラ、バッジーニ、それにバレンシア出身の男、さらに多くの兵士たちは塹壕の壁によりかかり、水の消費を少しでも減らすために第九中隊の古参兵が集めてきた灯芯草の青々とした茎を口でしゃぶっていた。

「リステル師団がブルネテを放棄してるって話をきいた」

「誰からきいた?」

「師団長付きコックだ」

「コックだと? 師団長のブルジョワめ」

「あいつらが人民だなんて誰が信じるか」

「それにエル・カンペシーノもキホルナから逃げかかってる」

「総崩れじゃねえか。おれたちはいつ撤退するんだ?」

「撤退はしないらしい。僕らはこのまま前進して、あそこの村を攻め落とすそうだ」

「将軍どもは馬鹿じゃなかろうか!? ブルネテとキホルナがファシストの手に落ちたら、おれたちは左右からハサミ撃ちを食らうじゃないか!」

「怒鳴るな。喉が渇くだけだぞ」

「でも、このままじゃ全員犬死だ」

「かといって戦線を離れればあの哀れなポーランド人たちの二の舞になる」

「将軍たちが能無しなのに、なんでおれたちが銃殺されなきゃいけないんだ?」

「結局、この国は変わらねえな。昔は貴族、今は将軍がおれたちをいいように搾りやがる」

「でも、ファシストが上になるよりはマシじゃない?」

「そう思ってるから、おれたちはここにいるんだ」

 コントレラス大尉が戻ってくると、もう何日も剃っていない髭をもぐもぐさせながら、あと一時間で全軍塹壕から飛び出すと命じられた。兵士たちは文句を言ったが、どうしようもなかった。敵の塹壕は鉄条網と機関銃で守られていて、カルロス派民兵は射撃がうまかった。もう死ぬんだと思って自棄を起こした連中は割り当ての水を全部飲んでしまった。他ならぬコントレラス大尉もその一人だ。みんなが水筒を真っ逆さまにして水を飲み干すなか、扇は少しだけ水を飲み、水筒の栓を固く締めた。

「全部飲まないの?」寿がたずねた。

「ああ」扇はこたえた。

「死なない自信があるわけだ」

「別に自信はないが、もし生き残って水がなかったら、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からなくなる。そういうのは苦手だ」

「同じ撃たれるでも喉が渇いた状態のほうが痛いってきいたことがあるけど」

 扇は肩をすくめ、二本の短剣を腰の後ろで交差させた。ライフルを取ると、油を塗った銃剣をつけ、遊底を動かして弾丸を装填した。シャキンという金属音をきくと身が引き締まった。攻めもせず、じっと塹壕で焼かれるよりはとにかく行動を起こしたほうがいい。それが自殺突撃だとしてもだ。結局、兵士たちも扇と同じ考えに落ち着いた。手榴弾のピンをナイフでいじって抜きやすくし、ひょっとしたら命拾いするかもと思って、胸ポケットにシガレットケースを二つ重ねた。塹壕を静寂が支配した。砲撃の音は遠かったし、飛行機は見えなかった。この後、どうなるかは知らないが、攻撃の序盤は歩兵と歩兵の戦いなのだ。

 腕時計が午後二時を指すと、塹壕のあちこちでホイッスルが鳴った。扇は石垣を上り、そこから飛び降りた。ペドロ・アダラがその後ろに続き、寿は左を走っていた。壊れかけた靴の下で乾いた茎がパキパキ音を立てた。すぐ機関銃のタタタタと太鼓を叩くような音がきこえ、兵士たちの頭のすぐ上をぴゅーんと鳴りながら弾丸が通り過ぎた。詩人を自称した気取り屋の兵士が〈死の笛〉と名づけた音だ。丸太と泥でつくった観測壕からパーンと鋭い銃声がして、アンダルシアに兄弟がいるガルポという男がぐるっとまわって地面に倒れた。続いて、スアレス軍曹のかぶっていた鉄のヘルメットから小石がぶつかったみたいなカツンという音がした。軍曹は倒れた。扇がその体をひっくり返すと、ライフル弾がヘルメットを貫通して頭蓋を砕いていた。

「やりやがったな、この野郎!」

 兵士たちは手榴弾を次々と投げつけた。いくつかは観測壕のまわりで爆発し、土ぼこりがもくもくと上がった。いくつかは爆発しなかった。だが、これから絶対に爆発しないという保証もなかった。みながひるむなか、コントレラス大尉はアストラ・ピストル片手に無謀な闘牛みたいに観測壕へ正面から走り込み、なかにいたカルロス派民兵の顔に三発撃ち込んだ。大尉のずんぐりとした体が安全な塹壕のなかに入り込んだ瞬間、二発の不発弾が爆発した。

 ヒューン! ヒューン! 弾は薄気味悪い音を立てて、扇たちのそばを通り過ぎた。右手の塹壕からしきりに狙い撃ちにされると、バッジーニがメキシコ製の半自動ライフルで正確に二発撃ち込み、敵の狙撃兵の顔を吹き飛ばした。そのすぐそばには鉄条網の切れ目があった。兵士たちはそこに殺到した。左右から物凄い量の弾が飛び、迫撃砲弾が落ちると、味方はバタバタ倒れた。扇はなんとか弾をかいくぐり、塹壕に転がり込んだ。顔の真ん中に拳がすっぽり入るくらいの大きな穴のあいたファシスト将校が倒れていた。そこから流れ出る大量の血を乾きひび割れた土が飲み干していた。ここは吸血鬼の土地なのだ。人の血を求め、くだらない陣地の取り合いをさせる悪霊が目の前にいるようだ。だが、いるのは赤いベレー帽のカルロス派民兵だ。扇の突き出した銃剣が顔に引っかかり、鼻とそのそばにある肉がべろりと垂れ下がった。ファシストは引き金を引き、扇の爪先からほんの三センチのところに弾がぶつかった。扇は落ち着いて、二度目の突きを送り、肺を深々と貫いた。開いた傷から息がひゅうひゅうと流れ出し、ファシストは倒れた。塹壕を走り、角にぶつかると、先に銃剣を突き出し、それから先へと飛び込んだ。敵と味方の疲れ果ててへたりこんだような死体を飛び越えた。アーモンドの樹で隠された掩蔽壕にペドロ・アダラとバレンシア男がいて、そこから見える目当ての村へ撃ち降ろしに撃ちまくっていた。塹壕から追い出された赤いベレー帽のファシストたちはパニックに陥って、坂道を走っていた。バッジーニがいれば皆殺しにできるくらい相手は無防備で、この真夏の太陽に頭がおかしくなったみたいによろめきながら駆けていた。扇は掩蔽壕の外から銃撃に加わり、文句のつけようのない膝撃ちの姿勢をとって、弾丸を発射した。そのすぐ後、逃げているファシストの一人がぐらりと横に揺れて、両手をなにかを払うように動かしながらぶっ倒れた。ファシストたちは村の一歩手前で瓦礫越しの散兵線をつくり、味方の撤退を援護したが、共和国軍は弾丸を恐れず、銃剣を腰だめに構えながら、遮二無二駆け下りてきた。というのも、この数週間のあいだ、砲撃や爆撃の世話にならずに済んだ村の中心地には噴水があったのだ。二つの大隊が前進を開始し、村の外周を守るファシスト兵にぶつかった。二基のホッチキス機関銃を奪い合い、灰色の靄のなかで銃剣だけがキラキラと輝いていた。

 村からファシストが駆逐されると、兵士たちは次々と噴水に飛び込み、文字通り浴びるように水を飲んだ。こんな田舎の噴水でもコインは投げられるらしく、それをせこせこ集めてみると、全部で二十ペソになった。なかには外国のコインも混じっていた。バレンシア出身の男が拾った妙にすり減った小さなコインは、大学で歴史学の講師をしていたという民兵隊の中尉がいうには古代ローマのデナリウス銀貨らしい。

 扇たちも水を飲んだが、すぐに敵襲の警報がなった。地鳴りもしないのに、呻るような音がきこえた。その場にいた全員が空を見上げると、ファシストの爆撃機が西のほうからやってくるところだった。爆弾が噴水に落とされ、味方が大勢バラバラに吹き飛ばされると、その跡には濁った水たまりがひとつ残った。村に向かって、三方向からファシストの兵士たちが迫っていた。その首から吊るされた複数の水筒と見て、相手もまた渇きに苛まれているのが分かった。味方は瓦礫の山を遮蔽物にして、ファシストを迎え撃った。

「アホどもめ。もう水はねえぞ。お前らのお仲間が吹っ飛ばしたからな」

「アホはおれたちのほうだ。ありゃあ、味方の飛行機だ」

「おい、本当かよ?」

「翼に赤と黄色と紫のマークがついてた。ファシストの飛行機なら紫はない。おまけにあれは改造したダグラス機だ。ファシストどもの爆撃機はイタリア製だ。旅客用のダグラスで爆弾を落とすのは味方のほうだ」

「くそったれの将軍ども! あいつらはおれたちの水を吹き飛ばしたってのかよ!」

「逃げちまえ!」

「そうだ! 逃げちまえ!」

「待て! いま逃げても、ファシストの追撃を食らって死ぬのが落ちだ」

「駄目だ! いますぐ逃げろ! 他の師団も退却してるじゃねえか!」

「将軍どもはおれたちを生贄にして逃げるつもりだ!」

 のちに敵前逃亡で大隊が裁かれ、十人に一人を銃殺した。将軍たちは本当は五人に一人を銃殺したかったのだが、ファシストの攻勢をもろに浴びた大隊の被害を考えると、五人に一人ではまずかった。扇たちのなかからはバレンシア出身の男が選ばれた。無口な男で名前もろくに知らなかった。ただ一度、扇はバレンシア男が家族の写真を取り出してじっと見つめている姿を見たことがあった。それでもバレンシア出身の男は自分が銃殺に選ばれると、あきらめきった様子で首をふっただけだった。

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[良い点] とてもおもしろかったです。(語彙の消失) すごかったです。(語彙の消失) 好きです。(本音) こんなんで感想書くなよって思うんですが、読みましたと伝えたかったんです。ポンコツ脳ですみませ…
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