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「これがターゲットに関する資料です」
ルクレツィアの差し出すファイルを取り上げてみる。アブドゥル・マーリク・アル=サリフ。写真のなかで頭巾をかぶった顎ひげの長い老将軍が演説をしていた。コロニー内戦時、第一五六並びに第四四三コロニーの住民一三〇万人を殺戮し、ジェノサイドの罪で国際刑事裁判所に起訴されていたが、逃亡。二枚目の写真は頭巾と軍服を捨て、自慢の顎ひげをきれいにそり落としたアル=サリフの姿だった。
「現在、ターゲットはエブロ・シティ第二地区のハノーヴァー・ホテルのペントハウスに隠れています。依頼人は今回のミッションについて迅速な対応を求めています」
「いままで迅速な対応を求めなかったやつがいたか?」
「いません。それと今回はハッカーをつけてください。ホテルの警備システムが厳重です。ハッカーの雇用にかかった代金はあとで請求してください。わたしからは以上です」
気の遠くなるような長いエレベーターを降りたのち、扇はティモシーに電話をかけた。
「はい、こちら、エイシャント・ドラゴン・ジャンクヤードです」
「ティモシー。おれだ」
「おや、扇くん。きみか。電話とは珍しいね。また、あれかい?」
「ああ。一つ頼む。料金はいつも通りか?」
「いつも通りさ」
ディモルフォドンのティモシーはいつもハムのかたまりみたいなテレビからネットワークの世界へと侵入する。ネットワーク空間ではティモシーは遠慮なく羽ばたいて海のなかを飛んでいる。電脳海域のなかではカラフルな熱帯魚化した企業データやテーブル型に重なった公共機関の防御珊瑚、そして回路の寓話化とも取れる渦巻くギンガメアジの群れのあいだをぐるぐるまわりながら、ピカピカ光る泡と一緒に流され、ホオジロザメ化した高利貸しデータや売春恐喝組織の共有データを意味するチョウチンアンコウに何度も尻尾をかじられそうになりながら、目当てのデータを見つけるのだ。
扇は地下鉄で第二地区まで行き、ハノーヴァー・ホテルのロビーに入った。中央にはガラスと鋳鉄の大きなモニュメントがあり、なかでは青く着色された油滴が水時計の歯車のなかへポロポロと落ちていた。赤と金の民族衣装をまとったコートジヴォワール人外交官がコロニー政府の高官とラウンジで葉巻を吹かし、Tシャツ姿のIT長者の若者が高級コールガールを連れて、なかなか来ないエレベーターにいらいらと指をはためかせている。このホテルにいる人間はテイクアウトの中華料理など食べたりしないし、就寝中に警察にドアを蹴破られ道に引きずり出されることもないのだろう。とても満ち足りた顔をしていた。
アル=サリフは軍の現役以来の親衛隊を護衛にして、一晩五〇〇〇クレジットのペントハウスを要塞化していた。指紋認証のドアや攻撃ドローン、最新のセンサーを備えた監視カメラ……。
「全部無効化したよ」ティモシーの声が通信機に入った。「こんな軟弱プロテクトで警備システムをつくるってことの馬鹿馬鹿しさが分かるかい? 警備会社の人間はみな縛って地下鉄の線路に放り出すべきだよ。ともあれ、ぼくは監視カメラできみを見て、相手の様子を伝えよう。ペントハウス直通運転のエレベーターをいまそっちに下ろしている。問題はそっちのドアの前に見張りが一人いることだ」
「それはこちらで処理する」
「じゃあ、ぼくはもうちょっとこのソフト・コーラルをいじくってみるよ。なにかできるかもしれない」
ペントハウス直通エレベーターの前に男が一人。目を疑った。その姿は大昔のヴェネツィアの宮殿を守る衛士のようだった。鶏の羽根をかざった羊皮軍帽、金の鷲が刺繍された真っ赤な燕尾服、銀の袖章、金糸で縁取ったリボン、鏡のように磨いたエナメルのブーツ、折り返しのある手袋、銀をはめた弾薬入れ、武器は曲刀とサブマシンガンでどちらも象嵌細工がほどこされていた。扇はクジャク兵士へ近づきながら、頭のなかで数を逆から数えだした。五、四、三、二、一、零で素早く抜刀し、クジャクの胸を貫いた。そのままぐいと押し込むと、クジャクの背中でちょうどエレベーターのドアが開く。なかに入ると、ドアを閉じ、黒曜石の操作盤に一つだけあるボタンを押した。刀身の血をクジャク兵の帽子でぬぐい、静かに刀を鞘に納める。
「ドアの前に二人」通信機が言った。
「了解」
扇は空いているほうの耳にイヤホンをつけて再生ボタンを押した。ザ・スターリンの『レッド・ブギーマン』が流れ出す――そうさ、おれはブギーマン、NKVDブギーマン、どいつもこいつも収容所行きだ、だってスターリンが言うんだから、スターリンが言うんじゃしゃあないだろ、ブギーマンはかっさらう、ガキもババアもかっさらう、そんでもってスターリンがいいと言うまでシベリアで木を伐採させる、スターリンがいいって言ったら、頭にズドン、トカレフ一発、そうさ、おれはブギーマン、NKVDブギーマン。
「扇くん、それはきいてて楽しいかい?」
「あまり。あんたのジャンクヤードで買った」
「返品は受けつけないよ」
ペントハウスに着くと、まず一つの動作で二人のクジャク兵が頸動脈を切り裂かれて絶命した。広大なペントハウスをティモシーの指示に従って駆けていく。出会いがしらに警備兵とぶつかることはあったが、声を上げるより速く、白刃が光り、相手は木箱を蹴りぬいたような音を胸や首筋から鳴らしながら倒れ伏した。硝煙と血のにおいが強くなる。食堂は流血の巷だった。ティモシーが乗っ取った攻撃ドローンがマシンガンを乱射したらしく、クジャク兵たちがあちこちで手足を投げ出して倒れている。どれもニ十発近い弾丸を浴びて、スポンジのようだった。テーブルクロスをかけたテーブルの上にはアンティークの燭台があり、蝋燭が一本だけちらちらと燃えていた。威嚇するように揺れる小さな火はいつのまにか扇が手にするジッポーから伸びていた。炎は藁を食べて成長した。屋根が燃え出すと、白くざらついた煙が空で渦を巻き始めた。家のなかには二人の老人と少女が一人、頭を撃たれて転がっていた。隣の小屋には寿が火をつけていた。小さなスティックライターで藁屋根の庇をあぶると、火の手はあっという間に広がった。扇は燃え盛る家に背を向けて、村を歩いた。壺が割られ、黄色い米が道いっぱいにばら撒かれている。家畜はみな殺され、奴人にとっては貴重な財産である水牛が倒れて、舌を垂らしていた。路地や水田に斬られたか撃たれたかした奴人たちが転がっている。防空壕から少女が現れた。小さな両手を上げていたが、パッペンハイムは少女の頭に二発撃ち込んだ。その後、探し物のために地下壕に潜り込んだ。また銃声がした。カサンドラはキャハハと笑いながら、二人の女性を斬った。二人は農婦で持っていた唯一の武器といえるものは薫り高い木材でつくった櫛だけだった。カンパニーは任務を遂行していた。探せ、邪魔するなら殺せ。相変わらず探し物がなんなのかは分からなかった。扇たちは分からないものを探し、その途中で見かけた全ての人間を殺した。防空壕に手榴弾を放り込み、うごくもの全てを殺すと、村には血まみれのサンダルがあちこちに転がった。全ての建物を調べ、放火すると、捜索分隊――扇、寿、パッペンハイム、ロレイン、カサンドラは今回の探索も空振りに終わったことが分かった。ここに探し物はなかったのだ。
扇は通信機のスイッチを入れた。「こちら、扇。ターゲット・エリアを制圧。パッケージは確認できなかった」
「了解した。捜索分隊は基地へ帰還せよ」
ジジッ、とこするような音がして、カンパニーの将校ではない別の声がきこえてきた。
「ハロー、ハロー! きこえたら返事をしてくれ」
「……」
「おい、きこえてるんだろ? 返事くらいしろよ」
「……」
「返事するまで通信を切らねえぞ。ついでにお前の人生もめちゃめちゃにしてやる」
「……なんだ?」
「ヒャッホー! やっぱり通じたぜ! きいたか、ノーマン? やっぱりこの周波数だったじゃねえか! おい、お前、カンパニーだろ?」
扇は通信を切った。すぐに無線が飛び込んだ。
「勝手に切るなよ。苦労してつなげたんだから」
「お前たちのやっていることは軍の特別機密条項に違反している」
「知るか。こっちは大佐の許可を取ったんだ。文句は大佐に言え。」「まあ、んなことはどうだっていいんだ。実は砲弾が有り余って困ってるんだよ。使う機会はねえのに補給部隊がどんどん弾を持ってくるもんだから、くそったれた将軍どもはおれたちが仕事をサボってると思ってやがる。だから、砲弾の数を減らさねえといけねえんだ。吹っ飛ばしていい村があったら教えてくれよ」
扇は先ほど掃討した村のグリッド座標を教えた。無線は切れた。煙草を一本たっぷり時間をかけて吸ってからきっかり三十秒後に九〇ミリ砲弾が飛んできて爆発した。砲弾はしつこく飛んできて村をクレーターだらけにした。砲撃の範囲は次第に拡大し、一帯の地形が変わり始めた。樹が薙ぎ倒され、土は掘り起こされ、川は惨たらしく裂けた大地の傷口のなかへ消えてなくなった。
「ときどき全てが夢なんじゃないかって思うことがある」ロレインが言った。「火も血も鉄も死体も全ては夢のなかの出来事。本物のわたしはもっと遠いどこかにいる」
「わあ、そこって海のそば?」カサンドラがわくわくした様子でたずねた。
「そうね。たぶんそうだと思う。仕事場は歩いて三十分くらいのところにあって、内陸の低地にあるの。工場に行くまでの道には図鑑で見るよりももっとたくさんの花があって、工場ではその花そっくりな蝋細工をつくってる。でも、夢じゃない。ここにいるわたしが現実。時間を圧縮しても引き伸ばしても、やってくるものは変わらない。火と、血と、鉄と、死体」
「カサンドラも夢を見るよ! たくさんたくさん殺したら、ご褒美にママがもらえるの。ママはカサンドラのことを何度も撫でて、カサンドラがどんなに甘えても怒らないし、だっこもいっぱいしてくれて、お菓子をたくさんつくってくれるの。パッペンハイムはなにを夢に見るの?」
「夢、ですか。そうですね。できるなら船を一隻。風の力だけで動く美しい帆船。縄のかけ方一つ一つに意味がある高度なアナログ技術の集合体。そんな船をもらう夢なら見てもいい気がします」
「おれがよく見るのは――」寿が言った。「扇の夢なんだ。おれと扇がどこかの事務所にいる。そこはたぶんおれたち二人のものでさ、そこで探偵か便利屋かペット探し屋をするんだ。前の休暇で見た刑事ものの映画みたいに。扇、キミはどんな夢を見る?」
「夢は見ない」
「つれないなあ」
「まず、探し物を探し出すのが先決だ」
「なにを探してるのかも分からないのに見つかるわけがないよ」
「いずれ明らかになる」扇が言った。「それまで、おれたちは与えられた任務をこなす。それだけだ」
「おれたちにあるのは探し物じゃなくて、なくしものだよ。扇」
見つけた。アブドゥル・マーリク・アル=サリフ。




