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 長らくここへは来ていなかった気がする。過去を吹っ切ったあの日から。けれど、槿さんが一人向かう場所なんて、俺はここ以外、他に知らない。

 就業時間が過ぎているからか、場所が場所だからか、人どころかロボットですら一体も見当たらない。自分の足音しか聞こえない、静かな廊下をすすみ、自動扉の前に立つ。冷えた指先で入力式のパスワードを打ち込むと、静かにそのドアは空いた。


 部屋の電気を点けると、頼りない、小さな後ろ姿を捉えた。

「……アサ。」

「……岬様…」声に反応して、ゆっくりと、小さくアサが振り向いた。うつろな目をして、佇んでいる。

「……私、とうとう橘さんの期待を裏切ってしまいました」今にも消え入りそうな声で呟く。

「……。」

「ここしか居場所がないことなんて、わかっていたのに」

「……。」そんなことないよ、アサを必要とする人達はこの世界にたくさんいるよ。そう、伝えたいのに。

「私の価値を見出せるところなんて、ここしかなかったのに」

「……。」そんな悲しいこと、まだ子供である君に言わせるつもりはなかったんだ。

「唯一私のことを想ってくれる人だったのに」

「それは……。」言葉が切れる。

 どうしたら、この子に伝わるであろう。この世でたった一人にしか本心から懐かない、この子に。その相手を裏切ったように感じてしまって、今のこの子は、きっと誰も、自分ですら信じることはできないのだろう。


「実は、私も毎年、槿さんに会いにいっていました。あの日も、例外なく行っていたんですよ。今年は、数メートル先も見えないような、霧が出ていましたね。しかし、姿は見えなくても、橘さんと、岬様の声は聞こえました」

 そうか、それで。

「いえ、元々何となく予測はしていたんですけどね」

 まるで心を読まれたかのように、アサが言った。

「ロボット情報は頑なに橘さんは見せて下さらないので。何か隠しているんだろうな、って思ってました」

 静かに淡々とアサは呟く。

「……今日、確信してしまいましたが。やっぱり、あの方は私のお父さんだったんですね。そして槿さんは、私の本当の生みの親だったんですね……。私は、お二人をお慕いしても間違ってはいなかったのですね。だって、私の実の親だったから。私は人だったから。

 まぁ、自分の本能に従った結果が、これなんですけど。……もう、あの方は、近くにいない。いられない。誰も、本当の私を知らない。結局、私は一人ぼっちになってしまった!」

 最後は泣き叫ぶように、アサは言った。アサの目に涙が浮かぶ。

「ほら、さっきからずっとこう。もう、私使いものにならな……」


「アサ。」


 俺は思わずアサに手を伸ばすと、その小さな冷えきった体を抱きしめた。そうじゃない、そうじゃないんだよ。

「岬様、いやだ、もう……私はもうおかしい。貴方の傍にいる資格もない……!」

 腕の中でアサが暴れる。俺はアサを壊さないように優しく、しかしそれは違うよ、とでも訴えるように、腕に力を入れる。絶対的な孤独の渦中にいる、この少女に。


 いつまでそうしていただろう。体温を取り戻し始めたアサの手を引き、二人そろって、椅子に腰かける。机上には、クローン技術で作られた夕顔が花瓶に生けられ、数十年前から一寸も変わらず美しく咲き続けていた。それを見つめながら、無言で泣き続けるアサの隣で、俺はそっと少女の頭をなでることしかできなかった。



「誰かを想うって、なんだろうな」

 誰にいうでもなく、ふと言葉が口から漏れる。

「俺が人生で一番最初に慕った人は、槿さん、君のお母さんだったんだ。それは、傍にいたい、ってのもあったけど、この人の笑った顔がみたい、力になりたい、幸せになってほしい、っていうのが一番の願いだった。拒絶されたこともあったけれど、人を慕う心は、考えてもどうにもならないんだよなぁ」

そう、理性ではどうにもならないのだ。

「俺は、良いと思うよ。確かにアサは、今までアンドロイドとしてこの会社にいたけれど、もう、その枠を気にしている人はどこにもいない。アサのことを信頼している人なんて、俺は沢山知ってる。勿論、俺もアサのことは信用しているし、大事な部下だと思っているよ。君の職業人としての技術は本物だ。だから、殺さずに認めて良いと思う。その、気持ちを」


「素直になるんだ。結局、自分は何に縛られているのか」


 そして、側にいるであろう、()()()()()()()()()()()()伝わるように、俺は話した。


「心がない苦しみなんて、お前が一番よくわかっているだろう。たとえ槿さんとの約束だったとしても。お前はそれで良いのか。お前の二の舞を、愛する彼女にさせるのか!」


 つい熱くなる俺とは裏腹に、空気が一層冷たくなる。橘がゆっくりと研究室の外から姿を見せ、静かにアサの前に出る。そこからはスローモーションを見ているようであった。橘は暫く立ち尽くしていたが、ぎこちなく跪き、座る少女の目を覗き込んだ。

「アサ……いや、朝日……。槿 朝日。それが、お前の、人としての本当の名前だよ。悪かった。君をこの世界でしか生きさせることができないと思ってしまったんだ。槿さんと、君をこの世界できちんと生かすという約束をしたから。ここしか君を守ることができないと思ってしまったから。私は、親なのにね。君のことではなくて、自分の保身に走ってしまっていた。私が、幼い自由な心を奪ってしまったんだね……。本当にすまなかった」

 弱々しく、まるで自分自身に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。そして深く、橘が頭を下げる。

「……本当は、毎日傍にいてくれただけで、嬉しかったんだ。君の、日々のちょっとした成長を見るだけで、心が、温かくなっていたよ。だから、これからも、ずっと、傍にいてほしい。娘として、沢山泣いて、笑って。もう、何があっても、私が君を守るから」

 ゆっくりと顔をあげ、……綺麗になったね、と小さく微笑む。そして、強い眼差しで言い切った。

「朝日、今も、そしてこれからもずっと、私は君のことを愛しているよ。」

 アサが立ち上がり、橘にすがりつく。

「私も、ずっと、大好き、です」

 橘の目は、赤く濡れていた。橘もアサを抱きしめ返す。人の心がわからないと言い切っていた青年は。確かに自分の意志で、目の前の娘への愛を認めた。心を押し殺していたアンドロイドは、確かに本心を吐き出し、少女として目の前の親に、受け入れられた。二人の間には、もう、言葉はいらなかった。


 本心をさらけ出すことは、誰だって怖いし、傍からみればかっこ悪いことも多いだろう。だけど、そうしないと進まないこともある。ちょっとの勇気で、変わる未来もあるのだ。生きることは、案外複雑で、単純なのかもしれない。

 機械に囲まれた無機質な空間で、唯一灯る、生命の温かみ。それを俺は、一傍観者としてただただ見守った。

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