にほんむかしばなし泣いた青鬼
都から、そう遠くない山の奥深くに、青鬼と赤鬼が住んでいた。
青鬼は彫りの深い顔立ちにアーモンド形の大きな瞳と、ほっそりとした体つきのギリシア神話に登場する女神アルテミスを思わせる西洋型の美少女だった。
赤鬼は幼い頃から、青鬼のことが恋しくて恋しくて、堪らなかった。赤鬼の前半生は青鬼のためにあったといっていい。
毎日、食料を手に入れるために山の中を駆け巡った。手に入る食料は山芋や、獣の肉や、植物の球根くらいのものであったが、それらを少しでも美味しく食べて欲しい一心で、独学ながら料理の腕も磨いた。食事の時は、まず青鬼が満足するまで食べ、その残飯を「お情けを頂戴いたします。」と深々と一礼し赤鬼が食すのが二人の通例だった。もちろん食事の後の後片付けも赤鬼の仕事である。
青鬼の着る服も赤鬼が苦心して作ったものである。煌びやかな十二単では、かえって青鬼の天性の美しさを損なってしまうに違いないと考え、ミニマムで体の線を強調した服を作り出した。無駄な装飾を省き、左右非対称でエレガントなデザインは青鬼の肉体上の長所を大いに引き立てた。一方、赤鬼はというと虎の毛皮で作ったシンプルなパンツを一丁身に付けるばかりであった。
それでも赤鬼はそんな生活に何の不満も抱いてはいなかった。青鬼の喜びは、赤鬼の喜びだった。青鬼が笑えば、赤鬼もつられて笑顔になった。青鬼は泣けば、赤鬼は無性に悲しくなってワンワン泣き出した。ただ、この暮らしが永遠に続くことだけを望んでいた。
しかし青鬼は、山での生活が大いに不満であった。青鬼はいくらかの教養があって、都への憧れを強く持っていた。赤鬼がクマと相撲をとったり、ウサギとカメと一緒に駆けっこをして遊ぶのを内心、軽蔑していた。都人を真似て歌を詠んで時を過ごすことが多かった。彼女の作品の多くは、恋歌であったが、それらは全て、自身の体験を詠んだものではなく、ただの空想を元に生み出されたものだった。山の中に異性と呼べるものは赤鬼しかいなかった為である。それでも過去に一度、青鬼の方から赤鬼を誘って山の中を散歩したことがあった。少なからず恋心が芽生えることを期待していたのであるが、そんな望みは早々に霧消した。赤鬼の話すことといえば、ロマンチシズムとは無縁で、青鬼の好みには適合しなかった。ともに山中を歩きながら、次第に、赤鬼の存在を忘れ、ひとり空想の世界に入っていた。仮に散歩の途中で、赤鬼が足を踏み外し谷底に転落したとしても青鬼は住処に帰るまで、そのことに気付かなかっただろう。青鬼の妄想の中身は様々だったが、ストーリーの骨子は毎回同じもので、都の雅な公達との魅惑的な恋物語だった。
青鬼は次第に、何としてでも住居を都に移し、空想を現実のものとしなければならぬと思いつめるようになった。そのことに気が付いた赤鬼は何度も説得を試みた。なんといっても人間が鬼を嫌っていることが何よりも問題だった。
当時の人間に、なぜ鬼をそこまで忌み嫌うのかと問えば、いろいろな答えが変えてきたであろう。しかし、それらの答えはみな論理性を欠いていたり、根拠が希薄であった。結局のところ種々の主張を煮て煎じてみれば“鬼だから”というのが理由であった。これでは取り付く島もないというのが赤鬼の主張であった。二人の議論は一度ならず、互いに、よく発達した犬歯を剥き出し合い、殺し合いの一歩手前まで発展した。最後に勝ったのは青鬼だった。赤鬼も必死の思いで説得を続けたが惚れた弱みで青鬼に協力することを誓った。
二人には先祖伝来の金銀財宝があったが、そればかりでは都の人々からの十分な敬意は得られまいと考え、一計を案じた。
赤鬼が都に下り、大いに暴れ人々を恐怖のどん底に陥れた後に、青鬼が颯爽と現れ赤鬼を退治してみせた。いわばプロレスをうったのある。人々は赤鬼の恐怖を払いのけてみせた青鬼の武勇を大いに称え。どうか都に移り住んで欲しいと懇願した。待ち望んだ展開だったが、青鬼は一応、目を大きく見開いて驚きの表情を見せ、しばらく思案するそぶりを見せた後、重々しくうなずいて見せた。
都での生活は、初めのうちは心地良かった。人々は青鬼に十分な尊敬の念を示し、往来で出会えば感謝の言葉を述べた。
有頂天の青鬼は予てからの野望である、都の公達と素敵な恋をするべく色々とアピールしたが、残念ながら、こちらの方は上手く事は運ばなかった。というのも、青鬼は現代人から見れば大変な美人だったが、当時の美意識からは、かなりズレていたのである。はっきり言ってしまえば、あまりにもコーカソイド的な容貌だったのである。青鬼に色目を使われた公達は皆、一応の義理立てから丁重に断りをいれ、陰で仲間たちと苦笑し会うのであった。
青鬼の失望は大きかったが、それでも最初の一年はそれなりに幸福であった。しかし、少しずつ状況が変わり始めたのである。人々の青鬼への敬意が次第に表層的になり、多くの人々が一年前の恩義に感謝し続けるのは馬鹿らしいと思うようになったためである。
二年目にはいると、人々は完全に青鬼を避けるようになった。青鬼が恋焦がれていた、公家の貴公子たちは、今や仲間を集めて公然と青鬼の容姿を嘲笑するようになった。
ちょうど、都に移り住んできて三年目になる頃、青鬼はついに山の中へ帰ることにした。美しい顔は心労から、やつれ顔になってしまったが、人里から遠く離れてゆくにつれ、次第に、昔の朗らかさを取り戻して行った。山の住処に帰れば、青鬼の帰りを待つ赤鬼が明るく出迎えてくれるに違いない。
「おーーーい、赤鬼ちゃん!帰ってきたわよ!おーーーーい」
返事は無かった。青鬼は不審に思い、さらに大きな声で叫んだ
「おーーーーい、聞こえないの?帰ってきたわよーー」
それでも、返事は無かった。青鬼は不安に思い住処の洞窟の中へ、おっとり刀で駆け込んでいった。
そこにも赤鬼の姿は無かった。ただ、一通の手紙が残されていた。そこには大きな、下手な字でこう書かれていた。
「青鬼どんへ
ぼくは きみが不幸になることを わかっていました
わかっていながら きみが みやこに引っ越す おてつだいをしました
ぼくは あなたに あいされたいと ねがったのです
でも あなたが ぼくをのことを ともだち いじょうに 思っていないことも しっていました
ぼくは おろかな男です ぼくには きょうようがありません
ぼくには あなたのように すばらしい芸術をうみだす才能が まったくないのです
あなたに けいべつされて とうぜんの男です
あいされる価値なんて みじんも 持っていないことは 重々承知しております。
それでも ぼくは あなたにとって 一生 忘れられない存在に なりたいと ねがったのです
あなたは いつか この住処に かえってくることでしょう
この手紙をよむことでしょう それが ぼくの さいごに のこされた 希望なのです」
青鬼は、その数年後、流行の病にかかり山奥の洞窟の中で、一人死んだという。