プロローグ
今日、妹が死んだ。
まだ二十歳だった。
死に顔は昔と変わらず可愛かった。
こんなことを今言うのは不謹慎だが、胸もけっこう出ていて、スタイルも良く、ひいき目なしに美人だった。
もったいないことをしたもんだ。生きていれば、きっと幸せになれただろうに。
妹は十二歳の頃から引きこもりになった。
それから回復と悪化を交互にずっと繰り返していた。
自殺未遂を犯したのも、一度や二度ではない。
妹にとって、今回死ねたことはひょっとしたら良かったかもしれない。やっと苦しみから解放されたんだからな。
妹が死んで悲しくないのかって?
そりゃ悲しいさ。
俺ほど妹を愛していた人間はきっといない。
でも、数年前くらい、いや、もっと前かな、それくらいから、俺はもう妹が以前のような状態に戻ることは、諦めてしまっていた。
すぐに泣き出したり喚いたりする彼女に、心底嫌気が差していた。
勿論、努力はしたさ。
俺達家族にとって妹は、キラキラと輝く宝石みたいなもんだったんだからな。
でもそれも全て無駄だった。
妹は俺達家族を拒否して、完全に自分だけの世界に閉じこもってしまった。
でも、俺達のやり方にもきっと問題があったんだろう。
もし、どっかのラノベみたいに、人生を何度もやり直したり出来るんなら、俺は、妹が同級生にいじめられ始めた時に戻る。
そして、妹をいじめてた糞同級生たちをぶん殴ってやるんだ。
あの頃の俺には、そんな勇気は無かった。
その後の彼女の人生の転落具合を想えば、人を殴るくらい大したことじゃない。
ほんとに、もったいないことしたもんだ。
あんなに可愛くて、あんなに明るかった妹。
馬鹿妹。
……理瀬。
俺はもうすぐで大学を卒業して、社会人になる。
地元の小さな印刷会社に就職が決まった。
高給取りとは程遠いし、やりがいがあるのかも微妙だ。まあ、今までと同じだ。退屈な毎日の再開さ。
妹の通夜も終わり、俺は今、学生として過ごせる最後の時間を、刻々とベッドの上で横になって夢想しながら過ごしている。
特にやることもない。
友達もほとんどいないし。
彼女はいたことすらないしね。
俺だって、昔はもう少し活発な男の子だったんだけどな。
どうやら、妹のひきこもりは、当時の俺にとっても大きなインパクトを持っていたらしい。
いろんな歯車が、同時に壊れてしまったんだ。
やり直せたら――。
そんなこと何度も考えた。
でも無駄さ。
だって人生にやり直しなんて、聞くわけがないんだから。
俺は大きくため息をついてベッドから起き上がり、ドアに向かって――。
「お兄ちゃん…」
奇跡。
奇跡が起きた。
この糞退屈な世界に。
この糞退屈な上に、不幸しか舞い降りない俺の世界に。
ラノベの世界だけの出来事だと思っていたことが、
起きたんだ。
あの、あの、あの死んだはずの妹が、
昔の姿に戻って現れた。
「お兄ちゃんっ!」
そう言って理瀬は、俺に向かって思い切り飛び着いた。
「お、お、おい、り、理瀬?」
二十歳で死んだはずの妹は、なんと、ずっと子供の頃の姿に戻って、俺の前に現れたのだ!
「お兄ちゃん……、私だよ。理瀬だよ」
彼女は両目から大量の涙をポロポロと流して、俺の腹に顔を勢いよくつけた。
いったい、いったい、どこから現れたのか、彼女は突然この部屋に姿を現して、俺に抱き着いてきた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんんんんんんんん」
なにが起きているのか、そんなこと突然分かりっこない。
でも俺はとにかく、この奇跡が、この理解不能な状態が、とてつもなく嬉しくて、もうただ嬉しくて、
尋常じゃないくらい、
強く、
強く、
強く!
抱きしめた。
「理瀬、理瀬、理瀬ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ」
それから少しして、二人とも落ち着いてから、昔の姿に戻った彼女が言ったことは、ほとんど理解が出来なかった。
その話は誰がどう聞いても、痛い中二病男子のつまらない設定でしかなかった。
要約するとこういうことだ。
理瀬は死んだあと、神様らしき老人に、真っ白な部屋で出会った。
「生まれ変わるか、やり直すか」
老人はその後いくら尋ねても、それしか言葉を発しない。
「やり直します」
「じゃあ、誰か連れていきたい?」
「…お兄ちゃん」
「オッケー」
すると、目の前が真っ暗になった。
気付いたら、この部屋に居て、俺が目の前にいた。
この話を聞いて、俺が出した結論はこうだ。
「……お前………………、妹じゃないな」
自称、妹は怒った。
「それで、お前はいつからそんな姿になったんだよ」
俺はあの二十歳の美女から可愛らしい少女に変わっている彼女の体を指さして言った。
「ここに来てから」
「なんでこんな姿に?」
「知らないよ、もう! やり直すって言ったからじゃないの?!」
理瀬は疑いをかける俺にひどく怒った。
本当にこの娘は俺の妹か?
いや、確かに昔の理瀬に似ている。
本人と言われてもおかしくない。
しかし。
しかしだ。
理瀬は、こんな、ぐいぐいくる感じの女の子だったっけ?
俺の中で、この愛しき妹はもっと優しくて、ただただ快活な、天使のような女の子じゃなかったっけ?
……こいつ、別人じゃね?
俺は、さっきから機嫌を悪くし目を細くして俺を睨んでいる、理瀬を見つめる。
ひょっとして、両親が……、一階にいる両親が、就職前に妹を亡くし、落ち込んでいる兄を慰めるために、妹に酷似していた女の子を連れて来たのでは?!
それで俺の心が満たされると??
なんて、なんて、なんて残酷なことを…。
許されまじき…。
亡き妹の恨み…。
俺が…。
「お兄ちゃん!?」
俺はハッとして、目の前のベッドに座る妹、…いや、偽妹を見る。
「それで、どうなのよ」
「何が」
「私についてきてくれるの?」
「ついてくる?」
「神様は私にやり直すかって聞いたの。やり直すっていうなら、きっと、過去に戻るんじゃないの? …だから、私は過去に行く時に、お兄ちゃんを連れていきたいの…」
「もうやめよう」
「え?」
「こんな茶番は終わりだよ、理瀬。…いや、理瀬じゃない、名も知らぬ女の子よ」
「は?」
「さあ、一階に行くぞ、父さんと母さんに全部白状してもらう。なに、気にするな、君に罪はない、全て悪いのはあの…」
俺は彼女の右手をとって、ドアを開け――。
「お兄ちゃん……」
この声。
そうだ。
この感じ。
初めてじゃない。
この、俺に救いを求めている声。
他でもない、誰でもない、俺に救いを求めている声。
この声だ。
昔、ずっと昔、聞いたことがある。
初めてじゃないぞ。
あれは、
あれは確か……。
「お兄ちゃん……」
「私ね……」
私ね。
……いじめられているの。
理瀬。
そうだ。
あれは、初めて理瀬が、俺に救いを求めてきた時の声。
俺はあれに、あれに何と答えた?
臆病な俺は、何と答えたんだ?
俺は……。
「……お、お父さんと、お母さんに相談しよう……。な?」
俺は、
俺は、
俺は逃げたんだ。
彼女の必死の救いから、逃げた。
理瀬は、俺に求めたんだ。
誰でもない、この俺に求めたんじゃないか!
俺は何をしていたんだ。
俺は何を…。
「お兄ちゃん……」
決まっている。
これは理瀬だ。
理瀬でしかありえない。
この声は、理瀬でしかありえないんだ。
俺は彼女を、愛すべき妹を、強く抱きしめる。
「お、お兄ちゃん?」
そうか。
そういうことか。
神様は、俺にやり直すチャンスを与えたんだ。
あの、忌むべき最悪の選択を、もう一度、俺にやり直させてくれると、神様はそう言っているんだ。
迷うことなんてない。
「俺は、お前に、どこまでも付いて行く」
あの時の選択を償うために……。
そう言った瞬間、俺と理瀬を、真っ白な光が包み込み――
俺は、ダンボール箱として生まれ変わることになるのだった。