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独りぼっちの弟

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 店を出たノラは、家の近くの野原に荷馬車を止め、夕方まで時間を潰した。家に帰れば、勝手に見合いを断ったことを、猛烈に怒られるだろう。ヒステリックに喚き散らす母の顔を思い浮かべると、腰が持ち上がらない。

 ノラが草地に寝転んでうつらうつらしていると、ざく、ざく、と草を踏む音が聞こえ来た。足音は、少し離れたところで止まった。そこには弟のジャンがいて、仰向けにひっくり返ったノラを、じっと睨んでいた。

「こっちへいらっしゃい、ジャン」

「…………」

「怒ってないから」

 ジャンの手には、ノラが今朝着て行こうと考えていたドレスが握られていた。新しく作ったばかりだと言うのに、引きずられて裾が泥だらけになっている。

 ノラが手招きすると、ジャンはおそるおそる近寄ってきて、ノラの隣に腰かけた。こんなことははじめてだったので、ノラはとても驚いた。ジャンは日頃、ノラの傍には決して寄らない。甘い声を出しても、食べ物で釣っても、決してだ。

 この幼い弟にも、漸くノラの真心が伝わったのかもしれない。ノラの胸は弾んだ。

「今日は一日、なにをして遊んでいたの?」

 ノラはジャンを怖がらせないよう、出来る限り優し気な声色でたずねた。ジャンは口を開かず、耳が聞こえないように振る舞った。

「変なところが似ちゃったわねぇ……」

 誰に、とは言わずもがなだ。

 ノラとジャンは、半時ほどもそこに座り続けた。その間、ノラが取留めのないことを話し、ジャンは黙って聞いていた。

「そろそろ、帰りましょうか」

 ノラは荷馬車を引いて、出来る限りゆっくり帰宅した。ジャンはその後を付いてきた。

「断ったですって!?」

 ノラが首尾を報告すると、案の定母は目を尖らせた。

「お母さんお願い、ちゃんと話を聞いて。私、結婚はまだ……ちょっと待って、どこへ行くの?」

「ブルースに謝って、誤解を解いてくるのよ。お前は恥ずかしがっているだけだって。今の時間なら上の畑にいるでしょう」

「お母さん」

 母は制止する間もなく玄関を出て行き、しばらくすると、機嫌を直して帰ってきた。

「ブルースが理解のある人で良かったわ。来週のお屋敷のダンスパーティにはロイと二人で行くのよ」

 母がうきうきと告げて、ノラはうんざりした。

「でもお母さん、今年は出ないつもりでいたの」

「駄目よ、許しません。若い娘が好き好んで家に引きこもるなんて、不健康だわ」

 ノラは何度も説得を試みたが、母は頑として聞き入れなかった。

「母はどうあっても私を結婚させるつもりらしいです」

 創立者祭の前日、ノラは再びサインツの家を訪ねた。ノラの嘆き節を聞いたサインツは、うふふと笑った。

「物事は悲観していてもはじまらん。前向きに考えてみたらどうだ?家も土地も持ってる上にババ抜きなんて、今時探したって見付からないぞ」

 サインツは尤もな意見を言った。

「確かに仰る通りだと思いますけど、幾ら条件が良いからって、結婚って、していいもんでしょうか?」

「つまり君は、恋愛結婚がしたいと?」

「……時間が欲しいんです。もう少し、考える時間が」

 こんな慌ただしいんじゃなく。

「君はなにかにつけ深く考え過ぎるんだ。こういうのは勢いだ。勢い」

 サインツは知った風な口を利いて、ノラを辟易させた。

「女の子は漏れなく、恋愛や結婚に憧れる生き物なんだと思っていたがね」

「その考えは正解です。私はたぶん、例外なんです」

「そうだろうとも。貴重な週末に男の子とデートするより、こんな老人の家に入り浸る方が良いって言うんだから」

「先生」

「……もちろん、感謝してますよ。ええ」

 ノラは腕一杯に洗濯物を抱えてじろりとし、サインツは首をすくめた。

「冗談はさておき、君にもいつか現れる。この人しかいないと思えるような、君に相応しい騎士がね」

 サインツは予言した。

「それまでは、及ばずながらこの老いぼれが力を貸すとしよう」

 サインツは引き出しから書類を取り出し、ノラに手渡した。

「なんです?」

「教え子の悩みを解消せんと、私が寝ずに考え出した打開案だ」

 封筒の中身は国立魔学校の入学願書だった。後はサインするばかりになっていて、ノラは戸惑った。

「かつて君と彼が雌雄を決した舞台だ。五年ぶりに、一般の生徒を募集するそうだ」

 彼、と聞いたノラの胸は震えた。記憶の欠片がきらと輝いて、ノラはなんとも言えない気持ちになった。

「結婚して家庭を築くのも、孤児院の仕事に従事するのも、悪いことではない。それだって立派な選択だ。しかし、私はこうも思う。天から授かった才能を無駄にしてはいけない」

「…………」

「君は頭脳明晰だし、なにより努力家だ。進学は君にとって、最善の選択だ」

 サインツはきっぱり言い切って、ノラを動揺させた。

「でも、母が許しません」

「良く聞きなさい、ノラ。確かに家族は大切だ。弟が心配だという君の気持ちもわかる。だが人生は一度きりだ。誰にだって決断の時は来る。君は今がその時なんだ。母上もいつかわかってくれるよ」

 サインツへの返事を保留にして家に帰ると、キッチンに母の姿がなかった。

 いつもなら夕食の支度をしている時間なのに。どこへ行ったのかと思えば、彼女は二階の廊下に座り込み、夢中でなにかをしていた。

「なにしてるの?」

 ノラは母の真っ赤な首筋に向かって問いかけた。

「見ればわかるでしょう……!ジャンがお前のドレスを放そうとしないのよ!!」

 ノラは母の手元を覗き込んだ。二人は扉のあちら側とこちら側で、ノラのドレスを引っ張りっこしていた。二人ともあんまり必死なので、ノラは笑った。

「別にかまわないわ。明日は前に仕立てたやつを着て行くから」

「そんなのダメよ!明日は大切な日なのよ!ロイに気に入ってもらえるように、完璧に準備して行くのよ!」

 母が金切声で叫ぶので、もう好きにして頂戴と、静観することにした。結果ノラの新しいドレスは、袖が千切れ、スカートのレースが破け、無残な有様となった。

「なんて悪い子なの!そんなにお姉ちゃんの幸せを邪魔したいの!?」

 ぼろきれと成り果てたドレスをかき集めるジャンを捕まえて、母はそのお尻をぶった。ぴしゃり。ぴしゃり。何度打ってもジャンはドレスを放そうとせず、最後には母の方が根負けして、「今夜は部屋から出しませんからね!」などと怒鳴って出て行った。

 母がいなくなると、ジャンはすぐさまベッドの下に避難した。そこは彼のお気に入りの隠れ場所だったが、大きな体で潜るには限界がきており、くの字に折った腰とつま先が見えてしまっていた。

「小さい頃は、私も良く悪戯をしたわ。お前よりもっと酷いのを幾つもね」

 取り残されたノラは、ジャンがひそんでいるベッドの上に腰かけ、彼を慰めた。

「気にしなくて良いのよ。破けたところは、繕えば良いんだから」

「…………」

「お母さんは少し疲れているだけなのよ。許してあげてね」

 静けさが広がるばかりの部屋に、ノラの声はむなしく響いた。「後で、食事を持ってくるわね……」

 翌日の創立者祭は、例年通り雲一つない快晴だった。

 ラーラの代わりに孤児院の子ども達の送迎を引き受けたノラは、彼等をすし詰めにした荷馬車を繰り、広場へ向かった。

「先生!早く!早く!」

「急がないと競技がはじまっちゃうよぉ!」

 一年間、この日が来るのを指折り数えて待っていた子ども等は、それそれ、さあさあとノラをめちゃくちゃに責っ付いた。その甲斐あって、一行を乗せた馬車は、開会式の直前に広場に滑り込むことができた。

 祭のはじまりを告げるラッパの音が高空に殷々と響き渡り、会場が色めき立つ。広場の一角にはお屋敷から運び込まれた酒や贅沢な食材が並び、女たちがその前で思案顔をしている。『まるまる太ったこの子豚、どう料理してくれよう……』

 大きい子供たちは、馬が停まりきらないうちにひらりと荷台を飛び降り、露店の方へ駆け出して行った。

「走ると危ないわよ!」

 ノラは無駄と知りつつ彼等を注意して、まだ自力で荷馬車を降りられない、小さな子ども達を地面に降ろした。

「後は私に任せて、あなたは祭り見物していらっしゃい」

 全員を降ろし終わった頃、後からやってきたタリスン院長先生が近付いてきて言った。

 タリスン院長先生の荷馬車に乗ってきた子ども達は、彼女の言い付けなのか、先に行った仲間を恨めしそうに見ながら荷馬車の傍に固まっていた。その足は駆け出したくてたまらないと言う風に、いらいら揺れていた。

「でも院長先生、一人じゃ大変でしょう?私も一緒に……」

 ノラが申し出ると、タリスン院長先生は少し困った顔で首を横に振った。

「あなたのお母様に言われているのよ。人目の多い場所で、あなたを働かせないで欲しいって」

 ノラは穴があったら入りたいような気持になった。「お母さんったら……どうも、すみません……」

「良いのよ。お母様の言うことも良くわかるわ。女だてらに仕事なんか持っていると、婚期を逃すって。見本のような女がここにいるんですもの」

 タリスン院長先生は、珍しく歯を見せて笑った。


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