お見合い
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夕方全ての用事を終えてサインツの家を出ると、直ぐそこの曲がり角でヒューゴ・キャンピオンに出くわした。
「やあノラ!偶然だな!今帰りか?」
ヒューゴはノラを見つけると、白々しい驚き顔で言った。
「……こんにちはヒューゴ。こんな町外れになんの用?」
「いやあ、お屋敷に行ったついでに、未来の妻の顔を見てから帰ろうと思って」
「どんなついでよ。まるきり反対方向じゃないの」
思わず、といった風にノラは指摘した。
「だいたい私、あなたの奥さんになる気なんかないわ。その呼び方止めてよ」
「つれないなあ。昔はあんなに大胆だったのに」
「……なにを思い出しているの?」
「なにって、そりゃあ君が俺のなにを……」
ノラは荷台に転がっていた芋を素早く掴むと、ヒューゴの顔面目掛けて力いっぱい投げ付けた。ヒューゴは笑いながらさっとかわして、ノラをいっそう苛立たせた。
「そういうとこが良いんだ。俺の嫁さんなら、これくらい元気がなくっちゃ」
「似たようなセリフを去年カレンに言っていた気がするけど?」
そう確か、お淑やかなのが良いとかなんとか……
「やだなあ。あんなのはお世辞さ。俺の本命は最初っから君だけ」
「調子いいんだから!」
「付き合ってくれる?まだ決まった相手はいないんだろ?自分で言うのもなんだけど、俺って結構お買い得だと思うぜ」
どうかして自分を売り込もうとするヒューゴを、ノラは鼻先で嘲った。
「残念でした。私、明日お見合いするのよ」
「えっ!!……うそだろ!?相手は!?」
「ロイ・アリンガムよ。ロイはあんたと違って誠実だし、アリンガム家にだって畑はあるのよ」
虎の威を借るなんとか。ちらと頭に浮かんで、ノラはほとほと自分に呆れた。
お調子者をやり込めてやろうなどと考えた罰が当たったのか、ノラが家に帰ってみると、ロイが玄関先でお茶を飲んでいた。ノラはぎくりとしたが、努めて平静を装った。
「やあノラ。邪魔してるよ」
「こんにちはロイ。仕事はもう終わり?」
「まあね。おじきが明日のために家に帰って靴でも磨けってさ」
「そ、そう……」
明日の見合いのことを言われると、ノラの心は激しく動揺した。断る時のことを考えると、今から胃が痛いようだった。
「初対面でもないのに、見合いなんて馬鹿げてる」
ロイは、そんなノラの気持ちを知ってか知らずか皮肉を言った。
「君もそう思うだろ?」
「え?ええ。そうね。確かに……」
「畑が忙しいこの時期に、親父もおじきもどうかしてるよ。適当に済ませて、お開きにしよう」
ロイは鼻からこの見合いに乗り気ではないようだった。そうと知ったノラは心から安堵した。ロイもノラと同じ気持ちなのだ。
「そうね。それが良いわね」
翌日、時間が迫ると、ノラは気楽な気持ちで支度をはじめた。
(あら……?)
ノラはクロゼットの中を覗いて首を傾げた。母のご機嫌を損ねないよう、新調したドレスを着て行こうと思ったのに、いつの間にか消えてしまっていたのだ。犯人は一人しかおらず、ノラはジャンに返してもらえるよう頼んだが、ジャンは知らん振りした。
ノラは仕方なく、以前に仕立てたドレスを着てパーラーに向かった。
パーラーでは、髪をバターで撫で付け、めかしこんだロイが待っていた。ロイはノラの遅刻を怒っているのか、目に見えていらいらしていた。
ノラが席に着くと、パーラー店主でお喋りのマルタ・ブレトンが、直ぐにお茶を持ってきた。彼女はやけに丁寧な口調で「ごゆっくりどうぞ」などと言って、カウンターの奥に引っ込んだ(もちろん、聞き耳を立てている)。
「遅かったじゃないか。なにやってたんだよ?」
マルタがいなくなると、ロイは直ぐに苦情を言った。
「ごめんなさい。余所行きのドレスが見当たらなくて。私ったら、どこへしまったのかしら……」
ノラの言い訳にも、ロイの機嫌は直らなかった。ロイは腕を組んで、ノラをじっと見た。疑うような視線に、ノラは緊張した。「ふぅん……?」
「……おしゃれも結構だけど、結婚したらほどほどに控えてくれよ。俺は女の支度を待つのは、好きじゃないんだ」
ロイが威張って言って、ノラをどきりとさせた。なんだって?結婚したら?
「そのドレス、ちょっと派手じゃないか?もっと農家の女主人らしく、慎みのある格好をしてくれなきゃ」
ロイに指摘されたノラは、ドレスを見下ろした。小さな花の刺繍がかわいらしいドレスだ。……って、そうじゃなくて!
「ちょ、ちょっと待って、ロイ」
「なんだい、不満かい?オーケー、服装のことは後でじっくり話し合おう。はじめに言っておくけど、我が家には我が家のルールがある。嫁に来るからには、今までと同じ気持ちでいてもらっちゃ困るよ。下働きの女たちの良い手本になれるように、努力してもらわなくちゃ」
「そのことなんだけど……あの、なにか大きな誤解があるようだわ。どうしてこういうことになったのか、私にもわからないんだけど……」
狼狽するノラは、しどろもどろに言った。ロイはノラの言葉をうっちゃらかして続けた。
「家に入ったら、家事はもちろんだけど、畑の仕事も覚えてもらうことになるから。力仕事が多くて最初は大変だろうけど、すぐ慣れる」
「そう。それは良かった。……いえね、そうじゃないのよ。なんて言ったら良いかしら」
「それから、もうちょっと太ってくれよ。あんまり細いと、俺が食わせてないみたいだろ」
「ロイ。お願い、お願いよ。私の話も聞いて。私、あなたに話さなければならないことがあるのよ」
矢継ぎ早に喋っていたロイは、話を途中で遮られたのが不満なのか、一度むっつりと口を引き結んだ後、「どうぞ」と先を譲った。
ノラは深呼吸した後、ロイの仏頂面に向かって切り出した。
「……私は、あなたの奥さんにはなれないわ」
「?……なんだって?」
「学校を卒業したら、孤児院の職員になりたいの。結婚なんて全然考えられない……」
ノラは小さな声で、しかしはっきりと告げた。ロイは酷く驚いて、二人の間を気まずい沈黙が流れた。やがて驚きの波が過ぎ去ると、ロイは目に見えてうろたえはじめた。
「見合いは形だけのものだと聞いたから、俺はてっきり……」
「私は、あなたははじめから断る気なんだとばかり……」
ロイは羞恥に顔を歪め、さっさと席を立った。
「……帰るよ。君のお母さんには、俺から断っておく。いいよな?」
硬い声色からロイの怒りが想像できて、ノラは早くも後悔した。
「本当にごめんなさい……自分がどんなに馬鹿なことをしているか、わかっているつもりよ……」
「いいさ。縁がなかったというだけのことさ」
ロイは瞬きも追い付かないほどあっという間に店を出て行き、お喋りマルタが早速言いふらしに出かけた。明日には事の顛末が村中に知れ渡っていることだろう。
ノラは気分が落ち着くまで、しばらくテーブルに突っ伏していた。あんまり早く帰って、ロイに追い付いてしまっても困ると思ったのだ。
十分もぐずぐずしたノラが、重い腰を持ち上げて、店を出ようとした時だった。
扉を開くと、反対側からクリフォードが駆け込んできた。ノラは彼の硬い胸に、正面から激突した。
「?……クリフォード?どうしたの?」
苦情を言おうと思ったノラだったが、彼がひどく急いでいる様子だったので控えた。クリフォードはノラの顔を見ると、なぜだか、不安気に瞳を揺らした。
「ヒューゴに……」
「?ヒューゴ?」
「お前とロイが、見合いするって聞いて……」
クリフォードはきょろきょろして、ロイの姿を探した。
「もう帰ったのか……」
「ええ。ついさっきね」
「するのか。結婚」
クリフォードは今度は、責める様な目付きでノラを睨んだ。ノラは困惑しながら、『たった今振られたところ』と答えた。
「そうか……そうか、そうか……」
たちまちクリフォードの緊張が解けて、ノラは心底ほっとした。昔からそうだが、ノラは彼に本気で怒られると、小さくなってしまうのだ。ノラはこっそり、クリフォードの顔色をうかがった。
「……そのドレス……」
クリフォードは唐突に切り出して、ノラをきょとんとさせた。「ドレス?」
「去年のお祭で着てたやつだ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。……良く似合ってる……」
クリフォードが褒めて、ノラは耳を疑った。
「綺麗だ……とても……」
聞き間違いじゃないかしらと疑うノラに、クリフォードは駄目押しした。
「…………」
クリフォードは二人の間の距離を控えめに一歩詰めて、ノラを怖気づかせた。
こんなに近くに彼を感じるのは、子どもの時以来だ。ジノとクリフォードが良い仲になってからというもの、ノラは不用意に彼に近付かないようにしてきた。
彼のシャツから香る太陽と汗の匂いは、ノラをくらくらさせた。
「……そりゃどうも。でも、そういうことは、他に言うべき相手がいると思うわ」
ノラは赤い顔を誤魔化すように、眉をしかめて忠告した。
「言うべき相手って?」
「だから……ファンの子達がやきもち焼くわよ」
「……俺が好きなのは、ずっと一人だけさ。ほかの女の子なんて目じゃない」
クリフォードはノラの顔をじっと見つめて断言した。ノラはどぎまぎしてしまって、これ以上、もう一秒も彼の傍にはいられないと思った。
「送って行きたいところだけど、仕事を放り出してきちゃったんだ。すぐ戻らないと……」
「…………」
「じゃあ、また……」
クリフォードは名残惜しそうに、キャンピオン家の畑に戻って行った。