クリフォードの告白
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「クリフォード……」
アレジから仕事の説明を受けていたクリフォードが、こちらを振り向いた。クリフォードは緊張を孕んだ瞳で、立ち竦むノラをじっと見つめ返した。ノラは混乱した。ヴォロニエの高等学校に通っているはずの彼が、なぜ……
「学校が休みの間だけ、庭師見習いとして働いてもらうことになったのよ」
驚きを隠せないノラに、男爵夫人が説明した。
「あなたにはこれからも不自由な思いをさせてしまうけど、気心の知れた者が傍にいれば何かと心強いでしょう。……ノラ?どうかしたの?」
「い、いえっ……」
ノラの脳裏に、オシュレントンを旅立った日のことが、まざまざと思い出された。具体的に言えば、腰が砕ける様な熱いキッスを思い出し、どぎまぎした。
「ほら、出て来いよ」
ところが。甘酸っぱい気持ちは、クリフォードの後ろからシルビアが顔を出したことで瞬く間に霧散した。ノラはまぶたを細めて、シルビアを睨め付けた。
「……帰省はさぞ楽しかったでしょう、シルビア。ところで、ちゃんと渡してくれたんでしょうね?」
「……うるさいわね渡したわよ。ほら、返事!」
ノラはシルビアから、家族からノラに宛てた手紙(主に、母の泣き言が書かれている)を受け取った。ふんっ!忌々しい!
男爵夫人はシルビアを連れて屋敷に帰って行き、アレジは黙って仕事に戻ってしまった。クリフォードと二人きりになると、ノラはぎくりとした。
「わ、私も仕事がっ……」
本能の命ずるまま、尻尾を巻いて逃げ出そうとしたノラの腕を、クリフォードが掴んだ。
「逃げるなよ……傷付くだろ」
クリフォードはノラを東屋まで引っ張って行き、きょろきょろと周りを見回して、近くに誰もいないことを確認した。
「……悪かったと思ってる……お前の気持ちも聞かずに、いきなりあんなことをして……しばらく会えなくなると思ったら、堪らなくて……その、びっくりした……?」
クリフォードの間抜けな質問は、ノラを脱力させた。
(ええ!それはもう!)
ノラはクリフォードの質問に、心の中だけで答えた。びっくりし過ぎて、しばらくは寝ても覚めても彼のことしか頭に浮かばなかったほどだ。
(ばっかみたい!)
真剣に頭が剥げるかと思ったのに、ノラをこんなに悩ませた張本人は、『びっくりした?』ときたもんだ。彼にしてみたら、軽い悪戯のつもりだったのだろう。怒る気にもなれなくて、ノラは嘆息した。
「なあ、返事を聞かせてくれよ」
ノラが唇を噛んでじっと黙っていると、クリフォードが焦れた風に催促した。
「言っとくけど、どんな答えでも俺、諦めないよ」
クリフォードは先手を打ち、ノラは目をぱちくりさせた。「?返事……?返事って、なんの返事?」
「告白の返事さ!もったいぶらないでくれ。これでも覚悟決めてきたんだから」
クリフォードは病名の宣告を待つ重症患者のような顔で答え、ノラをいっそう混乱させた。「だから……いつ、誰が、誰に、なにを告白したのよ?」
ノラが再度尋ねると、クリフォードはそこで漸く、大失敗をやらかしたことに気が付いた。クリフォードは『あちゃあ!』と、額に手をあてた。
「俺、お前のことが好きなんだけど……」
ええっ!!?
「……言ってなかったっけ?」
聞いてない!ノラはぶんぶん首を振った。クリフォードは照れ隠しに頬を掻いた。「……まあ、そういうこと……」
いまいち決まらない告白の後。クリフォードが口を噤んでしまうと、二人の間には気まずい沈黙が流れた。
「…………」
良く晴れた空を、薄い、霞みたいな雲が棚引き、東屋に寄り掛かるようにして植えられたモクレンの枝が、地面に濃い影を落としていた。近くの小川からは、水のせせらぎと共に、水車が可動する規則的な音が、絶え間なく響いていた。多くの花の開花期を過ぎた庭園は鮮やかな緑一色となり、植物たちは光の降り注ぐ方に向かって、懸命にその枝葉を伸ばしている。
長い一分間だった。羞恥で顔が上げられないノラの耳に、クリフォードの、鼓膜をくすぐるような笑い声が聞こえてきた。
「……いつからこんな風だっけな。俺たち」
見ればクリフォードは、凛々しい眉をハノ字にして、困ったように微笑んでいた。温かな茶色の瞳は慈愛の輝きを湛えていた。
「昔はもっと気安かったろ?お互い」
クリフォードの質問は、ノラを戸惑わせた。彼が言う通り、年月は二人の関係をより複雑なものに変えてしまったが、ノラは答える言葉を持ち合わせていなかった。
「……わかってる。原因は、俺の方だって」
「え……?」
「俺、馬鹿だから……お前はずっと変わらないと思ってた。いつまでも弟みたいなまま、女の子になる日が来るなんて、思いもしなかった」
クリフォードはため息交じりに自嘲した。
「お前のことが好きで、でもどうしたら良いかわからなくて、困ってる……正直、ちょっと焦ってんだ。だってお前、どんどん綺麗になっちゃうんだもん」
「…………」
「もう何年も、どうやってお前とキスしようかって、そればっかり考えてるんだ……」
クリフォードは臆面もなく、欲望に塗れた心中を暴露した。ノラの顔は食べ頃の二十日大根みたいに赤らみ、心臓は今にも破けそうなほど高鳴った。
そのうち膝ががくがくして立っていられなくなったノラは、東屋のベンチにぺたんと座り込んだ。
「うそよっ……だって、そんな素振り全然……」
「それは!……お前が俺を避けるから……」
「避けてなんか……」
「避けてたろ。俺の顔を見れば逃げ回って……」
確かに、そういうこともあったかもしれない。今の今までクリフォードはジノと良い仲なのだと思っていたし、ノラにも事情が……そう、事情があったのだ。
思考の迷路の迷い込みながら、ノラは都合の良い夢を見ているような気持ちだった。
(クリフォードが、私を……?)
スマートで、優しくて、でもノラには意地悪な、あのクリフォードが?
(まさか……!)
子供の頃からクリフォードは良くもてた。大人になってますます凛々しく、逞しくなった彼を、今や町中の女の子が狙ってる。なにも好き好んでノラなんか恋人にしなくたって、立候補する子は幾らだっているのだ。
「お前はとっくに知ってると思ってた……俺の気持ち……」
否定はしてみたものの、思い当たる節は幾つかあった。母の命令で、ロイ・アリンガムとお見合いした時のことだ。クリフォードが酷く慌てた様子でパーラーに駆け込んできて、びっくりするノラに、ロイと結婚するのかと詰め寄ったのだ。あの時、彼はノラのドレス姿を賛美した。からかうでも、冷やかすでもなく、ただ綺麗だと……
(わっ……)
思い出せば、ノラはますます羞恥に身悶えた。
「俺はこの通り、まだ学生だし、家も土地も持ってないけど、お前を思う気持ちだけは誰にも負けないつもりだ。ロイにも、ヒューゴにも……」
―――あいつにも―――
「恋人になったからって、特別なことはしなくて良いんだ。お前はそのままで良いんだ。いつもは友達みたいでいて、時々キスができたら、それだけで俺は……」
言いながら、クリフォードが己の手で、ノラの水仕事で荒れた手を包み込んだ。ノラは慌てて奪い返し、さっ!と背中に隠した。
「一つ、聞いても良い……?」
ノラは奥歯を震わせながら、からからに乾いた喉から声を絞り出した。
「うん?」
「……ジノとはもう、キスをした……?」
クリフォードは一度目をみはった後、ノラに負けないくらい赤い顔で口を尖らせた。「するわけないだろ!?お前がいるのに……!」
「返事は、いつでも良いよ。俺は待つから」
クリフォードは固く約束して、ノラを安堵させた。答えを出すには、時間が必要だ。この案件は、持ち帰って熟考する必要がある。
「ところでお前、どうしたんだ?その顔」
涼しい風が吹いて、ノラの気持ちが落ち着いてきた頃、クリフォードが不思議そうにたずねた。
「え?顔?」
指摘されたノラは東屋を出て、池の水に顔を映した。水面に映り込んだ黒い影が、不思議そうにこちらを見つめ返し、ノラはぎょっとした。そうだ!顔!
「こ、これは、煙突掃除でっ……」
ノラは煤だらけの顔面を慌てて手で擦った。しかし手のひらも真っ黒だったので、余計に煤を顔面に塗り広げる破目になった。
「あははははっ!相変わらずなんだなあ!」
「もう!先に言ってよっ!」
「怒るなよ!風呂を沸かすだろ?水汲み手伝うからさ」
「結構よ!ばか!」




