表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

二人はライバル

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

「それよりアデルさん、クラウス様って、どんな方なんですか?」

 ぼや騒ぎでジョージに叱られてから、ノラは何度か南の庭園に足を運んでいた。直接お礼が言いたい気持ちが半分、もう半分は、好奇心と興味だ。お喋り出来たら良いと思い、塔の窓に向かって声をかけてみてが、彼が顔を出してくれることはなかった。

「どんな方って……いつも見てるじゃない」

「え?」

「ギャラリーに肖像画が飾ってあるでしょう?」

 ノラは首を傾げた。細長いギャラリー(美術品を飾ってある部屋。絵画だけでなく、壺や甲冑、彫像など、高価な品々が展示されている)には無数の肖像画が(歴代の男爵や、その夫人や、親戚たちの)飾ってあり、どの絵がクラウス様だか、見当もつかなかった。

「仕方ないわね。付いていらっしゃい」

 ノラはアデルに連れられ、ギャラリーを訪れた。

「この方がクラウス様よ」

 黄金の額縁の中の人物は、ゆったりと長椅子に腰かけ、遠くの方を見ていた。

「わあ!きれいな男の子……!」

 想像と寸分違わぬ絵姿に、ノラは感激した。闖入者を拒むことなく受け入れ、綺麗な音楽で慰めてくれた、心優しい人だ。美人に違いないと思っていたが、いやはや、これほどとは……

「でも、どうしてこんなに沢山あるんです?」

 見れば隣の絵も、その隣の絵も、クラウス様の肖像画だった。皆同じように見えて、絵の中の人物は少しずつ成長しているようだった。

「奥様が毎年人気の絵描きを呼んで、描かせているのよ。完成までに三年かかった絵もあるのよ。……思い出を残そうとしていらっしゃるのね」

 彼が、生きているうちに。

 アデルが同情の滲む声で呟き、ノラは悲しい気持ちになった。ベッドの上で病気と闘いながら、死を待つだけの日々が、どんなに辛く寂しいものか、ノラには想像できなかった。

 次の休み、ノラは再び南の庭を訪れた。

(誰かいる……?)

 南の庭園へと続く黒塗りの門の前で、敏感に人の気配を察知したノラは、格子の隙間から庭の様子をうかがった。

「…………」

 いつもなら静寂が広がるばかりの花園。その人物は四角い池のほとりに、景色に溶け込むように佇んでいた。ノラの位置から顔は見えなかったが、ほっそりとした後ろ姿を見て、ぴんときた。あれはこの庭園の主に違いない!

「あの……!すみません!」

 気がはやり、つい勢い込んで声をかけたのは不味かった。驚いた庭の主……クラウスは、一度大きく身を震わせると、直ぐそばの入り口から、塔の中へ駆け込んでしまった。

「待って!待ってください……!」

 ノラは慌てて後を追いかけた。いつもは厳重に閉ざされているはずの入り口に鍵はかかっておらず、ノラは易々と塔の中に侵入することができた。

「…………」

 塔の中は涼しく、来る途中に掻いた汗が冷えて、うなじがぞくりとした。円柱の石の壁に添うように、階段がぐるぐると上に向かってのびている。耳を澄ませばタンタンタン!と、階段を駆け上がる足音が聞こえてくる。

 軽やかな足音を追いかけ、ノラが長い螺旋階段を半分ほどまで上った時だ。

「リッピー!ここで何をしている!」

「ベルモンドさんっ……!」

 いつの間にか背後に迫っていた執事のジョージ・ベルモンドが、ノラの手首をがしっと掴んだ。彼はノラが塔に入るところを見付けて、慌てて追いかけてきたのだ。

 ノラは青ざめ、この場で首を括りたくなった。

「この塔には近付くなと言ったはずだろう!」

 ジョージはノラを、有無を言わさず庭園の外まで引きずって行った。「奥様には黙っておいてやる。二度と近づくな!」

 ジョージは血走った眼でノラをひと睨みし、石塀の向こう側へと戻って行った。ねちねち、くどくど怒られると思っていたノラは、それ以上のお咎めがなかったことを不思議に思いながら、屋敷の方へ向かって歩き出した。

「こんにちは、アレジさん」

 屋敷に引き返す途中、ノラは庭師のオーベール・アレジに出くわした。彼は庭師達の住まいであるロッジの前で一人、薔薇の接ぎ木の実験を行っていた。

「やあ、ノラ。また塔へ行ってきたのかい?」

 今年で七一歳になるアレジは、ひび割れた蝋のような肌に鈍色の瞳をした、物静かな老人で、南の庭を管理する責任者だった。彼はノラが通って来ることを知りながら、黙認してくれていた。

「はい。でもベルモンドさんに見つかって、追い出されちゃった」

「そうかい。なら、もうあすこへ行くのは止しなさい」

 アレジは薔薇の枝の切り口から目を逸らさずに、平べったい声で忠告した。

「クラウス様のご病気は、近付く者を次々巻き込んで行く、恐ろしい病気。あの方に関わったが最後、命はないよ」

 アレジの物言いに引っかかりを感じたノラだったが、アレジはそれきり、貝のように口を閉ざしてしまった。わだかまりは、いつまでもノラの胸に残った。

 肝心の忠告の方はと言うと、素直に聞くはずもなく、ノラは休みの度に南の庭を訪れようと試みた。試みた、とはすなわち、叶わなかったという意味だ。出かけようとすると、ジョージが厄介な用事を(仔馬の健康診断の手伝いや、リネン室の棚卸など、時間のかかるものばかり)言い付けるので、ノラの休日はほとんど返上させられていた。

 クラウス様の顔を一目拝めれば、この好奇心の病も治まるのに!

 うっぷんをため込む日々が続いた、ある日のこと。チャンスは思いもよらないところからやってきた。

「ノラ、エリザベータ様がお呼びよ」

「男爵夫人が?何のご用かしら?」

「さあ……分からないけれど、興奮してらしたわ。あなた、なにをやったの?」

 南の庭園に通っていたことが、とうとう露見したのだ。ノラは、びくびくしながら彼女の仕事場である書斎に向かった。

「失礼します……」

 書斎には先にシルビアが来ており、てっきり呼ばれたのは自分だけだと思っていたノラは、首を傾げた。お説教じゃないとすれば、男爵夫人はいったいなんの用だろう?

「今朝方、領地にいる主人から、デムター・オシュレントン氏宛の手紙が届きました」

 男爵夫人は二人が揃うと、早速用件を切り出した。ノラとシルビアは、思わず顔を見合わせた。「それって……!」

「出発は十日後よ。返事を頂かなくてはならないから、しばらく向こうに滞在することになると思うわ」

「わあ!やったあ!」

 シルビアは歓声を上げた。ノラも期待に胸を躍らせたが、男爵夫人は二人の嬉しい気持ちに待ったをかけた。

「考えたのだけれど、二人も仕事を抜けられると困るので、今回はどちらか一人だけ、仕事をより頑張った方を連れて行くことにします」

 男爵夫人が告げて、ノラとシルビアの顔面から笑顔が消えた。どちらか、一人だけ……?

「二人とも、鋭意努力するように。では、下がって宜しい」

 ノラとシルビアは書斎を出て、扉の前でしばし睨み合った後、それぞれの持ち場に戻った。のっしのっしと歩いて行くシルビアの背中からは、未だかつて見たことがない程の意気込みが感じられた。

(帰れるっ……)

 廊下を早足に歩きながら、ノラは突然舞い込んだ幸運を、神に感謝していた。

(オシュレントンに帰れる……!)

 父に、母に、ジャンに会える。生まれ育った故郷の風を感じることが出来る。帰ったら何をしよう?まず、母の手料理をお腹いっぱい食べて、好きなだけ寝坊する。それから毎日通った孤児院までの道を散歩して、友人達と再会を喜び合い、サリエリの墓参りをする。それから、それから……!

「リッピー!足音を立てるな!」

 浮かれていたノラは、ジョージの鋭い叱声で我に返った。はち切れんばかりに膨らんでいた夢が、ぱん!と音を立てて弾けた。

(そうだわ……)

 男爵夫人のお供が出来るのは、どちらか一人だけ。空想を現実にするためには、何としてもシルビアに勝って、オシュレントン行きの切符を手に入れなければならない。気を引き締めなければ……

(負けない!)

 ノラとシルビアの水面下の戦いがはじまった。

「アデルさん、鴨の下ごしらえ終わりました」

「張り切ってるわね、ノラ。なにか良いことでもあった……?」

「うふふっ。ええ、まあ」

 ノラの鬱勃たる闘志は、教育係のアデルを驚かせるほどだった。朝は誰よりも早くベッドを起き出して持ち場へ行き、他人が嫌がるような仕事も率先してこなした。他人の三倍も動くノラの働きぶりはなかなかのもので、あの厳しいジョージさえ口を出せなかった。

 この分なら、シルビアを破ってのオシュレントン行きも、夢じゃないかもしれない。

 そんな希望を抱き始めた矢先のことだった。

「リッピー!今朝シーツを干したのはお前か!?」

 男達と一緒にミルクの不純物を取り除く作業をしていたノラのもとに、顔を真っ赤にしたジョージが怒鳴り込んできた。ノラの不思議そうな顔に向かって、ジョージは抱えてきたシーツを両手で広げて見せた。「見ろ!地面に落ちて泥まみれだ!」

「ええ……!?」

「ロープの結び方が甘かったんだ!」

「そんな!私、ちゃんと結びました!確かにさっき……!」

「言い訳はいい!直ぐに洗い直せ!」

 後で確認してみると、洗濯物を干すためのロープは、結び目の手前ですっぱりと切られていた。

 ほんの一瞬、頭の中にシルビアの顔が浮かんだが、ノラは直ぐにその考えを打ち消した。あのプライドの高いシルビアが、ノラとの戦いに限って、卑怯な真似をするとは思えない。

(じゃあ、いったい誰が……?)

 嫌がらせはその後も続いた。ある時はノラが作ったサラダ・ドレッシングが塩辛くなっていて、またある時は靴底にべったりと靴墨が塗られており、気付かずに歩き回って屋敷中に足跡を付けてしまった。極め付けは、ノラが卵を取りに行った直後に、鶏小屋の鶏が全て逃げ出してしまったことだった。無論、鍵をかけたにも関わらず、だ。

 この事件は、ジョージを猛烈に怒らせた。

「この破壊工作員め!お前はどこの回し者だ!?この屋敷をめちゃくちゃにするつもりか!?ええ!?」

 叱られて小さくなりながら、ノラは泣き出したい気持ちだった。ジョージは言い訳だと決め付けて弁明を聞いてくれないし、犯人を捜そうにも、いったい誰が、なんの目的でノラを陥れようとしているのか、見当もつかなかった。

「全て奥様に報告させてもらうからな!」

 ノラの数々の失敗は、ジョージの口から男爵夫人に伝えられた。こうなると、どちらに軍配が上がるかは目に見えており、オシュレントン行きはもはや絶望的と言えた。

「はあ……」

 もともと、ノラには不利な勝負だったのだ。裏方なんか幾ら頑張ったって……そう、トイレの床をピカピカに磨いたって、腕が上がらなくなるほどパンを捏ねたって、壁の向こう側にいる男爵夫人の目には入らない。その点、シルビアは男爵夫人付きのメイドだ。アピールする機会はノラよりも格段に多い。

 わかっていたはずなのに、ノラの胸は遣る瀬無さと情けなさでいっぱいになった。どうしてもっと上手く立ち回れないんだろう?シルビアも、嫌がらせの犯人もだが、要領の悪い自分のことが最も憎らしい。

「ぐすんっ……」

 やり切れないので、『男爵夫人は、最初からシルビアを連れて行くつもりだったに違いない』そう胸に言い聞かせることで自分を慰めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ