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初仕事

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 男爵夫人の部屋を出ると、今度は従業員の生活スペースに案内された。

 二人が与えられた部屋は五メートル四方と狭く、調度品と言えば、お仕着せが収納されたクロゼットに燭台、二台のベッドの間に、小さな丸テーブルが置かれているだけだった。シルビアは同室を嫌がり、ノラを苛立たせた。

「新人は二人一部屋と決まっている。嫌なら早く一人前になることだ」

 仕方なく、部屋の真ん中をシーツで区切ることで合意した。

 ジョージは「夕食に遅れるな」と忠告して部屋を出て行った。シルビアもシーツの向こう側に引っ込んでしまうと、ノラは早速、屋敷の探検に出かけることにした。

 教わった部屋の場所をもう一度確認した後、従業員用の出入り口から外に出た。あの素晴らしい花園を自らの脚で歩いてみたいという誘惑に勝てなかったのだ。

 ノラは庭を、そうと意識せず、南に向かって歩き出した。

「…………」

 等間隔に並んだランブラーローズのアーチ。そよ風が梢を揺らすたび、白やピンクの花びらと一緒に、甘い香りが降ってくる。赤茶けたレンガが敷き詰められた小道の両側には細い水路が張り巡らされ、中を冷たく透明な水が、しゃらしゃらと流れている。

 ノラは真っ直ぐに伸びた道を、迷いのない足取りで、どんどん進んで行った。十分ほど歩き続け、庭園内に八か所設けられた納屋の一つに辿りついた時だった。

 きら!横顔に光を感じて、ノラはそちらを振り向いた。

 昼間見た塔が、近くなっている。

 ノラはポケットから手鏡を取り出して、塔の方へ向けてかざした。斜めにしたり、倒したりして、太陽の光を反射させる。きら!きら!

 しばらくやっていると、向こうもこちらに気付き、返事をするようになった。好奇心に駆られたノラが、もう少し近付いてみようか、などと考えはじめた、その時だ。

「そこで何をしている!!」

 稲妻みたいな叱責にぎくりとして振り返ると、そこには眉を顰めたレーチェ・ドミニナ嬢と、その従者のアメデ・クレランボーが佇んでいた。アメデは息を吐く間もなく、ノラに吠え掛かった。

「誰の許可を得て庭を散策しているのかと聞いているんだ!」

「すみません、あんまり美しいお庭だったので……」

「使用人が主人の前に姿を見せるものではない!下がれ!」

 アメデに追い立てられたノラは、大急ぎで庭を引き返した。

 夕食の間際、ノラは早速ジョージに呼び出された。

「クレランボーから聞いたぞ。君がまるで王侯貴族のような顔をして、ご主人様の庭を好き勝手に散策していたとな」

「すみません、ベルモンドさん。私、そんなつもりじゃ……」

「知らなかったとは言え、非常識極まりない。今後は気を付けたまえ」

 叱られてしょんぼりするノラを、シルビアが鼻先で笑った。

「起きなさい!あなた、なにやってるの!?」

 翌日の早朝、見知らぬ女性にたたき起こされたノラは、キルトを抱きしめて目を白黒させた。

 ここはどこだろう?このおっかない、痩せぎすの女性は誰だろう?女性は混乱するノラの顔に向かって吠えた。

「起床は五時って言われなかった!?シルビアはもうとっくに持ち場へ行ったわよ!」

「!?……ええ!?」

 状況を理解したノラは、飛び起きて、シーツの向こう側を確認した。シルビアのベッドはもぬけの殻だった。昨日たっぷり昼寝をした彼女は、時間ぴったりに起きて、一人で支度して出て行ったのだ。ノラは背筋がひやっとした。

「す、すみません。昨日寝付けなくて……」

「謝罪は良いから、早く支度しなさい!こういうことは何度も許されないわよ!」

 そう言ってクロゼットの中のお仕着せを投げて寄越したのは、昨夜の夕食の後ちらと紹介された先輩メイドだった。名前をアデライード・エンデと言い、彼女は下級使用人達のリーダーだった。みんな親しみを込めて、アデルと呼んでいた。

 大慌てで支度して向かったのは、使用人用の食堂と隣続きの、もう一つのキッチンだった。壁一面に大小さまざまな形のフライパンが下がっており、煙突が付いた文化かまどでは、昼夜を問わず野菜が煮込まれていた。

「足音を立てるな!」

 ばたばたと駆け込んできた二人を、執事のジョージ・ベルモンドがすかさず注意した。

「三回遅刻したらクビだ」

 ジョージは懐中時計を確認して忠告し、謝罪をする隙も与えないほど足早に部屋を出て行った。先に来て別のメイドから仕事を教わっていたシルビアは、相棒の存在など忘れてしまったかのように振る舞った。あんまりな態度に、ノラはむかっ腹を立てた。頭の隅にちらと過った、『起こしてくれれば良かったのに!』という言い分を口にしなかったのは賢明だった。

(絶対負けない!シルビアだけには!)

 もう二度と失敗はしないと心に誓い、ノラは意地になって仕事に励んだ。昨日屋敷を探検したおかげで部屋の場所は大体覚えていたし、記憶力は良い方だ。勤めはじめて数日も経つと、教育係のアデルは早々にノラの評価を付け直した。

「ずいぶん手慣れているわね。どこかで経験があるの?」

 リネンを手洗いするノラの手元を覗き込み、アデルが興味津々とたずねた。

「経験というほどじゃありませんけど、ここにくるまで私、孤児院で働いていたんです」

「孤児院?……若いのに感心ねぇ。子ども達の世話は大変でしょう?」

「いいえ、ちっとも。毎日とても楽しかったわ」

 ノラは朗らかに答えた。

「子ども達には悪いけど、あなたが着てくれて本当に助かったわ」

 アデルはお世辞ではなく、心からの感謝を述べた。そんな彼女に向かって、ノラはずっと気になっていたことをたずねた。

「ねぇ、アデルさん。どうしてここは、こんなに人手がないんですか?」

 目の回るような忙しさを除けば、労働環境は決して悪くない。だと言うのに、このマントウィック男爵家には、数えるほどの従業員しかいなかった。(そのくせ、庭師だけは余るほどいる)

 お給料も良いのに、何故だろう?

 アデルはノラの質問に答える前に、きょろきょろと辺りを見回し、聞き耳を立てている者がいないか、入念にチェックした。「今から話すことは、決して余所で口にしては駄目よ」

「南の庭園に、塔があるのを見たでしょう?」

「はい。でもベルモンドさんは、私が知る必要はないって。どなたかお住まいになっているんですか?」

 ノラは秘密の予感に、わくわくしながらたずねた。アデルはノラの耳元に唇を寄せ、限界まで落とした声で囁いた。

「あの塔には、クラウス様がいらっしゃるのよ」

「クラウス様?」

「マントウィック男爵様の前妻の息子で、ゆくゆくは男爵位と領地を相続される方よ。幼い頃から原因不明の病に侵されていて、もう何年も塔から出られないの。……ここだけの話、クラウス様のお世話を命じられたメイドが、何人も同じ病にかかって死んでいるんですって。逃げ出した従業員も少なくないわ」

「…………」

「そういう事情があるから、ここは年中人手不足なのよ。あなたも絶対、近寄っちゃだめよ。いいわね?」

 ノラが順調に仕事を覚えていく一方、シルビアは慣れない家事仕事に苦戦しているようだった。

 お屋敷に来て、ひと月ほど経った、ある日のことだ。

「シルビア!シルビアはどこへ行ったの!?」

 ノラがパン焼き室でコックにデニッシュの作り方を教わっていると、キッチンで下ごしらえを手伝っていたアデルが、大声で叫びながら入ってきた。

「アデルさん、どうかしたんですか?」

「食品保管室にチーズを取りに行くよう頼んだんだけど、戻って来ないのよ。もう一時間よ!」

 アデルは『良くぞ聞いてくれました!』とばかりに、大きな声で愚痴った。

「あの子は駄目ね!なにかって言うと、直ぐにさぼろうとするんだから!」

 豪華な屋敷に目が慣れてきた頃から、シルビアはやる気をなくしていった。主な理由は、仕事内容が想像とかけ離れていたことと、家事労働では決してノラに敵わないことだ。気が付けばいつの間にかいなくなっていることや、椅子に座ってぼんやりしていることがあり、アデルが注意するとしばしば反抗的な態度を取った。

 仕事に対する熱意を失った彼女の興味は今や、週末にやって来る美貌の神父様と、いかに上手にサボるかという、二点に絞られていた。そのくせ、ジョージやアメデの前で良い顔をするので、アデルの堪忍袋の緒はどんどん引き絞られ、もはや切れる寸前だった。

「あの怠け者は、今すぐ田舎へ送り返すべきね!」

 アデルがヒステリックに叫んだと同時に、シルビアが戻ってきた。悪口を聞かれたノラは気不味い思いをしたが、シルビアはへっちゃらそうだった。

「シルビア!あなた、今までどこへ行っていたの!?チーズは!?」

 アデルはシルビアに猛然と詰め寄った。シルビアは慌てる様子もなく答えた。

「応接間で、奥様のお話し相手をしていましたの」

「?……奥様の?」

「ええ。お土産をごちそうになったわ。ご存じ?今ヴォロニエの歌劇場では、スナック菓子が大流行しているんですって」

 唖然とするアデルを、シルビアはくすりと笑った。そのまま出口へ向かって歩き出したので、アデルは慌てて引き留めた。「ちょっと!どこへ行く気!?」

「クレランボーさんに呼ばれているんです。もう行かないと……すみませんけど、チーズはご自分で取に行って下さいな」

 シルビアは悠然とパン焼き室を出て行き、アデルは怒髪天を衝いた。

「なんなの!?新人のくせに、あの大きな態度は!」

 それから半日、アデルの口からはシルビアの悪口しか出てこなかった。流石にまずいと感じたノラは、その夜、親切心からシルビアに忠告した。

「あんた、あれはまずいわよ。アデルさん、そうとう怒っていたわよ」

「ふんっ。あんな年増の言うことなんか、聞いていられるものですか」

 シルビアは忠告を聞き入れず、高慢ちきなことを言って、ノラを驚かせた。

「私、部屋を移ることになったから」

 シルビアは、物のついでに告知した。ノラは首を傾げた。「出て行くの?」

「まさか。どうして私が出て行かなくちゃならないのよ。クレランボーさんに、あなたのいびきがうるさくて眠れないと言ったら、一人部屋を使わせてもらえることになったのよ」

「まあ!」

「それから、私のことはこれから、シルビアさんと呼んでちょうだいね。もうあなたとは立場が違うんですから」

 ノラは首を傾げた。「どういうことよ?」

「今日付けで男爵夫人付きのレディーズ・メイドになったのよ。男爵夫人が、私には気品があるって。やっぱり見る人が見ればわかるのね」

 報告を聞いたノラは絶句した。(昇進!?シルビアが!?)

「せいせいしたわ。もうあの口うるさいメイドにごちゃごちゃ言われずに済むし、私の綺麗な手があかぎれだらけになったら、パパもママも悲しむもの」

「…………」

「あなたには、今の仕事がお似合いよ」

 壁の向こう側の住人になった彼女は、その日から、使用人用の食堂にも洗濯場にも顔を出さなくなった。


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